§2

「ユージ、さっきは派手にやらかしたなぁ。もしかして昨日、寝てないのか?」

「算数のドリルが強敵でさぁ、11時過ぎまで掛かっちゃったんだよ」

 先の大声について追及を受けた少年――悠志が、面白くなさそうに応えた。が、あれは言われても仕方がないと思っているのか、怒った風ではなかった。

「お前はどうなんだよ、ケースケ。ちゃんと終わったのか?」

「当たり前だろ。7月のうちに、殆ど終わらせたよ」

 出たよ、このイイ子ちゃんが……と、悠志は大袈裟に表情を崩して見せた。しかし、それも想定内だったのか。友達――佳祐は涼しげな顔で、その視線を受け流した。

「まぁ、ちゃんと終わらせて来たんだからOKだろ。見ろよアレ、もうすぐ先生の雷が落ちるぞ」

「あー、ナンマンダブ。頑張れよー、チャイム鳴るまでもうチョイあるからなー」

 うるせー! と、懸命に友達のノートを見ながら答えを書き写している男子が、後方の席から文句を言って来ていた。しかし佳祐の言う通り、期限を守らなかった者にはそれなりの罰が待っている。残り時間は3分弱、彼の命運が尽きるのも時間の問題である。

「あー、先生来たぞー!」

「……あれ、となりに誰かいるよ?」

 出入り口から廊下の様子を窺っていたクラスメイトが、教室に向かって歩いて来る教師の横にもう一つの人影を見付けていた。それも大人ではなく、自分たちと同じ子供のようだ。そしてチャイムが鳴るよりも若干早く、教師は一人の児童を連れて教室に入ってきた。

「ハイ、静かにして。今日から二学期ですが、その前に。皆さんに新しいお友達を紹介します」

 と、教師は連れてきた児童に目配せを送り、一歩前に出るよう促した。それまで目を伏せていたその子は、教室の中をぐるりと見渡して、ウンと頷いた後、口を開いて挨拶を始めようとした。が、何かを見付けたのか。唐突に大声を上げて、ある一点を指さしながら笑い始めた。

「あー、さっきの子だぁ! 同じクラスだったんだぁ!」

「……へ?」

 指を差された挙句、いきなり笑われた彼――悠志は呆気に取られた。然もありなん、まだ名前も知らない相手が、自分を差して爆笑しているのだ。これでは、どういう態度に出ていいのか分からないだろう。

「佐伯さん、先に挨拶をしなさい」

「あ、すみません。でも、おかしくって……あはははは!」

 教師に耳打ちをされ、その子はハッと我に返った。しかし、体育館で悠志の起こしたアクションが、余程のインパクトを与えていたのだろう。その子は再び笑い出し、目に涙まで溜め始めてしまっていた。

「……これ、怒るトコかな」

「笑っとけば?」

 悠志は、すぐ後ろの席にいる佳祐を振り返り、短く窺いを立てた。が、あれはお前が悪い、笑われても仕方がないと、これまた短く返されてしまった。しかし、それにしても良く笑う奴だ……と、佳祐も思わず苦笑いを浮かべていた。

「佐伯さん?」

「……ごめんなさい。はじめまして、高町小学校から転校してきました、佐伯恵美です。よろしくお願いします!」

 教師の声色が強張って来たのを察したか、その子――恵美は漸く挨拶を始めた。が、それを聞いた一同はざわめき立ち、そして驚きの声を上げた。

「めぐみ、って……女なの!?」

「男子かと思ったー!」

 皆が驚くのも、無理はなかった。彼女はスカートではなく短パン姿、しかも膝小僧は傷だらけ。髪型もベリーショートであり、オマケに日焼けで、肌は褐色を帯びていた。小学3年生の体格にその姿ならば、『少々可愛らしい顔立ちの男子』と間違われても仕方がないだろう。が、クラス中が騒然とする中、悠志は皆と違うリアクションをしていた。

「男でも女でも、どっちでもいーじゃん。仲間が一人増えた、って事だろ?」

「おーっ! ユージ、良いこと言った!」

 つい今の今まで、自分の方を見て笑っていた彼女を、悠志は『面白い奴』と判断したようだ。それなら、友達として仲よくしたらいいじゃないか、と。そして彼のアクションにより、教室内は一気にお祭り騒ぎ状態となった。

