「藍子ちゃん、どうしたの?」

 龍司に声を掛けられて、藍子は我に返った。

 顔を上げると、須佐と同じ瞳の色をした龍司が自分を見下ろしている。

「いえ、その」

 藍子が言いかけた時、廊下の向こうからビルの管理人らしき人が龍司を呼んだので会話は中断した。


 龍司はビルの管理人の近くへ行って少し話すと、藍子のところへ戻って来た。

「ビルの人、これから警察呼ぶって言っていた。藍子ちゃん、今日はバイトどうする? さすがに危ないかもしれない」

 確かにこんな物騒なことがあった後にバイトへ行くのは危ないかもしれない。

「そうですよね。でも、天尾さん、『あの人の縛られ方、めぐみちゃんの友達と全く一緒』って言っていましたよね? めぐみの友達が監禁されたのは私とは関係なさそうですし、そうすると、今の出来事は私を狙ったというわけではないような気もします」

 藍子は言いながら、では、どうして今度は龍司が狙われたのだろうか、と不思議に思った。

「あのめぐみちゃんの友達が監禁されたこと、考えてみたんだけど、あれはめぐみちゃんの友達を狙ったんじゃないのかもしれない」

 龍司が言うのを聞きながら、藍子はさっき電車の中でめぐみが言った言葉を思い出した。


(藍子が着ているワンピースって、あの時と同じのだね。友達と藍子って背格好がちょっと似ていて髪型も同じ感じで、あの時服装も似ていたから、一瞬『あれ? 藍子?』って思っちゃった)

 めぐみが言った時、何か引っかかるものを感じたが、そういうことだったのか。


「もしかして、めぐみの友達と私を間違えて監禁してしまったのでしょうか?」

「うん。監禁した人間はめぐみちゃんの服を目印にしたんだと思う。まさか、あの後にめぐみちゃんが別の友達と一緒になるなんて思わないだろうし。藍子ちゃんとめぐみちゃんの友達の服装とか体型とか、よく似ていたしね。夜だから、例えば後ろから襲ったりしたら、間違えてもおかしくない」

 めぐみの友達が監禁された日、藍子とめぐみの友達は紺色の服を着ていた。反対にめぐみは白地にイチゴ柄のワンピースを着ていたし、髪の色だってブリーチしているからパッと見て目立つ。

 監禁した人間が「あの派手な服装と髪の女の子の隣」と目星をつけたのであれば、自分とめぐみの友達を間違えてしまう可能性はあるだろう。


「じゃあ、あのめぐみの友達が監禁されたのは、めぐみの友達や無差別に誰かを狙ったのではなくて、私を狙ったんですね」

 藍子は言いながら、思わず寒気を覚えた。

「そう、だから」

 龍司は言いかけて、突然何か思いついたような表情をした。「藍子ちゃん、カバン! カバン、外においたままだよね?」

「あっ!」

 藍子は慌ててビルの出入り口に向かって走りだした。

 さっき落ちてくる植木鉢から避けさせようと、龍司を突き飛ばした時にカバンを投げ捨ててそのままだ。


 あのカバンの中には、須佐の『後悔したら、使って』というメモと一緒に、特殊な体質を取り戻せるであろうICチップが入っている。

 

 藍子はビルの外に出ると、慌てて辺りを見渡した。

 カバンはさっき龍司を助けるために投げ捨てた場所から離れた、ビルの入り口の横に移動している。

 藍子は息をのんだ。

 でも、通りすがりの人が通行の邪魔になると思って、ビルの入り口の横に置いてくれたのかもしれない。


 藍子は恐る恐るカバンの中を開けてみた。

 カバンの中に入っているものの位置が、いつもと違う。明らかに誰かが漁ったような気配がある。

 でも、財布やスマホなどの貴重品はちゃんと入ったままだ。

 藍子は須佐の『後悔したら、使って』と書かれたメモとICチップが入っている、タロットカードをしまっておくポーチを開けてみた。

 須佐の『後悔したら、使って』というメモは残ったままだ。

 でも、一緒に入れておいたはずのICチップはなくなっている。

 藍子は慌ててカバンの中を探ってみたが、ICチップはどこにもない。


「藍子ちゃん」

 龍司が後ろから声を掛けてきた。

「ないんです」

「えっ?」

「ないんです。あのICチップが、なくなっているんです。ICチップだけなくなっているんです! 財布とかタロットカードとかはあるのに。どうしよう、私、何てひどいことをしてしまったんだろう」

 藍子は今にも泣き出してしまいそうな声を出した。

「ひどいこと? でも、ICチップは盗まれたんだし、藍子ちゃんは何も悪くないよ」

「いえ、ひどいです。私、やっと、本当にわかったんです。須佐さんがどうしてICチップを私に渡したのか、全部、やっとわかったんです。私、今まで須佐さんの気持ちを全然理解してなかったんです。

 須佐さん、奥さんが病気になった時に自分の体質を消したのを後悔したんです。体質を消していなければ、奥さんの病気を予知できたのに、大切な人を救えたのにって。私だって、さっき天尾さんを助けられなかったら絶対に後悔すると思います。

 でも、私がいつまでも自分の体質を受け入れなかったから、あのICチップをリズのサインCDに入れて託すしかできなかったんです。

 須佐さんが生きている内に私が自分の体質を受け入れていたら、須佐さんのつらさとか悲しさとか聞いてあげられたのに。

 私、自分のことばっかりで須佐さんの気持ちなんて、これっぽっちも理解してなかったんです。本当、なんてひどい人間なんだろう」


「そんなことないよ」

 龍司は目に涙を浮かべながらまくしたてる藍子を止めるように腕を掴んだ。「須佐さんだって、藍子ちゃんがどうして自分の体質をいやがっていたかはわかっていたはずだよ。それに、今、理解したじゃないか」

「でも」

 藍子は溢れてきた涙を手の甲で拭うと、そのまま龍司の手を振り解き、後ろを向いて走り出した。

 龍司が後ろで何か言ったような気がしたが、藍子は自分の胸の鼓動ばかり耳に入って来て、何を言っているのかわからない。


 龍司と顔を合わせられない、と藍子は思った。

 自分は本当にひどい人間だ。

 須佐の気持ちを理解できなかった上に、須佐が自分に託したICチップまで盗まれてしまうなんて。

 龍司は自分と同じように怖いと思っていても、自分の怖さを受け入れて、ちゃんと自分のできることをやっているのに。

 自分は本当に、何てひどくて情けない人間なのだろう。

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