藍子と神子島はしばらくの間、お互いを見つめ合ったまま黙っていた。

 やがて、神子島が藍子から目を離し、視線を下に落とす。

 藍子は神子島が自分の思った以上に落胆した表情を見せたのが意外だった。

 今の神子島はまるで、小さい子どもが母親に見捨てられたかのような表情をしている。


「そうか。君なら、俺の気持ちをわかってくれると思ったのに」

 神子島はゆっくりと手を動かすと、藍子の頭を撫でた。

 藍子はびっくりしたが、何故か避けることも逃げることもできず、されるがままになってしまった。

「じゃあ、俺たちはこれから敵同士だね。でも、諦めないよ」

 

 その時、藍子はカバンの中で自分のスマホが震えるのを感じた。

 まるでスマホのバイブレーションが催眠術を解く合図だったかのように、藍子はふと身体に自由を感じた。

 神子島から視線を逸らすと、反射的にカバンの中に手を突っ込んでスマホを取り出す。

「あの天尾って言う男からかな? あいつ、いつも俺の邪魔ばかりしやがって」

 神子島の表情はすでに小さい子どもから、不敵な笑みを浮かべた表情に変わっていた。

 藍子は神子島の表情を見て、また身体に鳥肌が立つのを覚える。

 神子島は藍子の頭から手を離すと、自転車にまたがり頭と肩に子猫を乗せたままどこかへと走り去ってしまった。


 藍子は神子島を追いかけようとしたが、上手く走れずに足がもつれ、またその場に転んでしまった。

 身体を起こすと、神子島の姿はもうどこにも見当たらない。


 藍子は神子島がどこかへ行くのに気を取られて、スマホのバイブレーションを長く無視しているのに気付いた。

 スマホを見ると、神子島が言った通り龍司からの着信だった。何回か着信があったみたいだ。

 藍子は慌てて電話に出た。

「はい」

「藍子ちゃん、今、どこ? いや、待って」

 藍子がやけに電話の声が近いなと思って後ろを振り返ると、ちょうど龍司が路地裏に入って来るのが見えた。

「天尾さん!」

「大丈夫? 急にどこかへ行ってしまったから、心配したんだ」

「すみません、実はさっきまでここに神子島って男の人がいたんです」

「あの男が? 大丈夫? 何もなかった?」

 龍司は慌てて藍子の元に駆け寄った。


「大丈夫です。私、急に走ってどこかへ行ってしまって、心配かけてすみませんでした」

 藍子は龍司に頭を下げた。

「ううん。藍子ちゃんが無事なら、それでいいよ」

「ありがとうございます。あのICチップ、やっぱり神子島っていう人が盗んでいました。取り返そうと思ったんですけど、逃げてしまって。さっき天尾さんの頭の上に植木鉢を落とそうとしたのも、めぐみの友達を監禁したのも全部自分だって言っていました」

「やっぱり、そうだったんだ」

「やっぱりって?」

 龍司は持っていたスマホの画面を藍子に見せた。

 スマホの画面にはさっきのあの神子島が、きちんとしたスーツ姿で写っている写真が表示されている。

「さっき見せようと思っていたんだけど、あの神子島って男、東京のIT企業の社長みたいなんだ。道理で『金がない』という割には身なりが良かったはずだし、高い自転車も買えるはずだよ。しかも、前に俺が話した石月っていう人が非常勤で講師していた大学の出身なんだ。怪しいと思ったけど、やっぱり石月っていう人と繋がりがあったんだ」

「確かにあの人、石月という人と知り合いだと言ってました」

 龍司はスマホに保存されている神子島の情報のいくつかを藍子に見せた。

 藍子はそのうちの一つの写真を見て、思わず「あっ!」と声を上げた。

 小さい頃の神子島が笑顔で子猫を抱いて、神子島の母親らしい女性と一緒に写っている写真だ。


「この写真」

 藍子は神子島の母親らしい女性に見覚えがあった。

 神子島の母親らしい女性は、占いサロンの入り口に貼ってあるポスターの藍子の写真にとてもよく似ている。

 隣りで子猫を抱いている子どもの頃の神子島は母親に良く似ているし、今の神子島も写真の母親に良く似ていた。

 こんなに自分と神子島の母親が似ているなんて。だから、あんなに自分をまじまじと見つめていたのだろうか、と藍子は思った。

「うん、確かに似ているよね。この写真、昔、週刊誌に載ったことがある写真みたいなんだ」

「どうしてこの写真が週刊誌に?」

 IT企業の社長と言っていたから、インタビューか何かを受けた時に使った写真なのだろうか、と藍子は思った。


「あの男、新潟出身らしいんだけど、小さい頃に家が原因不明の爆発を起こして、母親や家族みんなが犠牲になったらしいんだ。あの男は学校に行っていたから無事だったらしいけど。この写真はその事故を報道した時の週刊誌の写真」

「そう、だったんですね」

 藍子は神子島が最後に何とも言えない落胆した表情をしていたのを思い出した。

 事故で亡くした母親に自分が似ていたから、あんなにもまじまじと見つめていたのだ。

 そして、そんな自分が神子島の仕事を手伝うのを拒否したから、あんなに落胆した表情をしたのだろう。

 それこそ、母親に見捨てられた子どものように。


「今、その事故も調べているんだ。家が爆発した原因が本当に不明らしい。ネットで見るといろいろと憶測が書いてあるんだよ。あの神子島の父親が問題のある人間だったらしいんだけど、怒ると近くにあるコップとか窓ガラスとかが何もしていないのに割れたらしいんだ。だから、爆発もそれが原因じゃないかって」

「えっ? それって」

 もしかして、神子島の父親は手で触れなくても物を動かしたり壊したりできたのだろうか。

 そうすると、神子島の父親も自分や須佐や龍司の事務所の元所長と同じように、特殊な体質の持ち主だったことになる。

 そして、特殊な体質が原因で家が爆発してしまい、神子島以外の家族が亡くなってしまったというのだろうか。


「うん。もちろん、憶測ではあるけど」

「そう言えば、あの神子島っていう人、特殊な体質を消す仕事をしていると言ってました。須佐さんや天尾さんの事務所の元所長の体質を消したのは自分だと言ってました」

「本当? まさか、元所長を行方不明にしたのも」

「私もそう思ったんですけど、『あの男がどこへ行ったかなんて、俺は知らない』って言っていました。

 そのネットの話が本当なら、あの人、家族が父親の特殊な体質で亡くなってしまったから、体質を恨んでいるのかもしれないですね。だから、体質を消す仕事をしているのかもしれません。

 あの人、私に特殊な体質を消す仕事を手伝わないかって言って来たんです。私の体質もこの場で消してあげるって言われて。でも、どっちも断りました」

「断った?」

「はい。私、天尾さんの仕事を手伝います。だから、断りました」

 藍子は龍司の瞳を真っすぐに見つめながら言った。

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