第2話 オクリモノ

 昼の屋上。

 ドタバタ騒ぎも一旦は解決した昼休み。


 いつもならとっくに弁当を食っている。

 だが、萌音の弁当は先程の蹴りによって散乱していた。


 「朝早く作ってくれたのに。こんな……ごめん、唯目」


 俺の作った弁当をこんなにも悲しそうに拾い上げる萌音。

 その右手は油で汚れ、次々に弁当箱の中へと移していく。食べられるものはひとつも残ってない。


 唐揚げに春巻き、漬物。全て母親から教えてもらった、料理の数々。


 俺は自分の弁当箱を見つめる。

 中身は萌音の物と変わらないが、キャベツの端材や少し焦げた唐揚げなどが入っている。

 そういったところを食べさせるか、なにも食べさせないか。考えるまでもない。


 俺は弁当箱を開けた。


 「俺ので良ければ食え、割り箸は無事だろ?」

 「そ、それは流石にできないよ!唯目の弁当貰っちゃったら、唯目はどうするの!」

 「ん?俺も食うけど?」


 互いの意見と理解が噛み合っていない。

 萌音はぽかーんとした様子で、俺に弁当を見る。


 ——ゴクリッ


 萌音は喉を鳴らしてポケットから割り箸を出した。

 そして、少しだけ焦げた唐揚げを割り箸で拾い、口の中へ。


 「……最高」

 「そりゃどうも」


 俺も、漬物を一口つまんだ。

 塩っけのある渋さが、白米ととてつもなく合うのだ。

 すると萌音は、俺の食う姿を見て心配する。


 「けど、いいの?二人で分けたらすぐにお腹空いちゃうよ。家庭科の授業もないし」

 「これでいい。萌音、放課後俺の机に来てくれ」


 そう言って俺は春巻きを食べた。




 放課後。

 各々が部活へと足を運び、教室に残って勉強したり、駄弁ったりなどと賑やかだった。

 もちろん犬塚も部活へと向かうが、何故か振り返って俺を見てくる。

 俺は少し驚いたがすぐに見つめ返し、何だと訴えかける。

 すると犬塚が微笑み、


 「サンキューな」


 そう言い残し、教室を後にした。

 ふん、律儀な奴。


 「……さて」


 俺は自分の腹を摩り、窓を見た。

 雨雲はなく、それどころか夕日が綺麗に輝き始めている夕暮れ時。

 カラスが飛び交い、窓から部員の集合する人影が見える。

すると萌音も言われた通り俺の机へと来て、不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。


 「唯目、言われた通り準備できたよ。一緒に帰ろ〜」

 「そうだな、帰ろう。それと、少し寄り道する」

 「寄り道?」


 昇降口を出ると、やはりいろいろな部活が活動を始めていた。

 ランニングや道具運び。みんな汗を流しながら熱心に活動していた。


 「凄いねみんな。邪魔しないように気をつけなくちゃ」

 「大会が近いからな、みんな必死なんだろ。けどまぁ、うちはあんまり強い部活ないからな」


 犬塚が大会で負けて丸坊主にするのは恒例行事だし……。

 だが萌音は首を横に振る。


 「いやいや!わたしたちの代は凄く強いよ!なんせ、あの日下部ちゃんが居るんだもん!大丈夫大丈夫!」

 「だってさ、ゆえ

 「なるほど高く買われましたね。これは負けられない」


 萌音の背後、気づけば真顔で頷く一人の女子がいた。

 彼女こそ日下部湯くさかべゆえその人だ。

 空手部部長、成績優秀。おまけに顔も良いときた。空手部達のログインボーナスは、このご尊顔である。


 そんな湯への期待の言葉を、本人の背後で言ってしまった萌音は顔を赤くする。


 「く、日下部ちゃん!?いつからそこに!」

 「「昇降口出た時から」」


 俺と湯の声が重なる。

 訳あって、湯とはお互いの関係自体は変なものだった。その訳とは


 「でも唯目先輩の言う通り、うちも怪しいんですよね〜。なんせ部員が足りない訳で……唯目先輩が出てくれれば、万事解決なんだけどな〜」

 「だから俺は持病で部活動には入れねぇんだよ。てかこの腕は何だ、離れろ」


 湯は俺の腕をガッチリと抱きしめて、離れようとしない。


 「嫌ですぅ!嫌ですぅ!!!」


 そう、コイツは昔から距離が近いのだ。


 しかもこんな夏場に引っ付かれると、こっちまで蒸し暑い。ただでさえコイツはモテるのに、誤解を招かれると色々面倒だ。

 だが湯は、そんな嫌そうな俺の顔を上目遣いに見てくる。なんか嬉しそうだ……。


 「先輩成分を補給しないとやってられないんですよ〜。それに比べて先輩はなんですかっ!デートですかぁ!」

 「うっせ、野暮用があるんだよ。わかったら……離れろっ!」


 俺は勢いよく腕を上げ、湯の拘束を解く。

 「いやんっ」とふざけた声を上げるが、気にせず真顔で湯を見る。

 だが湯もツーンと拗ねた顔で、そっぽを向いた。そして、自分の腕を組み


 「良いもんねー!もう少しで私だって幸せを掴めるんですからっ!」

 「唯目?日下部ちゃんにもう少し優しくしてあげなよ。こんなに可愛いのに可哀想だよ」


 萌音はそう言って、拗ねている湯の頭を優しく撫でた。


 「こんなに小さくて可愛い後輩が、頑張って闘ってる。すごいよ、日下部ちゃん」

 「萌音先輩〜〜〜!」


 湯は萌音へと抱きついて、スリスリと顔を擦り付ける。何故だろう、コイツの太々しさが怖い。


 「日下部じゃなくて、湯でいいですぅー!萌音先輩も唯目先輩とデート楽しんでくださいーーー!」

 「だからデートじゃねぇって」


 ツッコミを入れるが、完全に聞いてない。

 俺は事を進めるべく、萌音に切り上げるように指示しようとした。

 だが、その必要はなくなった。湯が抱擁を辞め、こんな事を言った。


 「ま、唯目先輩みたいなボディガードがいれば安心ですね。萌音先輩、楽しんできてください!」

 「ん、ありがとう!湯ちゃんも、部活頑張ってねー!」

 「もちろんです!では、私はこれでー!」


 そう言ってあっさりと会話を終えた。

 ふむ、いつもと違って物分かりがいいと言うか、空気を読んだのか?

