⑬
神子島は相変わらず不敵な笑みを浮かべながら、藍子を見下ろしている。
「消す仕事って、あなたが天尾さんの事務所の元所長や須佐さんの体質を消したの?」
「そう。江南区の外れに石月っていう哀れな老人が住んでいたけど、あいつが東京で特殊な体質を研究している時に近付いて、体質を消す技術を盗み出したんだ」
「石月って」
前に龍司が話していた男のことだ、と藍子は思い出した。
普通の人間が未来を予想できるようになるにはとか、そういう体質を持つにはどうしたら良いのかという研究もしていたらしいと龍司が言っていた、あの男だ。
「この間、あの石月って男が住んでいた家が取り壊されるからって、石月の家に行ってみたんだよ。石月が極秘で研究していた特殊な体質のデータを整理しようと思ってね。そしたら、石月の妹が石月の研究目当ての来客が二人も来たって言うじゃないか。
一人は石月の部屋に忍び込んだんだって? よくよく話を聞いてみたら、俺のところに『未来が見える体質を消してほしい』って頼みにきた須佐だよ。せっかく体質を消してやったのに、恩も忘れて石月の部屋から体質を戻せるICチップを盗みやがったんだ。
そして、もう一人は天尾龍司だっけ? あの探偵事務所の今の所長だよ。あの事務所の前の所長はとんでもない奴だったけどね。俺に『特殊な体質を消すのはやめろ』って言ってきたんだ。だから、あいつの体質を消してやったんだ。完全には消えなかったけど。まあ、俺の記憶はなくなったみたいだったから、ちょうど良かったかな?」
やはり、龍司の事務所の元所長の体質を消したのは神子島だったのか。
藍子は自分の額に緊張のためか恐怖のためかはわからないが、汗がにじんでくるのを感じた。
「まさか、天尾さんの事務所の元所長を行方不明にしたのはあなたなの?」
「それは違うよ。あの男がどこへ行ったかなんて、俺は知らない」
「本当に?」
「本当だよ。君の前では嘘はつかない。だって、これから俺の仕事を手伝ってもらうんだ、お互い正直でないと」
神子島は言いながら、藍子に一歩近づいた。
藍子は神子島から離れようとしたが、また身体が金縛りにあったかのように動かなくなった。
神子島の瞳から視線が離せない。
何て黒くて深い色なんだろう、と藍子は神子島の瞳を見ながら思った。
一度入ったら二度と戻って来られないのではないかと思うほど、黒くて果てしなく深い色の瞳だった。
「どうして、私にあなたの仕事を手伝ってほしいの?」
「だって、君が自分の体質を相当嫌っているだろうから、俺と同じだと思って。君は須佐とずっと一緒にいたんだよね? 俺も須佐とは学生の頃からの知り合いでね。それでも、君を調べるのは苦労したよ。ICチップは須佐が渡すなら君しかいないと思ったけどこの通りさ。
君は自分の体質を消したいと思っているんだろう? そういう人間なら、喜んで俺の仕事を手伝ってくれると思ったんだよ。占いをやっているからまさかとは思ったけど、占いで自分の体質を使ってはいないみたいだし。
これから、全世界のあらゆる特殊な体質を消してしまう予定なんだ。もちろん、君の心の声が聞こえる体質も」
「私の?」
「そう、君の体質も。もしなら、この場で消してしまっても良いけど?」
藍子は神子島の言葉に、一瞬思考が止まった。
自分の心の声が聞こえる体質を消してもらえるなんて、少し前の自分なら願ってもない話だ。
神子島の特殊な体質を消す仕事だって、手伝おうと思ったかもしれない。
自分と同じようにつらい思いをする人間を救うために。
でも、藍子は神子島が今の自分に体質を消す話を持ちかけてくれたのに感謝した。
少し前の自分なら、話を振られてそのまま特殊な体質を消して、後で須佐のように後悔していただろう。
今の自分は、前の自分とは違う。
「消しません」
藍子は動かない身体のまま、目だけはしっかりと神子島を捉えていた。
「えっ?」
「消しません。私、自分の体質は消しません。あなたの仕事も手伝いません。私はこのままの自分でいます」
藍子は言いながら、今の言葉は誰のために言っているのだろうかと考えた。
あの一言もしゃべらなかった子がいた養護施設を存続させたいと願っている龍司のためなのか。
それとも、自分に後悔してほしくないと思って、リズのサインCDにICチップを入れてプレゼントしてくれた須佐のためなのか。
もちろん、この二人のためだということもあるかもしれない。
でも、今の言葉は、誰のためでもなく自分のために言ったものだった。
自分が後悔したくないから、自分が大切な人を失いたくないから、だからこのままの自分で生きて行こう。
龍司の言った通り、弱い自分のままでも怖いと思っている自分のままでも、それこそ偽善者みたいな自分のままでも良い。
今の自分を全て受け入れて、今のままの自分で生きて行こう。
藍子はそう思った。
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