第3話 さようなら、幸村唯目

 「唯目様、お着替えをお持ちしました」


 老婆はそう言って扉をノックする。

 だが、唯目の部屋から返事はない。


 老婆は少し迷った後、扉をゆっくりと開けた。


 「失礼致します……」


 ギィィィという音を立てて、老婆は部屋へと入った。すると、不思議な事に老婆の頬を、一筋の風が撫でる。そして声を漏らした。


 「……これは一体」


 目の前には月明かりに照らされ、部屋一面が反射して輝いているようだった。

 窓のカーテンが揺らめき、オーロラの様に、老婆の入室を歓迎する。

 机の上。置いたはずの木箱はなく、その代わりに巻物が置いてあった。


 だが老婆は、木箱の蓋が残っている事に気づく。そこには一枚の紙が貼られており、送り主が書いてあった。


 「まさか唯目様……」


 老婆は膝から崩れ落ちる。

 長年仕えてきた老婆は知っていた。

 

 机の巻物にはこう記されている。

 『護衛失敗』と。


 老婆はそれを手に取り、窓に頭を深く、深く下げた。


 「左様でございますか……ですが唯目様、貴方は十分頑張られた。貴方様の最後を、敵討ちにお使いになられる事、深く感謝致します……!」




 とある屋敷。

 俺はそこの縁側を堂々と歩いていた。壁には無数の切り傷や刺し傷。血までついていた。伝統ある室内は残念な事に、形を残していない。

 そして床には数々の人の骸が転がっており、それを俺は踏みつけながら進んだ。


 「死ねぇ!幸村家の末裔っ!」


 不意に襖を突き破って、刀が姿を現した。だが俺は左手半身を少し捻って避け、そのまま襖に腕を突っ込むと、手のひら一杯の何かを掴んだ。


 「ぐぅ……!こ、こんなもの……!」


 何やら向こう側で、ペチャクチャ頭に響く声で喚く。

 俺はそのまま、床へと叩きつけた。

 襖は下へと破れていき、向こうから鈍く何かが割れる音が聞こえた。


 「あ゛ぁ゛……!!!」


 まだ音が聞こえてくる。

 念のため、もう少し叩きつけておこう。


 「がっ…ぐぇ、う゛ぅ゛!!!」


 俺は二回、三回鈍い音を奏でる。

 そして五回目肺の空気が抜ける音がし、襖から腕を抜いた。


 「………」

 「いやぁ、唯目先輩エグいですねー。家の護衛が傷一つつけられないとか。流石は幸村家始まっての異才ですね!」


 俺の前方、そう言ってクノイチが、俺に拍手を送った。

 細身で低身長。だがその肉体は鍛錬され、俺のよく知る奴だった。俺は腕の血を払い、

 そして叫んだ。


 「何故あんな事をした……答えろ、日下部湯!!!」

 「はーい!唯目先輩が大好きな、日下部湯でーす!!!」


 元気に手を上げ、返事をするソイツは一切緊迫した面持ちをしない。空手部部長二年、南雲湯。

 俺の目の前で笑顔を絶やさず、クナイを指で回す。それはまるで、学校で接しているかのように自然だった。

 俺はそんな湯を睨み続ける。


 「もう一度聞く、何故あんな事をした!」

 「んー、実は私の家は幸村家とのライバル関係、その分家なんですよ。『百道家』、それが私の血筋です」

 「……つまりお前たちの目的は秘術か」


 百道家。凪宮の秘術を欲しがる忍一派。

 その歴史は長いが、一度も凪宮家を殺せたものはいない。


 だが、俺の言葉に湯はイマイチな反応をする。


 「あってますけど、それは建前です」


 首を横に振った。


 「……建前?どういう意味だ」


 俺は湯への奇襲を警戒しながら、質問を続ける。だが彼女は表情一つ変えず、クナイを指で回し続け、答えた。


 「別に私は秘術が欲しいなんて思ってないんですよ。一応、一家の掟には従ってますが、私の利害が一致してるからやってるだけです」


 そう言ってクナイを掴み、俺に向けてきた。


 「私が欲しいのは唯目先輩、アナタです」


 俺は眉を寄せる。

 やはり理解できない、俺が欲しいから萌音を殺した?