 乙女同士の友情とは、とても不思議なものである。

 何はともあれ、俺と萌音は校門を出た。




 「ここで食おう」

 「春雷麺……まさか唯目っ!」

 「そう、ラーメンだ」


 ラーメン。その単語に、萌音は目を輝かせた。野暮用とは帰り食いの事である。

 店に入ると、カウンターがずらっと並んでいる古びた内装。地元で愛され続ける、最高のラーメン屋だ。

 早速俺と萌音は椅子へ座る。


 「俺はもう決まってるから好きなもの食べな」

 「んー、とは言ってもなー。唯目は?」

 「ミソ大盛り」

 「じゃあ私もそれで」


 俺は手を上げ大将に注文した。

 大将はこっちを見ると嬉しそうな顔で返事をする。

 ここのラーメン屋は大将のこだわりが強く、できるまでに時間も掛かる。

 その間に萌音はこんな事を聞いてきた。


 「唯目はさ、湯ちゃんの事嫌いなの?」

 「……いや、ただ分からない奴だとは思う。無駄に距離が近いし、よく絡んでくる」


 そう、湯はよく分からない。

 初めて会った時も知り合いかのように接してきて、俺を部活に勧誘してきた。

 もちろん、護衛や修行に時間を当てることやこの技術を表に極力出さないためにも、持病で全て通している。


 「湯ちゃんは唯目の事が好きなんだよ。好きな人に近づきたい、触れたいって思うのは当たり前のことだと思うよ」

 「好き……か。けど俺は、アイツに何をした訳でもない。好かれる理由がない」

 「きっかけは人それぞれだよ。自分にとって何気ない事だって、相手からしたら嬉しい事なんだよ」


 そう言って萌音は胸を張る。


 「そういうもんか……?」

 「そういうもの!乙女だもん、その気持ち分かる!」


 自信のある面持ち。


 やはり俺は萌音には敵わないな。

 何が秘術、何が力。今はそう思う。


 最初はこれさえあればいいと思ってた。掟を全うし、自分の存在意義を理解していた。


 だが今は違う。

 どうしても、護衛の任が解かれた後のことを考えてしまう。人の気持ちが理解できない、自由の身になっても尚更息苦しい生活が待っている。


 そう思うと体が震えるのだ。


 「なぁ萌音」

 「ん?」


 俺は自分のバッグを少し見て、萌音に向き直った。


 「俺は人の気持ちが鈍いところがあると思う。でも萌音は魅力的だと、そう思う」

 「ふえっ!?それはどどどどういう!」


 萌音は赤面する。

 だが次は視線を俺に合わせたり逸らしたり忙しなく移動させた。

 俺は構わず話し続ける。


 「それはつまり、これから先お前に大切な友達や恋人。家族ができたとして……」


 どんな顔をして話しているのだろう。

 寂しいのか、悲しいのか。いい感情でない事は確かだ。自分の存在意義に不安を感じているのだから。

 でもだから確かめたい。


 「お前は、俺の友達でいてくれるか」

 「んーーー、やだっ!」


 あっさり。なんともあっさりそう答えた。

 俺はまた、正面へと座り直し自分の手を見た。

 何故……やはり人間関係には優劣やキャパシティがあるのだろうか。まさか、人の気持ちが分からない事がここまで致命的だったとは。

 だがそんな俺の姿に、萌音は焦って訂正する。


 「あ、いや……違くてね!その……できれば唯目には友達というより大切な人でいて欲しいというか……なんというか……」

 「大切な人?それは、親友よかそういう」

 「違う!だから唯目は鈍いの!これ宿題、考えてきて!」


 声を被せて怒られてしまった。

 何やら厨房で大将もため息をついている。

 何だ、盗み聞きとはいい趣味だな。






 腹も満たした帰り道。いつも通り萌音を送っていく。

 俺たちは腹も膨れ、気分がよかった。俺の右を歩いている萌音も、弾んだ足取りだ。


 「いや〜美味しかった〜……しかも唯目が奢ってくれるなんてっ!ご馳走様です!」


 そう言って勢いよく頭を下げた。


 「……でも、何で奢ってくれたの?やっぱり弁当の件?」

 「萌音……人に鈍いとかよく言ったな。今日は萌音の誕生日だよ」


 呆れた俺はそう言ってバックから小さな箱を出した。リボンで結び、誕生日用のパッケージになっている。


 「萌音。さっき、俺は友達のままでは居られないって言ったよな」

