墓地から龍司の事務所があるビルの駐車場に戻った藍子は、龍司にさっきまでの礼を言って車を降りた。

 藍子がまだ早いけどバイトへ行くと言うと、龍司は近くまで一緒について行くと言った。

「この間、藍子ちゃんがカバンをひったくられた場所をもう一度見ておこうと思って」

 龍司が藍子のバイト先への道を歩きながら言った。

 空はまだ灰色に煙っているが、雨は止んでいる。

 道路の一部も乾き始めていた。

「やっぱり、あの神子島かごしまっていう男の人が気になるんですか?」

「うん、あれからいろいろと調べたんだけど、調べれば調べるほど気になって。今日は藍子ちゃんにその話もしようと思っていたんだ。ちょっと、見てほしいんだけど」

 龍司は立ち止まると、スーツの胸ポケットからスマホを取り出して、藍子に見せようとした。


 その時、藍子は自分の頭上から、誰かが心の中で叫んでいる声が聞こえたような気がした。

 藍子は気のせいだろうかと思ったが、次に聞こえたのはもっとはっきりとした男性の心の声だ。


 ――何するんだ!


 藍子が上を見上げると、龍司目がけてビルの窓から大きな植木鉢が落ちてくるところだった。

 藍子はとっさに持っていた自分のカバンを投げ捨てると、隣にいる龍司を夢中で突き飛ばす。

 藍子と龍司が道路に倒れると同時に、植木鉢が道路に落ちて砕ける音が響いた。


 突然、藍子に突き飛ばされた龍司は、最初はどうして自分が突き飛ばされたのかわからないような表情をしていた。

 でも、すぐ近くで植木鉢が砕ける音が聞こえて状況を理解したらしい。

「あのビルの窓から『何するんだ!』って心の声が聞こえたんです。で、上を見たら、植木鉢が落ちてきて」

 龍司は道路から起き上がると、ビルの中へと駆け込んで行った。

 藍子も龍司の後に続く。心の声が聞こえてきた部屋がどこなのか、龍司に教えた。

 心の声が聞こえてきた部屋のドアを開けると、若い男性が手元や口元を縛られている状態で床に座っている。

 藍子と龍司は部屋の中を見渡したが、縛られている男性以外には誰もいない。

「大丈夫ですか?」

 龍司が若い男性に駆け寄って縛られている手元や口元を解くと、男性は震える声を出した。

「誰かが後ろからいきなり襲って来たんです。俺のことを縛って、窓から植木鉢を」

「そいつはどこへ?」

「植木鉢を落としてすぐに部屋を出ると、どこかへ行ってしまいました」

 龍司は男性の言葉を聞いて廊下に出ると、周りを見渡した。

 藍子も龍司の後ろから恐る恐る見てみたが、廊下には誰かがいる気配はない。

「誰もいない。とりあえず、ビルの人に連絡しよう」

 龍司はそう言うと、藍子に手招きした。

 藍子が龍司の近くに行くと、龍司は藍子に顔を近づけて小声で言った。

「あの人の縛られ方、めぐみちゃんの友達と全く一緒だった。多分、同じ人間がやったんだよ」

 藍子は思わず龍司の顔を見上げた。


 

 ビルの管理人室へ行き、縛られていた若い男性を管理人に任せると、龍司が藍子の元へ戻って来た。

「ありがとう」

「えっ?」

 藍子は龍司に突然お礼を言われて戸惑った。

「ありがとう。藍子ちゃんが上から植木鉢が落ちてくるのに気付かなかったら、絶対に怪我をしていた。本当にありがとう、助かったよ」

 藍子は龍司を見上げながら、今更ながら確かに龍司の言う通りだと思った。

 あの大きさの植木鉢が頭の上に直撃していたら、どんなに少なく見積もっても無傷ではいられなかっただろう。


(もしも、自分が植木鉢に気付かなかったら、天尾さん、絶対に怪我をしていた)

 いや、怪我だけで済まなかったかもしれない。

 藍子はそう考えると、自分でも驚くくらいの恐怖の感情が沸き起こって来た。

 何だか、自分の一部が無くなってしまうかのような気持ちだ。

 どうして、こんな気持ちになってしまうのか、藍子は自分でも不思議だった。

 自分にとって、龍司はいつの間にこんなにも大切な存在になっていたのだろうか。

「いえ、そんな。天尾さんに何もなくて、本当に良かったです」

 藍子は言いながら、もし植木鉢が落ちてきた時の自分に心の声が聞こえる体質がなかったらと考えた。


 もし、元所長や須佐の体質を消したであろう人物に、体質を消されたあとだったら。

 あの縛られていた若い男性の心の声が聞こえず、自分は龍司を助けられなかっただろう。


 元々、自分に心の声が聞こえる体質がなかったならまだしも、意識的に体質を消していたら今の自分は絶対に体質を消したことを後悔する。


(須佐さんと同じだ)

 須佐も自分の未来が見える体質が消えて、最初は自分がいやがっていた体質がなくなって良かったと思っていたのだろう。

 でも、妻が病気になって、体質を消していなければ妻の病気がわかって助けられたかもしれないと思った時、そして妻が病気で亡くなってしまった時、後悔したのではないだろうか。

 自分の大切な人を救えるチャンスがあったのに、そのチャンスを自分のいやという気持ちだけで消してしまって、後悔したのではないだろうか。


(だって、今の自分が須佐さんと同じ立場だったら、天尾さんを助けられなかったって絶対に後悔する)

 だから、須佐は自分に「体質には慣れたかな?」と訊いていたのだ。

 慣れてほしかったのだ、特殊な体質に。

 自分の心の声が聞こえる体質に慣れて、体質を受け入れてほしかったんだ。

 須佐のように、いやという感情だけで消してしまって後悔しないように。


 でも、自分は須佐の気持ちを理解しなかった。

 自分の心の声が聞こえる体質を受け入れようとしないで、いやがって拒否ばかりしていた。

 だから、須佐は体質を消した後に妻が亡くなって後悔したと言えなかったのだ。

 リズのサインCDにこっそりと体質を復活させられるICチップを入れて、自分にプレゼントするしかできなかったのだ。


 自分が須佐の生きている間に自分の体質を受け入れていれば、須佐はもっと自分にたくさんのことを話してくれたかもしれない。

 須佐が未来の見える体質を復活させていたのであれば、自分の死期だって見えていたはずだ。

 もうすぐ死ぬとわかっている須佐の悩みやつらさを聞いてあげられたかもしれない。

 同じ特殊な体質を持っている人間同士として、いろいろなことを共有できたかもしれない。

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