§2

「えーと、一応自己紹介しとくね。私は2年の渡部紗耶香、トランペットを吹いてるわ」

「1年の、鎚矢悠志です。トロンボーン希望です。楽器は持ってます」

 楽器を持ってるという事は、間宮小から……? と気が付き、紗耶香は漸く、悠志が鼻息を荒くしている理由に察しを付け、ふぅんと頷いた。

「そっか。小学校の時からやってるなら、中学でも……って思うよね。でも、うちの学校の吹奏楽部は御覧の通りでね。練習をするどころじゃないんだよ」

「何で、こんな事になってるんですか?」

 それは、尤もな疑問であった。いや、悠志でなくとも、この現状を見たらそう聞きたくなるに違いない。

「去年、私が入った時には、もうちょっと人が居たんだけどね。みーんな辞めちゃったんだよ、ドレミの所為でね」

「……ドレミ?」

「そう、ドレミ。本当は『小川みどり』って言うんだけど、私アイツが嫌いだからね。名前を口に出すのも嫌だから、そう呼んでるの」

「誰ですそれ、部長さんですか?」

 そう質問してきた悠志の顔を真っ直ぐに見据えながら、紗耶香は『こんな事を、わざわざ説明しなきゃならないのか……』とでも言いたげな表情を浮かべた。それは彼女にとって、想い出すのも嫌な事だったからだ。

「此処の顧問の、音楽教師だよ。3年前に新任で入って来て、その時に他の学校へ転出した先代の顧問から、此処を引き継いだらしいの」

「その先生が、一体何を? もしかして、メチャクチャ指揮がヘタクソだったとか?」

「ドレミはね、音楽教師だけど吹奏楽が大嫌いでね。此処の顧問にされたのを、凄く不満に思ってるんだよ」

「え!? じゃあ、この惨状はもしかして……?」

「そう。部員が幾ら頑張ったところで、顧問がそれを否定していたら……こうなって当たり前でしょ?」

 左様。社会人が有志で組織している楽団の場合は、基本的に大人がメンバーであるため、ある程度は各々の裁量で活動する事が可能となる。が、スクールバンドの場合、そうはいかない。未熟な学生によって構成されている組織である故に、その内容は顧問……指導者となる教員の手腕によって、大きく左右されてしまうのだ。

「顧問が吹奏楽の事を全く知らないから、指導できない。いや、指導する気が無いって言った方が正解だね。だからコンクールはおろか、文化祭とかの小さなステージにも出られないの。レベル低すぎてね」

「先生がそんなだから、先輩たちは皆ヤル気を失くして……って事ですか!?」

「正解。しかも、ドレミは吹奏楽部が潰れた後、空いた音楽室で軽音楽部を立ち上げるって言ってるんだよ」

「……!!」

 吹奏楽部が潰れた後に、じゃないだろ。吹奏楽部を潰した後に、だろ……と、悠志は顧問である小川に対して、激しい怒りを覚えた。

「冗談じゃない! どうしてそんな奴に、顧問やらせてんですか! この学校の先生たちって、みんなバカなんですか!?」

「だから、私に怒鳴らないでよ……これで話はおしまい。今日は練習やらないから、これで解散。入部するなら、これにクラスと名前を書いて。尤も? これをドレミに提出したところで、嫌な顔をされるだけだと思うけどね」

 A4サイズの用紙に、氏名とクラスを記入する欄が用意されていた。所謂、入部届である。悠志はそれを受け取り、その場で内容を書き込んで、紗耶香に手渡した。この状況を説明されてもなお、彼は入部する意思を曲げなかったらしい。

「本気なの? 幽霊部員の3年生はもう来ないだろうし、私だって……」

「ドレミ、でしたっけ? そんな不良教師、俺が追い出してやりますよ」

 そう。悠志は既に、和泉中の吹奏楽部がガタガタであることは知っていたのだ。無論、廃部寸前の憂き目に立たされているとまでは思っていなかったようだが、彼の目的からすれば、それは大した違いとは言えない。部員が居ないなら、募って増やせばいい。顧問がヘタレなら、追い出して新たな指導者を迎えればいい……彼はそう考えたのである。

「明日から、練習しても良いですよね。俺、楽器持ってきますから」

「……勝手にすれば? 私は知らないからね。これは自分でドレミに提出して頂戴、私はアイツの顔を見るのも嫌なんだからね。誰がドレミなのかは、他の先生に訊いてね」

 そう言いながら、紗耶香は悠志に入部届を突き返し、退出しろと促した。今日は彼も楽器を持って来ていないし、自分は既にモチベーションを維持できていない。ならば、此処に居ても意味は無い……そう考えての事であった。

 そして悠志は、そそくさと立ち去ってしまう紗耶香の後姿を見送りながら、ギュッと拳を握り締めていた。

(冗談じゃねーよ。先生も確かにクズなんだろうけど、それに負けてヤル気失くしたアンタらも、充分にクズじゃねーか!)

 渡り廊下の角に消えた紗耶香の影に向かって、悠志は悪態をついた。これを佳祐たちが知ったら、一体どんな顔をするだろう。やはり怒るのだろうか。いや、もしかしたら呆れるかもしれないな……そんな事を考えながら、彼は誰も居なくなった音楽室の室名札を見上げて、やってやるぜ! と意気込みを新たにしていた。

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