§3
「失礼しまぁす! ド……じゃない、小川先生はいらっしゃいますかぁ? 音楽の!」
いきなり大声で小川を名指しで呼んだその声に、教師たちは驚いた。然もありなん、声の主はノックもしないでドアを開け、その場で室内をキョロキョロと見まわしながら、怒鳴っているのだ。これに驚くなと言う方が、無理な話だろう。
「つ、鎚矢君! なんですか、此処は職員室ですよ? 失礼にも程があるでしょう!」
「だから、失礼しますって言ったじゃないですか」
「そういう事じゃありません!」
「……スミマセンけど、俺は山本先生に用があるんじゃないです。小川先生って何処に居るんですか?」
悠志を制止しようとして出てきた山本という男は、思わず絶句した。生徒が教師である自分に向かって『アンタに用は無い』と、キッパリ言い放ったのだ。あまり気の強い方ではない山本は、その鋭い目線にたじろいで、既に硬直していた。
「随分と威勢のいい事……私が小川だけど、何の用?」
皆が唖然として言葉を失っている中、背を向けていた一人の教師が振り返り、入口のところで仁王立ちをしたままの悠志に声を掛けた。それは気の強そうな、若い女性だった。
「1年の、鎚矢悠志です。吹奏楽部の入部届を提出しに来たんで、よろしくお願いします」
「……入部?」
「そうですよ、先生が顧問なんでしょ?」
「…………」
悠志が突き出した入部届を見て、小川は『ふぅん』と声を洩らした。先刻の紗耶香と同じように、何とも気だるそうでヤル気の無い、見ていてイライラする感じの態度だった。
「どうせ、来年には無くなるのに……止めておきなさい、無駄よ」
「無くなる? それ、校長先生が決めたんですか?」
「この学校にはね、部員が3人を割ったら、その部は次年度から廃止されるって規則があるのよ。今あなたが入部したとしても、3年生が引退した時点で既定の人数に足りなくなるわ。だから無駄……」
「つまり、来年の3月までは大丈夫って事ですね? なら無駄じゃないです、これを受け取ってください」
悠志の目は、如何にも嫌そうな表情を浮かべている小川の顔をギロリと睨んで、明らかな反抗の意思を表していた。なるほど、さっき音楽室の前で聞いた話の通りだ。コイツが吹奏楽部を潰しに掛かっている、ありえねぇ不良教師か……と。
「……良いでしょう、入部したいのならどうぞ。けど、何日もつかしら? 言っておくけど、部員が3人を割ったら、私はその時点で廃部を決定して、練習も禁止にするつもりよ」
「ふぅん……じゃあ俺も言わせて貰うけど、今いる部員に声かけをして辞めさせるってのは、反則だからね。そんな事をしたと分かったら、その強引な3人ルールは無視すっからね」
既に、目の前の女は彼にとって『教師』では無いのだろう。悠志は敬語を使うのを止め、小川に対して故意に攻撃的な態度を取っていた。しかし、周囲の教員たちも小川の方が間違った発言をしていると認めたのか。誰も咎める者は居なかった。
「じゃ、先生。明日っから練習したいんで、宜しくね。俺はもう、吹奏楽部に入ったんだからね」
「どうぞ、ご自由に」
その一言を聞いて、悠志はニヤリと笑みを浮かべた。これで最初の関門は突破した、あとはひたすら突っ走るだけだ……と。
* * *
「んー、っと……お、此処スペース空いてるな」
小川に面通しをして、正式に入部を決めた悠志は、さっそく部員集めを開始した。手製のポスターは挿絵も無く、気の利いたレタリングもされていない簡素なものだったが、それでも『吹奏楽部は健在で、ちゃんと活動している』事をアピールするには充分であった。
「んーと、昇降口の前と、渡り廊下の掲示板……あとの一枚は、やっぱ1年生の教室近くに貼りたいな」
無論、2年生がこのポスターを見てカムバックしてくれる事も想定してはいたが、悠志の第一目標は1年生の勧誘であった。すっかり骨抜きにされてしまった上級生よりも、まだ小川の手が及んでいない1年生の方が誘いやすいと考えての事だった。
「ハイ、ちょっとごめんよー。ポスター貼りたいんだ、通してくれ」
教室付近の掲示板には、既に人だかりが出来ていた。然もありなん、他の部は入学式の前から上級生がしっかりと準備して、力強い勧誘を行っているのだ。すっかり出遅れてしまった悠志は、その隅に辛うじて空きスペースを見つけ、簡素なポスターを貼るという、苦しい展開を余儀なくされていた。
「あーあ、こんな隅っこじゃ目立たないなぁ。もっと別なトコ……」
「あー! 吹奏楽部あるじゃない!」
「……え?」
その声に振り返ってみると、目を爛々と輝かせた女子が立っていた。悠志は『よし!』と心の中でガッツポーズを決めながら、ゆっくりとその女子の方へ向き直った。
「うん、あるよ。ただいま、絶賛部員募集中だからね。入ってくれると嬉しいな」
「……って、何で1年生が勧誘やってんの?」
「それは……まぁ、ちょっと事情があってね」
こんな人だかりの中で、『顧問が部員を排除して、廃部にしようとしている』などと言える筈もなく。悠志は苦笑いを浮かべながら、訳アリである事だけを明かした。が、彼女はそれを聞いても引く様子はなく、事情についても問い詰めて来なかった。
「私、4組の小松由奈。今日の放課後、見学しに行きたいんだけど、いい?」
「大歓迎だよ。俺は8組の鎚矢悠志。第一音楽室に集合だから、よろしく」
うん、分かった! と言って、由奈は教室に戻っていった。悠志はその後ろ姿を見送りながら、幸先の良いスタートに、ホッと胸を撫で下ろしていた。
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