 「私も怖かったんですよ、萌音先輩が。唯目先輩の幼馴染で仲もいい。美人で優しくて……でも1番の理由は」


 湯は一度上げた口角を下げ、舌舐めずりをした。蛇の様に鋭い眼光で、俺を飲み込もうとする。


 「あの人は唯目先輩の事が好きだった。だから、殺したんです」

 「……好き?何が言いたいんだ」

 「萌音先輩は唯目先輩が好きだったんです。分かっちゃうんですよ。乙女だから」


 『乙女だもん!気持ち分かる』


 なんなんだよ。

 コイツも萌音も、何が見えてるんだ。好きってなんだ、それが殺す動機になるのかっ!

 俺は息を吐き、考えるのを辞めた。


 「もういい。死ね」

 「随分強気ですね。私は幸村家の護衛を掻い潜った歴史上初の忍。甘く見てるとイタイ目見ちゃいますよ〜」


 そう言って、また口角を上げた。


 「先輩の術は知ってます。丸薬を用いた体内の物質変換……化学反応によって忍術を出す。けどそれには丸薬を飲まないといけない!」


 先手必勝。

 湯は目にも止まらぬ速度で、右に掴んだクナイを振りかぶってくる。その洗練された動きは、まさに本物の殺しだ。


 なるほど、どうりで見張り役が家に戻ってこない訳だ。光希、龍水、峰、楽。どうか安らかに……。


 そのクナイは確実に俺の左肩を捉えていた。

 さすがだ湯。後手に回るこちらは忍びとして明らかに不利な状況。

 だが俺にその攻撃は届かない。


 ——スパンッ!


 「……………は?」


 クナイは俺の頭ひとつ横を通過した。握っている手と共に。

 それと同時に、湯の無くなった手首の先からは、大量の血液が溢れ出す。


 「忍具『鋼蜘蛛』。お前の攻撃が優秀だから、綺麗に切れたよ。ほら、止血してやる」


 そう言って湯の右腕を見えない何かが締め上げる。


 月明かりと共に、湯の腕がキラッと光る。その正体は、僅か0.01mmの鋼の糸。それが張り巡らされているのだ。それを指で固定、滑車の原理で指に負担はかからない。

 太く巻けばもちろん止血するのも容易い。


 「お前は自慢げに秘術について語ったな。では何故俺が異才と呼ばれたのか、知ってるか?」


 俺は見せしめに大きく息を吸う。

 右腕を止血するために締め上げ動けない湯はその行動に、何かを察し動揺した。


 「そんなはず……丸薬は、まだ飲んでない!!!」

 「風遁『猛翔波』!!!」


 俺は息を吐いた。

 だがその息は確実に胸部を捉え、息とは思えぬ威力で湯を吹き飛ばす。

 固定した鋼蜘蛛は全て切れるほどに。


 ——ボキボキボキッ!


 「ウガッ……!」


 砕ける音を聞いて、俺は確信する。

 肋が折れたか、心臓を避けただけ大したものだ。呼吸する度に激痛だろうが、俺はもうコイツの声を聞きたくない。


 「俺は丸薬なんか飲まなくても、体内で同じ事ができる特異体質だ」


 湯の表情が驚きに変わる。

 肺に血液が流れ込んで、呼吸がガラガラと音を立てている。


 「はは……これは流石に、ゴホッ!敵いませんね……」

 

