メリアネの番(つがい)

城島まひる

前編

人の考え得ること全てが叶うこのイース=イオルの世界で、過去に偉大な妖術師として恐れられたアル=ランは、今はただ物思いに耽り、深いため息をつくだけの毎日を送っていた。その様子に宮殿の召使いたちも、アル=ランの目に留まった美しい妾たちも、かの妖術師がやけを起こさないかという不安に駆られていた。


かつて妖術師であったアル=ランは、その妖しげな術にものを言わせ、砂漠の街アルク=エプの側に頑丈な砂の宮殿を一夜にして建てた。そして次に妖術師アル=ランはアルク=エプの街を訪れ、かつてこの街で起きた盗賊と聖女の事件以上に恐ろしい災厄をもたらした。結果、街の人々は成す術なく、妖術師の提示した要求を黙って飲むしかなかった。


その要求とは妖術師アル=ランを、砂漠の街アルク=エプの正式な王として認めることであった。それからアルク=エプの商人たちは、定期的に無償で食料や雑貨を提供することを、半ば強制的に約束させられた。付け加えるのであれば、数名ほど妖術師の要求を拒んだ商人がいた。妖術師は彼らの態度に激昂することもなく、一言了承し砂の宮殿に帰っていった。その晩、妖術師の砂の宮殿から複数の影が空へ飛び立った。その影たちはまっすぐアルク=エプの街に飛来すると、昼間に妖術師の要求を拒んだ商人たちの許を訪れ、連れ去ていった。


その奇妙な影たちを目撃した住民たちによれば、その影は金色の毛並みと枯れ枝の様な飛ぶには不適正に見える六本の羽。そして縦に裂けた巨大な口を持つ、全長7フィート(約2メートル)はあろうかという楕円形の生物だったと言う。なお抵抗した商人たちはこの生物に腕を嚙まれると、段々動きが鈍きなっていき遂には動かなくなったところを連れ去られていった。この件を境に、妖術師に逆らおうと思う者はアルク=エプの街からいなくなった。


それから妖術師は不定期ではあるが、アルク=エプの街を訪れては問題がないか見回った。よく挙がると問題として農作物の収穫不足がある。砂漠という厳しい環境ということもあり、育てられる作物も限られる。そんな状況でありながら無情にも晴天が2週間続けば、農作物の全滅は免れない。


しかし斯様な件はすべて妖術師アル=ランの手によって解決したことを認めざるを得ない。彼はその問題を耳にするなり、街の人々に井戸を造らせると、妖しげな所作と母音を伸ばした抑揚ある呪文によって、地下から水を湧き立たせた。この水はその日から30年経った今日まで、一度として枯れたことはない。


このような通常解決が困難である問題を解決した暁に、妖術師は必ず美しい娘を要求した。そうして妖術師アル=ランに妾として捧げられた娘たちは実に13人以上にのぼる。

さてこうして数多の問題を解決しては自身の欲しいものを際限なく受け取り、己の慾望を満たし続けていた妖術師アル=ランであったが、齢六十を超える年、ついに盟約を交わした魔物を手に掛けた。妖術師は魔物と盟約を交わし、存命中あらゆる不可能を可能にする力を授かる。しかしその対価として妖術師は死後、その魂を魔物によって奪われ永遠の奉仕を強制される。


そのことを恐れたアル=ランは盟約を交わした魔物を再度呼び出し、砂によって造られた人ならざる使用人たち。即ちゴーレムによる永遠の責め苦を与えた。ゴーレムたちは休むことを知らず、宮殿の地下牢で魔物を殴り続ける。元々半身が焼けただれていた少女の姿であった魔物は、ある日アル=ランが様子を見に行った時、既に原型を失っており、それでもまだ生きているところ見て、その生命力に驚かされたものである。


しかし唯一の問題であった死後の問題も解決され、妖術による強制的な転生が可能となった今、それでもアル=ランの中でくすぶり続ける何かがあった。それは今までのようなソーラムでこそ叶うような胡乱な慾望ではなく、もっと異質で哲学的な性質を感じさせる感情だった。ふと魔物が妖術師の罠に嵌められたことに気づいた際に発した言葉を思い出す。


「偉大さと愚かさを備えた妖術師アル=ランよ、心して聴け!お前は今までに様々な慾望を叶えてきた。辛い現実から逃れるために葡萄酒を求める労働者さながらにな。然れどいつか酔いから醒め、彼らは現実と対峙する。では御身はどうだアル=ラン。御身は永遠に妖術という葡萄酒に溺れているつもりか?現実を見よ。本当は何も変わっていない。何にも変わらず、何も得られず御身は朽ちていく。私はそんな御身が心配で、同時にそんな御身が愉快でしょうがないぞ」

妖術師アル=ランは魔物の遺言をしっかり頭に記録すると、手振りでゴーレムに指示を出した。私刑だ、と。


人ならざるものが人の心を語るとは片腹痛いと思っていたアル=ランであるが、今思えばかの魔物の言う通りであった。思い付く限りの娯楽と快楽を尽くし、得られたのは葡萄酒によって与えれる高揚感と同様、一時的なものであったし、得たものは何もない。現実は何も変わっていない。誰も人間としての私を見る者はいない。今思えばかの魔物は私の心の渇きをよくわかっていた様にさえ思う。夜の闇を恐れるなら消えない光を。世を嘆くなら人の温もりを。貧しい生まれであったアル=ランにとって、魔物から与えられた力はまさに神の力と言ってもよいものだった。それからアル=ランは数か月の間、自室に引きこもり、永遠と晴れない憂いについて考えていた。食事も睡眠も取らず、妖術の力で日光から養分を造り、光合成する植物さながら安楽椅子から一歩も動かず熟考し続けた。そして遂に答えは出た。


妖術師アル=ランは砂の宮殿を永遠に去ることにした日の前夜、魔物が私刑にあっている牢を訪れた。牢の中でぐずぐずになったそれは、もはや妖術師とゴーレム以外の誰も何であったかわからないものになっていた。アル=ランはゴーレムたちを指笛一つで砂に還すと、魔物の遺体を両手に抱え薔薇園の隅に埋めた。それから腰に下げていた葡萄酒を、遺体が埋まっている土の上にかけた。

「――――よ、さらばだ」

アル=ランは最後に魔物の名を呼び、別れを告げた。妖術師の発した魔物の名は風にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。しかし妖術師アル=ランのみが知る。人に憧れ、裏切られた無垢の魔物、その名を。

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