④
「うん。で、俺が友達がって言ったから、店員も油断していたのかな? iPadで自転車の品番を調べてもらっている時に、登録されてる名前が見えたんだ。あの男、
「カゴシマ?」
「もちろん、本当の名前じゃない可能性が高いけど。でも、神子島って書いてカゴシマって読む珍しい苗字を偽名で使うのも変だし。それで今、もっと詳しく調べているんだ。何かわかったらまた藍子ちゃんにも教えるよ」
「ありがとうございます。すみません、お仕事忙しいのにそんなに詳しく調べてもらって」
「気にしなくていいよ。俺もあの男が気になるんだ。『カバンを盗めば、金をやる』って言われた割には高い自転車買っているし。ビアンキの自転車、結構するんだよ。少なくとも藍子ちゃんのカバンをひったくったのは、金目当てではないね」
「じゃあ、やっぱりあの男が須佐さんのICチップを狙っているんですか?」
「可能性はあると思う。もし、あの神子島って男がICチップを狙っているなら、この事務所の元所長のことも何か知っているかもしれないし、だからあの男を調べているんだよ」
そういうことか、と藍子は納得した。
あの神子島という男が須佐の体質を取り戻したICチップを狙っているなら、神子島はあのICチップがどういうものか知っていることになる。
龍司の事務所の元所長は、誰かに心の声が聞こえる体質を消され、消された後に行方不明になった。
神子島が須佐の体質を取り戻したであろうICチップを狙っているのなら、元所長のことも何かしら知っている可能性は高い。
「そうすると、あの神子島っていう男の人、元所長や須佐さんのことだけでなく、特殊な体質に関してのこととか他のこととか色々と知っているかもしれないですね」
「そうだね」
龍司が藍子の前のテーブルに紅茶の入ったカップを置く。
アールグレイの香りに混じって、微かにアンジェリークの香水の匂いも漂ってきた。
藍子はさっき須佐の名前を口に出し、ふとICチップと一緒に入っていた須佐のメモのことも思い出した。
「ICチップと一緒に入っていた須佐さんの『後悔したら、使って』と言うメモ、どういう意味なんだろうってずっと考えているんですけどわからないんです」
藍子はカバンからタロットカードの入っているポーチを取り出した。
カードと一緒に入っているICチップと、『後悔したら、使って』と須佐が綴ったメモを取り出す。
「それは、藍子ちゃんが知っているかもしれない」
「えっ?」
藍子は須佐のメモから目を離すと、自分の向かいのソファに座った龍司を見上げた。
「わざわざリズのサインが書いてあるCDに、細工までして入れたメモだよ。重要なメッセージだと思うし、藍子ちゃんならその意味がわかると思う。ただ、気づいていないだけかもしれない」
「気付いていないだけ」
「そう、気づいていないだけ。思い出してみて、須佐さんとずっと一緒にいた藍子ちゃんだったら、わかるかもしれない」
龍司に言われて、藍子はもう一度、須佐のメモに目を落とした。
『後悔したら、使って』
後悔したらとはどういう意味なのだろうか、と藍子は考えた。
そして、なぜ須佐は自分が後悔すると思ったのだろうか。
今のところ、藍子が後悔しているのは、亡くなる前に須佐に好きという気持ちを告白しなかったことだろうか。
でも、確かに後悔していると言えばしているが、さすがに須佐が告白しなかったことに対して『後悔したら、使って』なんて言わないだろう。
(そうすると、須佐さんも何かに後悔していたとか?)
大体、誰かが誰かに後悔しないようにと忠告する時は、自分が何かに後悔したが他人には後悔してほしくないから言うパターンが多いような気がする。
藍子は須佐が後悔していたのは何だろうか、と考えてみた。
もしかして、須佐の妻が病気で夭折したことだろうか。
須佐は亡くなった自分の妻を語る時、いつも悲しそうな表情をしていた。
まるで妻が亡くなったのは自分のせいであるかのような口調で話していた。
あの時の自分は、須佐の悲しそうな表情を見る度に告白できないとしか思えなかったが、今考えてみると引っかかるものがある。
須佐の妻は病気で夭折したはずだ。
例えば、須佐が不注意で事故や怪我を起こして妻が亡くなったというのなら、自分のせいと思うのはわかる。
でも、病気なら須佐のせいではないはずだ。
なのに、どうして須佐は妻の死を自分のせいであるかのように語っていたのだろうか。
(自然に消えたかどうかはわからないけど、一度未来が見える体質は消えて、石月という人の家から持ち出したこのICチップで)
(未来が見える体質を取り戻したということですか?)
藍子はふと、この前の龍司との会話を思い出した。
もしかして、と藍子の頭に一つの考えが浮かんだ。
もちろん、今浮かんだ考えは仮説にすぎない。
でも、だから須佐は『後悔したら、使って』というメモを残したのではないだろうか、と藍子は思った。
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