 湯は口いっぱいの血を吐いた。

 俺は膝をつく湯を横目に、月を眺めた。


 「ああ、本当に敵わねぇよ」


 なぜなんだ。いい人から死んでいくかの様に、俺の目の前にはいつも人がいない。

 優しかった祖父の時も、切磋琢磨した同期の忍者も、信じてくれた見張り役の後輩も……そして、大切な萌音すらも。


 世の理不尽には、本当に敵わない。


 「俺は体内で物質を作れる。それは、。C7H16、色々な種類があるがお前なら分かるだろ」

 「……っ、まさか!」

  「ああ、ガソリンだ。お前の家にたっぷり塗っておいた」


 俺は大きく息を吸う。

 いろいろな物質を体内で生成した。

 後はこの息を吐くだけで全てが終わる。俺ごと爆発に巻き込まれようが、どうでもいい。どの道、生きれないのだから。


 湯は、最後になるこの現状、穏やかな顔だった。死期は悟っているはず、そんな彼女は最後にこう言った。


 「……唯目先輩、愛しています」


 ——火遁『彼岸烈火!』


 午後21:31。南雲家は、大きな爆発と共に、全てを飲み込んだ。




 「ハァハァ……!」


 夜の公園。

 誰もいない閑散とした場所で、俺は一人水道水を飲んでいた。

 所々火傷の後はあるが、そこまで酷くない。


 「うぅ……!」


 俺は膝をつき、荒く呼吸をする。

 危なかった。爆発した瞬間、自分の体をいじり、大量の水分を放出。なんとか自爆は免れた。

 だが代わりに、酷い脱水症状だ。


 「さて……」


 俺は、意識を朦朧とさせながら上を見る。

 電柱の上、月を背に誰かが姿を表す。

 その格好は忍服を着ているが、胸の家紋は薬草と龍。幸村家の家紋だ。

 その正体は……


 「……異才と呼ばれたお前が百道家に敗れたか。見た術を一度で習得し、丸薬を使わずとも術を操り、冷徹に任務をこなしたお前がよもや。父として残念だ」


 そう言って俺の書いた巻物を持っているこの男こそ、幸村義政ゆきむらよしまさ俺の親父だ。


 「……悔やんでも悔やみきれません。こちら、百道家から奪った秘伝書です。お役立てください……どうか一思いに」


 俺は片膝をつき、頭を下げて首を出した。

 親父はそんな俺を見下ろし、溜息をつく。


 「……変わったな、唯目」


 柔らかな七月の風。蛙がうるさいほど鳴き、蝉の幼虫は羽化を始める。そんな刹那。

 息子に失望する親父は、俺の前に降りてきた。


 「……凪宮のご令嬢がお前を変えたのか。弱くなったな……おまけにご令嬢は、心底息子をたぶらかした」


 『萌音先輩は唯目先輩が好きだったんです』


 湯の声が頭に残る。

 好き……か。殺す理由になる様な感情……それが好き?


 ……この感情はなんだ。萌音を侮辱され心底虫の居所が悪い。今にも腹から何か出てきそうだ。


 ——殺したい。


 「……ああ、そうか」

 「だが、お前も一族のために十八年間よく頑張ってくれた。この輪廻が無くとも安らかに」


 そう言って親父はクナイを出す。

 狙うは首の根元。痛みもなくあの世に行く急所だ。

 親父は深呼吸をし、振りかざした。


 「……つ!?」


 瞬間、親父の頬から血が噴き出た。

 手元のクナイが消え、親父の攻撃は空ぶる。


 もうそこに俺はいない。俺がいるのは親父の五メートル背後。親父のクナイをくわえ、四つん這いで睨みつけた。


 「修羅めっ……!」


 親父は睨みつけ、丸薬を取り出した。


 ……親父は萌音を侮辱した。俺のたった一人の大切な人を。


 殺したい、殺したい、殺したい、殺したい!!!

 そう、何故なら……!