 「いや……それは違くてね!?」

 「分かってる。だからこれは、その萌音の言う『大切な人』として受け取って欲しい」


 そう言って俺は、小箱を渡した。

 萌音は不思議そうな顔で俺を見た後、リボンを解いて中身を取り出した。

 中には


 「……猫の、髪留め!」

 「猫好きだろ?」


 萌音は自分の左側に髪留めをつけた。

 綺麗な黒髪が束ねられて、より一層無邪気な素顔が見えやすくなった。


 「似合ってる」


 俺はそう言って笑った。

 萌音も俺の笑顔に何を思ったのか、嬉しそうに髪留めを撫でる。


 「本当にありがとう、唯目!」


 萌音もまた、笑い返してくれた。


 気づけば萌音の家の前まで辿り着いていた。

 家族も恐らく、萌音の誕生日をお祝いする準備でもしてるだろう。俺は黙って見送る。


 萌音は最後に俺に手を振った。

 俺も手を上げて答える。


 さて、俺も家に帰ろうか。




 ……何だ、この異様な気配は。


 萌音を送って十分が経過した。

 俺は何かがすれ違った気配に気付くが、何も居ない。何故だろう嫌な予感がする。

 俺は走り出した。


 なんせ、気配の主は俺の家の方から向かって来た。嫌な想像は膨らんでしまうのも無理はない。

 住宅街の塀を飛び越え、屋根を走り、最短ルートで突き進む。

 俺の家、何事もないだろうな……。


 すぐに幸村家の入り口へと到着した。

 玄関の照明も、襖の灯りもついている。思い過ごし……だろうか。


 そう思い、俺は玄関のドアを開けた。

 するとそこには……


 「おかえりなさいませ、唯目様。今日も任務、お疲れ様です」


 使用人の老婆が頭を下げて出迎えた。


 「……ああ、ただいま戻りました。ご飯は食べてくると連絡したんですが」


 気を張りすぎてたからか、少し反応が遅れた。すぐさまバックを渡し、靴を脱ぐ。


 「ええ、聞き及んでますとも。羽を伸ばされているようで嬉しゅうございます」

 「……確かに最近忙しかったですからね。心配おかけしました」


 そう言って階段を登る。

 どうやら本当に思い過ごしのようだ。普段生真面目な分、羽を伸ばすとどうしても気が抜ききれない。性に合ってないのかもな。


 「ああ、そうそう唯目様」


 不意に老婆に呼び止められ、足を止める。


 「なんですか?」

 「贈り物が届いておりましたので、お部屋までお運び致しました。宛先はご友人からのようですね……中々に重いのでご注意を」


 そう言って老婆は自分の腰を摩った。


 贈り物?萌音からか?

 ……いや、理由が見当たらない。他の奴だとしても、誕生日でもなんでもないはず。

 俺は気になり部屋へと急いだ。


 するとそこには大きな……木箱が部屋に置いてあった。

 何だ、このサイズは。


 俺は後ろポケットからクナイを取り出し、ゆっくり近づく。

 だが箱から生物の気配も爆弾の機械音も感じない。それだけは信じられる。


 俺は木箱の蓋に触れた。

 そして深呼吸……心を落ち着ける。


 部屋の明かりもつけない薄暗い部屋。

 登り始めた月明かりが、窓から入り込み箱を照らしている。まるで、スポットライトのように。


 俺の頬には、一筋の汗が伝う。

 準備はできた、いざ。

 俺は勢いよく箱を開けた。


 だがそこに入っていたのは、俺の家にあってはいけないものだった。


 「……猫の、髪留め?」


 既視感のあるソレは、俺の記憶を激しく抉った。

 ついさっきの記憶、今日の記憶、そして……過去の記憶まで。

 それが、走馬灯のように一気に流れ込んできた。だが、俺の脳は全てを理解していない。


 何故俺の家に髪留めが。萌音のものと同じ。理解が追いつかない。手足が痺れる。そんなはずがない。


 『本当にありがとう!』


 あの笑顔が何故……一体なぜ……!


 何度だって合わせた目。横顔と共に綺麗だった耳。艶やかな髪をまとめる猫の髪留めが、よく似合っている。


 そんなの、俺が知る中で一人しかいない。


 「も……ね……?」


 そこには俺の護衛対象、凪宮萌音の『頭』が入っていた。

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