§4

 放課後、悠志は由奈と一緒に音楽室へと出向いた。特に待ち合わせの約束はしていなかったのだが、何となく心細かったのだろう。先にホームルームの終わった由奈が、教室の前で悠志を待っていたのだ。

「失礼しまーす」

「……今日も来たのね。ドレミと会って、嫌気が差すんじゃないかと思ってたけど」

「お生憎様、そんなヤワじゃないですよ」

 相変わらず気怠そうな態度を見せる紗耶香に、悠志は毅然と応えた。そしてその背後では、由奈がキョロキョロと周りを見渡し、様子を窺っていた。

「貴女は?」

「あ、1年4組の小松由奈です。ユーフォニアムを吹きたくて、吹奏楽部を希望しました」 

 はきはきと応える由奈に、紗耶香は一瞬だけ驚いたような顔を見せた。が、すぐにその表情は曇り、元の気怠そうな顔に戻ってしまった。

「……ま、頑張ってね。私は2年の渡部、とりあえず宜しく」

 紗耶香の返答を聞いて、由奈は首を傾げた。『とりあえず』って、一体何の事だろう……と。そして彼女はがらんとした音楽室の中を覗き込んで、ふと違和感を覚えた。

「あの、鎚矢くん。他の人はまだ来ないの?」

 その質問を受けて、悠志はギクリとした。これを言ってしまったら、彼女はガッカリして帰ってしまうのではないか……と。しかし、返事を先延ばしにしても、現状が覆る訳ではない。彼は覚悟を決めて、事情を説明した。

「来ないと思う。幽霊部員の3年生をカウントしなければ、部員はこれで全員だからね」

「……え?」

 悠志の回答を聞いて、由奈は表情を強張らせた。そして、更なる追い打ちを掛けるかのように、紗耶香が会話に割り込んで、気怠そうな声で発言した。

「鎚矢君、ちょっと待って。今の説明だと、私も数に入ってるように聞こえちゃうじゃない。訂正して」

「あー、そうでしたね。ゴメン、訂正。先輩はもうすぐ辞めるそうなんで、いずれ俺らだけになるね」

「……はい!?」

 思いもよらない展開に、由奈は愕然としてしまった。そして彼女はこの時点で漸く、先程の紗耶香の発言の意味を理解した。そうか、もうすぐ辞めるつもりでいるから『とりあえず』なのか、と。

「つまり、ほぼ壊滅状態って事?」

「そ。期待させといて悪いんだけど、これがウチの事情なんだ……どうする、やめとく?」

 その問い掛けに、由奈は僅かに躊躇いを見せた。が、彼女はすぐ笑顔になり、首を横に振って、力強い口調で答えた。

「部員が少なくたって、楽器は吹けるんでしょ?」

「まぁ、そりゃあ……じゃ、入部って事でOKだな」

 ニコニコしながら入部届を記入している由奈を見て、悠志は『よし!』と頷いた。が、逆に紗耶香は『なんて物好きな』と、呆れ顔を浮かべていた。こんな状態のクラブに入ってきて、何が楽しいのだろう……と。

「そういう訳なんで先輩、もう暫く辞めんのは待ってくださいね。どうにかして、あと一人引っ張って来るまでは」

「……それは、別に構わないけど。でも、3人目が来たら辞めるからね。ドレミの顔なんか、見たくないから」

 吐き捨てるようにそう言うと、紗耶香は準備室を出て行ってしまった。その様を、悠志は苦笑いを浮かべつつ見送っていたが、彼女があのような態度を見せる理由を知らない由奈は、ただオロオロとするだけであった。

「ねぇ、ドレミって誰の事?」

「顧問の小川って奴を、そう呼んでるんだとさ。俺も昨日ちょっと会ったけど、すっげぇ嫌な奴だったよ」

 そして悠志は、最初っから変な話を聞かせて悪いんだけど……と前置きしてから、何故に吹奏楽部がこんな状態になっているのかを、由奈に説いて聞かせた。その説明が終わった後、由奈は悲しそうな表情を浮かべ、俯いてしまった。

「酷いね。部員募集のポスターが無かったから、おかしいなと思ってたんだけど……そういう訳だったんだね」

「先輩たち、すっかり諦めちゃってるみたいだからな。渡部先輩だって、相当ガマンして残ってくれてるんだと思うし」

 そう言いながら、悠志は背負っていた楽器ケースを机の上に下ろし、やれやれと一息ついた。そして、ケースのポケット部分からマウスピースを取り出すと、それを口に当ててウォームアップを始めた。

