§6

「……ドレミが?」

「うん、1階の第二音楽室で見た。他に、ギターとか持った人が集まってたよ」

 合同練習から数日が経過した、ある日の午後。由奈が仕入れてきた情報を聞いて、悠志はスライドクリームを塗る手を止めた。譜面台を立てていた茂もピクリと顔を上げ、紗耶香はあからさまに不機嫌そうな表情を浮かべた。

「そういや、軽音楽部がどうとか言ってたな。しかし、随分と中途半端な時期に……もう6月だぜ?」

「んー……何でだろうねぇ」

「流石に、あの騒動の直後からは動けなかったって事じゃないかな」

 やや暢気な反応を示した悠志と由奈に対し、茂は冷静だった。成る程、如何に厚顔無恥な彼女と言えども、あれだけの騒ぎを起こした直後にまた目立った行動を起こすのは、憚られたという事だろう。

「……それに、部室は直ぐに確保できたとしても、それだけじゃ音楽系のクラブは成り立たないからね」

「そっか、楽器か!」

 漸く会話に参加してきた紗耶香が、この時期にまで立ち上げがズレ込んだ理由として最も的確な答えを呟き、由奈はポンと手を叩いた。まさにその通り、部室を兼ねた練習場所は二つある音楽室のうちの片方を宛がえば良いが、楽器はそうはいかない。ギターやベースの本体だけは個人で持ち寄ることが可能だとしても、ドラムやシンセサイザーを個人で所有している中学生などまず居ないだろう。

「って事は、ドラムとシンセ抜きかな?」

「フォークならギターだけあればOKだけど、ロックだと厳しいね」

 由奈の呟きに、茂が回答した。少なくとも、先ほど彼女が覗き見た時点では、シンセサイザーやドラムを持ち込んでいる様子はなく、男子3名、女子1名の計4人が小川の話を聞いているという感じで、全員が楽器のケースを背負っていたとの事だった。尤も、素人の由奈には、それがギターなのかベースなのかの区別はつかなかったので、全てギターに見えたようだが。

「ま、どっちにしろ、ロクな活動は出来ねぇって話だよな。ギター持った奴が何人集まったって、バンドは組めねぇんだし」

「んー……言い方は乱暴だけど、私も鎚矢君と同意見かな。それに、顧問があのドレミじゃあ、先は見えてるよ」

 自信たっぷりに言い切る悠志に、紗耶香も同調した。そう、ギタリストやベーシストばかりが何人集まっても、バンドとして成り立たない。最低でもドラムは必要だし、シンセサイザー若しくはキーボードが無いとハーモニーを奏でるセクションが欠落してしまい、今ひとつ締まりのない演奏になってしまうのがオチだ。オマケに、顧問はあの小川である。過去に彼女からの圧力を受け、その悪辣さを目の当たりにしている吹奏楽部の面々からすれば、ほぼ全員が低評価である事も頷けるというものだ。

「上手く行かないもんなんだね、せっかく活動を始めても足りない楽器があるなんて」

「仕方ないよ、ドラムって高いんだぜ? オモチャみたいな奴ならともかく、本格的にやるんなら20万は覚悟しないとな」

 その値段を聞いて、由奈は苦笑いを浮かべた。確かに、それはお小遣いでは買えないね……と。因みに、初心者向けの安価なモデルであれば5万円台から入手可能なのだが、それでも中学生には厳しい値段と言わざるを得ないだろう。それにもう一つ、ドラムセットには、容易に持ち運びが出来ないという難点がある。つまり、非常に高価な楽器を、皆が触れる事の出来る状態で放置せざるを得ないので、学校に持ち込んだ時点でリスクを冒す事になってしまうのだ。

「此処にある奴を、貸してあげられたら良いんだけどね」

「これはウチのだからな。貸しちゃったら、パーカスの奴が入った時に困るだろ」

 いかにも由奈らしい、フレンドリーな発言であった。しかし、悠志の言う通り、貸し出してしまった後にその楽器を担当するメンバーが入部してきたら、困るのは自分たちなのだ。今後の事を考えるなら、軽率な真似は控えるべきだろう。

「ま、とにかく。今は様子見ってトコかな」

「だね。ドレミも念願が叶って、当分は大人しくしてるだろうし」

 ――取り敢えず、悠志たちが下した判断がそれだった。新たに音楽系クラブが立ち上がった、しかし自分たちには関係ない。そういうスタンスで居れば、互いに干渉せず、不快な思いもしなくて済むであろう。小川というネガティヴファクターの存在は無視できないが、なるべく意識しないでおこう……彼らはそう考え、軽音楽部の動向を見守る事にしたのだった。

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