 「俺は萌音が好きだから……!!!」


 親父は丸薬を飲み、息を大きく吸う。

 俺も息を大きく吸い、親父を見据える。


 「火遁——!」

 「風遁——!」


 同時に吐き出した。


 「烈火の華!」

 「風花の鳥!」


 親父の炎を俺は、自分の吐いた息で上に逃げクナイを投げる。

 クナイは真っ直ぐ親父の眉間へと飛んでいく。完全な隙、できればこれで勝負をつけたい。

 だがそのクナイは親父の前でピタッと止まり、落下した。


 ……俺の知らない術か。


 『鋼蜘蛛』ではない。周りに利用できる遮蔽物は無いはず。


 動揺する俺を見て、親父は提案した。


 「……お前を殺すのに、時間はかけたくない。龍薬八卦でケリをつけてやる」

 「萌音への侮辱を取り消すならすぐにでも死にますよ」

 「取り消さない。息子の命を奪ったのは、あの女のせいだ」

 「……っ!萌音アイツ何を知ってて父親面してんだ!」


 俺は激怒し、自分の身体中に指を走らせた。


 龍薬八卦。

 秘孔、つまり自分のツボをついて能力を底上げする、幸村家にしかできない奥義。

 秘孔をつく場所、長さ、順番で何が起こるのか変わる。


 親父も同じように、龍薬八卦で指を走らせる。


 親父を倒しても俺はどの道死ぬ。


 だがそれでいいんだ。

 俺は萌音が好きだ。この残り短い時間を、俺は思うがままに生きようと思う。

 だから侮辱した親父を殺す。それだけだ。


 気づけば俺の右拳は真っ赤に燃え上がり、電流が走った。

 閑散とした公園を轟々と燃える炎が照らす。

 そしてその色はやがて、綺麗な蒼い炎へと姿を変えた。


 対する親父は、皮膚から金属を浮かび上がらせて、その姿はまるで鎧を着た侍の様だ。

 最後、親父の掌には鉄のみで作られた刀が出現する。


 あの質量、一体何処から出しやがった。

 また俺の知らない術かよ。


 きっと親父は昔から、俺のこの異常な能力を恐れてた。あんな術を隠していたのがいい証拠だ。


 なのに親父面をして萌音を侮辱した。

 結局、親父は今でも孤独なのだ。俺は萌音との出会いを経て、人への敬意を、興味を知った。

 だが親父は、誰も信じきれないまま術の一部を隠し、俺を抑制した。息子すらも、信じきれずに。


 悪いな親父。


 ——ゴォォォォォ!!!


 俺はもう、アンタには持ってないものを持ってる。だから、俺には勝てねぇよ。


 俺は炎の拳を纏い、走り出した。

 その勢いは衰える事なく、異常な輝きを放つ。

 全身全霊。この一撃で親父を倒す。


 俺は鎧を纏う親父に、渾身の一撃を放った。

 確実に親父を倒せる自信があった。


 「そこまでです」


 瞬間、誰かが俺の拳を真正面から片手で受け止めた。そしてあろう事か、吸い込まれるように拳の炎が消え、やがては消滅した。

 親父の刀も人差し指と中指で止めている。


 ……くそ、思ったより早かったな。


 俺が親父を倒しても、どの道死ぬ理由。

 それは最悪の場合、目の前のこの人が俺を殺すからだ。


 「唯目様、お強くなられましたね……でももういいのです」


 そう言ったのは、家に使える老婆だった。


 「孫は……萌音は短い生涯を楽しく生きた。唯目様のお怒りになる姿を見て、私はそれだけで嬉しゅうございます」


 凪宮節子なぎみやせつこ。それは、使用人であり、俺の師匠でもあり……また、凪宮の祖母だ。


 唯一凪宮の秘術を使える存在。

 節子さんは親父を見て、言った。


 「義政様にはまだお役目が残っています。里子から後継を選び、凪宮家の里子も」

 「……何故そこまでしてっ!」

 「……歴史もまた、守るものの一つです」


 そう言って節子さんは親父の秘孔をついた。すると親父は倒れ込み、鎧が消滅する。


 ……今の攻撃、見えなかった。

 そして次に、俺の右手を撫でた。


 「……!?火傷が治った……!」

 「唯目様、ここからは私がお相手します。これが最後の稽古です」


 そう言って、気づけば俺は節子さんから3メートル離れていた。

 なんだ……節子さんが離れた?だが倒れ込む親父を見るに、移動したのではなく、俺がようだ。


 異次元すぎる……。

 俺は、龍薬八卦で鎧……いや、全身を完全に別の物質に作り替えた。


 「流石です。義政様の術を一度で、義政様以上に……」


 節子さんは目を閉じる。

 俺は走り出し、二本の刀で節子さんを斬り裂いた……筈だった。


 「……花びら?」


 だが俺が切った瞬間。気づけば節子さんの代わりに、大量の花びらだけがそこには残っていた。

 節子さんは一体何処に……!


 「唯目様……今日までありがとうございました」


 俺の背後、そう言って節子さんはお辞儀をした。

 隙だらけ……今なら……!


 俺はそう思い、もう一度刀を振ろうとした。


 ——ブシュッ!


 俺の視界が真っ赤に染まる。

 体に力が入らない……なんだ、何を喰らった。

 流れる血液……それは全て俺の血だった。

 その血溜まりに、花びらが落ちる。


 傷も塞がらない。

 どうやら、俺は負けたらしい。

 静かに目を閉じて、走馬灯を噛み締める。


 萌音……守ってやれなくてごめん。怖かったろ、辛かったろ……寂しかったろう。


 何が一度で術を覚えるだ……この勝負に二度はない。

 結局俺は……萌音に何もしてやれなかった。大切な人……異才だなんて結局……


 俺は最後に涙を流した。

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