「……ボーっとしてたって、どうしようもないだろ。とにかく吹いて、活動してる事をアピールしなきゃ」

「あ、うん……でも私、楽器持ってないし。今日初めてだから……」

「ん? あー、悪い悪い。ユーフォだよな? そこにある奴、使って大丈夫だと思うよ」

 と、悠志は床に置いてある3本のユーフォニアムを指さして、由奈に選ばせた。彼女はその中から、ラッカー仕上げで金色の管体を持つ楽器を選び、ケースから取り出した。

「ど、どう? 似合うかな?」

「おー、なかなかサマになってんな。でも、どうしてユーフォなんだ? 女子なら、木管を選びそうなもんなのに」

 由奈が楽器を構えてポーズを決めたところで、悠志は素朴な疑問を口にしていた。初心者でしかも女子ならば、クラリネットやフルート、サクソフォンと云った木管楽器に興味を示すものではないか? と思っていたようである。が、由奈は照れ笑いを浮かべながら、愛おし気に楽器を眺めていた。

「えへへ……実はね、好きなキャラがユーフォニアムを吹いてるの。それで憧れて……へ、変かな?」

 そう、由奈は吹奏楽をモチーフにした某有名アニメのファンであり、それを通じて吹奏楽を知り、憧れるようになったのだ。悠志はそのキャラを知らなかったので詳細なコメントは避けたが、その動機については感心したようだ。

「変じゃないさ……しかし、なるほどなぁ。そういう憧れがあるんじゃあ、吹奏楽部を潰しちゃう訳にはいかねぇよな」

「うん! だから、早く吹けるようになりたいんだよ。そして私も、くみちゃんみたいに上手くなるんだ!」

「おーし、その意気だ……でもまぁ、まずは基礎からだぞ。楽器は暫くお預けだ」

 その回答に、由奈は少々がっかりしたような表情を見せた。しかし、マウスピースを口に当てて音を出す、所謂『バズィング』でいきなり躓いた彼女は、楽器を構えるまでにマスターしなければならない基礎が多数あると知り、驚いていた。

「ふぇー、厳しいんだねぇ」

「そりゃあ、最初のうちはな。でも、教えなくても腹式は出来てたじゃん。歌でもやってたのか?」

「あ、うん。小学校では、合唱やってたんだ。コンクールにも出た事、あるんだよ」

「へー、なら吹奏楽に馴染むのも早いかもよ。肺活量が決め手になったりとか、似てるトコ多いからな」

 と、ウォームアップを済ませた悠志がトロンボーンを構え、ゆったりした感じの短い曲を吹いてみせると、その音色と正確な音程、メロディの見事さに、由奈は恍惚となってしまった。

「わあぁ……すっごい上手い! ねぇ、今の何て曲? 聴いた事ないけど、凄く良かった!」

「あ? あー、これは小学校の時、同級生の奴が作った練習曲でね。題名は無いんだよ」

「え……えー!? 間宮小って、そんなにレベル高いの!?」

「いや、全員がこうだって訳じゃないよ。今の曲を作った奴は別格だ、なんせ小学校に上がる頃から普通に作曲してたからな」

 いま聴いたウォームアップだけでも相当なレベルなのに、それを吹いた彼をしてその賛辞……その友達って何者なの!? と由奈はすっかり萎縮してしまった。が、悠志はそんな彼女に対して『大丈夫だよ』と微笑みかけた。

「俺だって、小3の時に友達から誘われるまでは、吹奏楽の『す』の字も知らなかったんだ。頑張り次第だよ」

「そ、そうなの? ……うん、そうだよね! 誰だって最初は初めてなんだもん、頑張れば上手くなるよね!」

 先刻までの、暗い雰囲気は何処へやら。由奈はすっかりマウスピースを鳴らすことに夢中になり、部の行く末に対する不安を完全に払拭していた。その様を見て、悠志は『この調子なら、彼女は大丈夫だな』と安堵していた。そして彼自身も、今までの鬱憤を晴らすかのように、高らかに楽器を吹き鳴らし、その存在をアピールしていた。

(こうして楽器を吹いていれば、興味を惹かれて来る奴は必ずいる筈だ。見てろよドレミ、絶対に廃部になんかさせねぇからな)

 現状で、部員は既に辞めるつもりでいる紗耶香を含めて漸く3名。まだまだ危機的状況にある事に変わりは無かったが、悠志の闘志はメラメラと燃え上がっていた。俺はこんな処でモタモタしている訳にはいかない、佳祐たちと交わした約束があるんだからな……と。

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