§5
合同練習は、ウォームアップを兼ねた音出しから始まり、スケールやタンギングなどの基礎練習を行った後にチューニング、そして申し合わせてあった楽曲を皆で合奏……という流れで執り行われていた。しかし、合奏が始まって僅か1時間足らずで、紗耶香と茂はそれぞれ10回を超えるダメ出しを食らい、既に息が上がっていた。
(先輩も森戸くんも、かなり吹ける方だと思ってたのに……同じ中学生で、こんなに差が出ちゃうものなの?)
未だ合奏に参加できる技量まで達していない由奈は、一人ポツンと壁際に用意された椅子に腰かけ、見学していた。吹奏楽の経験値など無いに等しい彼女の視点から見ても、自分たちと間宮中との実力差はハッキリと分かる程であった。
「はい、休憩にします。あの時計で2時半になったら合奏を再開するので、遅れないでください。では解散!」
指揮者の号令で、間宮中の面々は水分補給をしたり、談笑をしたりと、めいめいに休憩を楽しんでいた。が、完全に気圧されてしまった紗耶香と茂は、動く気すらも起こらないのか。その場に座したまま、項垂れていた。
「これが、全国レベルって奴なのね……」
「いや、こんなもんじゃない筈ですよ。間宮中の皆はまだ、あんなに余裕を残してるじゃないですか」
紗耶香の呟きに、茂が応えていた。しかし、それも漸く絞り出した声という感じで、かなりのプレッシャーが彼らを襲ったのだという事が見て取れた。ただ一人、間宮中のメンバーと対等の技量を誇る悠志だけは、佳祐をはじめとする間宮小吹奏楽部のOB達に囲まれて、笑顔を見せていた。
「鎚矢くん、やっぱ凄い……先輩たちは完全にバテちゃってるのに、ぜんぜん余裕って感じだよ」
「アレは特別製。自分らと同列に扱ってると、常識バグっちゃうよ」
唐突に掛けられた声に驚いた由奈が振り返ると、そこには先ほど悠志とじゃれ合っていた少女――恵美が立っていた。彼女は両手に紙コップを持って、ニコニコと微笑んでいた。
「あ、さっきの……えっと、佐伯さん?」
「メグでいいよぉ。ほら、見学でも水分補給しないとダメだよ」
「……ありがと」
流石は名門校と云うところか。音楽室の後方には大型の保冷タンクが設えてあり、そこに満たされた麦茶によって水分補給が出来るように配慮されていた。自前で水筒を持ち込む者が殆どだったが、恵美のようにタンクの麦茶を利用する者もチラホラと居るようだった。
「合奏、参加しないの?」
「あ、うん。私まだ、ヘタッピだから」
「ふぅん? 変だなぁ。さっきユージが、かなりスジが良くて上達が早いって言ってたんだけど」
「……え!?」
恵美の呟きを聞いて、由奈はまたも驚き、しかも今度は頬を紅潮させてしまった。悠志が自分の事を高評価していると云うのも意外だったのだが、まさかそれを口外しているとは思わなかったのだ。
「鎚矢くんが、私の事を……?」
「うん。熱心で頑張り屋で、教えてて嬉しくなるって。ユージが女子を誉めてんの、初めて聞いたよ」
「……!!」
悠志からの評価が意外過ぎて、由奈は完全に狼狽えてしまった。そして、それを見た恵美は『もしかして、変なスイッチ押しちゃったかな?』と、苦笑いを浮かべていた。
「とにかくね、ユージに教えて貰ってるなら大丈夫。絶対うまくなるよ」
「う、うん。そうだよね!」
「そうそう。だから、自分でヘタッピだなんて言ったらダメだよ。えーと、小松さん?」
「由奈でいいよ、その……め、メグちゃん」
このハイレベルな練習の最中にあって、一人ポツンと浮いていた自分に注目してくれただけでもビックリなのに、優しい言葉まで掛けてくれて……と、由奈はすっかり嬉しくなってしまったようだ。恵美も、由奈という友達が出来た事を喜んでいた。が、その一方で……
「先輩、何かあそこで盛り上がってますけど……」
「鎚矢君といい、彼女といい……メンタル強すぎるわ」
すっかり参ってしまっていた紗耶香と茂が、保冷タンクから麦茶を注ぎながら、由奈のタフさに舌を巻いていた。それを喉に流し込み、漸く落ち着いたと云ったところで合奏が再開されたが、その後も彼らは間宮中との実力差に翻弄され、全国レベルの厳しさを知る事になるのだった。
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