「んー……佐伯さんの紹介が終わったら、学活を始めようと思ってたけど。そういう雰囲気じゃなくなっちゃったわね」

 教師は恵美を迎え入れて、わっと沸き立っている教室の中を見渡した後、そう呟いた。しかし、転校生を迎え入れるというのは、児童たちにとっての一大イベントである。簡単には収まりそうにない大騒ぎになってしまったが、これは仕方のない事だな……彼女はそう考え、ふっと溜息を吐いた。そして……

「はーい、静かに! えー、夏休みの宿題は、あした提出してもらう事にします。今日は佐伯さんと仲良くなるための、歓迎会にしたいと思います」

「さんせー!」

「先生、話せるぅ!」

 意外な展開となってしまったが、児童たちはそれを大喜びで受け容れていた。と、此処で登場したのが、クラス一のお祭り男……そう、悠志であった。

「えーと、佐伯……恵美だっけ? 俺、悠志。鎚矢悠志ってんだ。宜しくな」

「あ、うん、よろしく!」

「俺は頭悪いから、イイ感じの挨拶って出来ないんだけど……ま、聴いてくれ。クラスの中じゃ、結構評判なんだ」

「おー、やれやれ!」

「いよっ、4組のスーパースター!」

 教卓の前まで出てきた悠志が何をするのかと、恵美はその様を興味津々と言った面持ちでで眺めていた。すると彼は教室の中ほどに目配せを送り、出て来いよという意味の指サインを出した。それに応じて、佳祐が前側の出入り口付近にある電子ピアノの前までやって来て、おもむろにアナウンスを始めた。

「それでは、えー……いつものように作曲はオレ、作詞はうちの姉貴なんだけど。気に入ってくれると嬉しいかな」

 そう短く告げた後、ゆっくりとしたアクションで、佳祐はイントロを弾き始めた。それを見てニヤッと笑いながら、悠志は軽く咳払いをして、喉の調子を整えた。そして……

「……!!」

 凡そ、小学生のものとは思えないほどの声量を持ったヴォーカルと、重厚かつ繊細な調べのピアノ伴奏が、そこで展開されていた。そう、彼らの持ちネタは、佳祐の伴奏に悠志のヴォーカルを重ねた、オリジナル曲の演奏だったのである。

 いきなり始まった即興コンサートは、4分半ほどの間、教室中とメインの観客である恵美を恍惚とさせた。そしてその音色が鳴りやむと、今度は逆に水を打ったような静けさが場を支配して……やがて、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。

「すっごぉい……歌も伴奏も、まるでプロみたい!」

「へへ。これが、俺たちなりの挨拶なんだ……気に入ってくれたみたいだな、スベったらどうしようかと思ったよ」

「オレたちは、いつだってこんな感じだからね。初めまして、オレは織田佳祐。よろしく!」

 簡単に挨拶を済ませると、悠志と佳祐はペコリと恵美に向かって頭を下げた。それを受けて、恵美もペコっとお辞儀をした後、二人に手を差し出して、握手を求めてきた。

「んー、相変わらず上手いわね。この二人が居ると、音楽の授業やるのが嫌になるぐらいなのよ」

 教師も二人に拍手を送りながら、苦笑いを浮かべてそう呟いた。然もありなん、子供にこのような演奏をされたら、教師としても立場が無いというところだろう。しかし、この二人は天才的な音楽センスを持っているようで、それをネタにしてクラス中で人気を博していたのだ。

「おーい織田ぁ、今度はジャニーズやってくれよー! おれ歌いたい!」

「ちょっと、男子ばっかズルい! 今度はAKBがいいよぉ!」

「あー、ちょっと待て。リクエストは嬉しいけど、今は彼女の歓迎会やってんだぞ。彼女の意見を聞かないとだろ」

 どうやら佳祐は自作の曲だけでなく、歌謡曲にも対応する事が出来るようで、教室中からリクエストの声が聞こえてきていた。が、彼はそれを一気に制して、今日の主役である恵美にスポットを当てた。しかし、彼女のリアクションは意外なものだった。

「あんな凄い歌の後だと、ちょっと恥ずかしいんだけど……」

 恵美が鞄の中から取り出したのは、黒く細長い箱だった。それを教卓の上に置くと、彼女はその蓋を開いて、銀色に輝く楽器――フルートを取り出し、慣れた手つきで組み立てた。

「対抗する訳じゃないけど、アタシも音楽やってるので。聴かせてもらうだけじゃなくて、聴いてもらおうと思います」

 そう言いながら、まだ教室の前に居た悠志と佳祐にニコリと笑みを向けると、恵美は皆にお辞儀をして、演奏を始めた。先刻彼らが披露したロックとは違い、軽やかな雰囲気の楽曲だった。どうやら、クラシック音楽であるらしい。

「おおぉ……」

 悠志は、思わず感嘆の吐息を洩らした。恵美が奏でたのが何という曲なのかは分からなかったが、美しい旋律と音色に魅了され、ウットリと聴き入っていたのだ。その隣で佳祐も同じようなリアクションを取っていたようだが、全く視界に入らなかった。彼にとって、他者の演奏に聞き惚れて、夢中になるというのは初めての事だったのである。そして、4分ほどが過ぎた後。教室は再び割れんばかりの拍手と歓声で満たされていた。

「スゲェー!」

「ねぇねぇ、今の何て曲!?」

「えーと、ビゼーの『アルルの女』です。長い組曲なので、メヌエットの部分だけ吹きました」

 小学3年生でこの曲を全て通して聞いた事がある者など、恐らくは居ないだろう。しかし、そんな蘊蓄うんちくを無視したとしても、恵美の演奏は称賛に値するものだった。何という曲であるか、そんな事はどうでもいい。とにかく素晴らしい演奏だった、それだけで充分なのである。

「凄いんだなぁ、フルートって難しいんだろ?」

 それまで呆然としていた悠志が、驚いた表情のままで恵美に問い質した。それを受けて、彼女ははにかみながら、ゆっくりと頷いた。

「うん、吹けるようになるまでには結構かかったよ。幼稚園の頃に始めたんだけど、最初は音なんか出なかったよ」

 その回答を聞いた悠志は、更に驚いてしまった。彼も音楽が大好きで、就学前から歌を歌ってはいた。しかし、それは歌手の真似をしていただけの事であり、本格的に習っていた訳では無かったのだ。

「なぁ、オレでも吹けるようになるかな?」

 今度は、佳祐が質問してきた。彼は恵美の演奏に感動しただけではなく、自分もやってみたいという衝動に駆られたらしい。

「きっと出来るよ。あんなにピアノが上手いんだもん、他の楽器だって大丈夫だよ」

「け、ケースケがやるんなら、俺もやる!」

 お前ばかりに良い格好をさせるか、と言わんばかりに悠志が口を挟んできた。そう、派手好きで目立ちたがり屋の彼が、今のやり取りを黙って聞いている筈がない。とにかく、やってみないと気が済まない性格なのだ。

「それなら、3人とも吹奏楽部に入るといいわ。君たちも来年からクラブに入れるようになるから、丁度いいじゃない」

 ここまでのやり取りを聞いて、これは収拾つかないぞと判断した教師が、待ったを掛けるように割って入った。が、その言葉の中に聞き覚えの無いワードが入っていたのか。悠志が頭に疑問符を浮かべながら、問うて来た。

「吹奏楽……?」

「君たちが『ブラバン』って言ってるアレよ。トランペットとかフルートとか、息を吹き込んで鳴らす楽器と打楽器とを合わせて演奏する音楽の事を、ブラスバンド……吹奏楽って呼ぶんだよ」

 そうか、吹いて奏でるから吹奏楽か! と、即座にその意味を飲み込んだ悠志は、今にも音楽室に駆け込んでいきそうな勢いで、鼻息を荒くしていた。恵美の演奏がよほど印象的だったのか、居ても立っても居られないという様子だ。

「落ち着けよ、ユージ。来年からだって言われたろ?」

 その様子に呆れたのか、佳祐は些か引き気味だった。が、彼もまた吹奏楽に興味を惹かれていたようで、悠志を静止はするものの、否定はしなかった。

 ともあれ、恵美という新たなクラスメイトの登場が、彼ら二人――悠志と佳祐に大きな影響を与える事となったのは、確かなようであった。この時、彼らの心にミュージシャンとしての意識が芽生え始めたのである。そうして悠志はトロンボーン、佳祐はトランペットをそれぞれ手にして、吹奏楽という未体験ジャンルでめきめきと頭角を現していくのだった。

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