5.For No One

(誰かが自分を追いかけている!)


 そんな夢を見て、藍子は目を覚ました。

 額に滲んだ汗を手の甲で拭いながら身体を起こす。

 龍司に話を聞いてもらった昨日と今日、二日連続で誰かに追いかけられる夢を見てしまった。


 藍子は思いついたようにベッドから飛び出ると、机の中からタロットカードの入っているポーチを取り出してファスナーを開けた。

 ポーチの中には愛用のタロットカードと一緒に、リズのサインCDに入っていたICチップがちゃんと収まっている。

 藍子は胸をなで下ろした。


 藍子はICチップをまじまじと見つめた。

 こんな小さいICチップが、もしかすると自分や須佐の特殊な体質を復活させることができる道具になるかもしれないのだ。

 そして、このICチップを誰かが狙っているのかもしれない。


 藍子は龍司と事務所で話をして以来、かなり気を付けて日常を過ごしていた。

 大学へ行く時もわざと人がたくさんいる道や時間を狙って行くようにしている。なるべく一人にならないようにしているし、家にいる時もICチップを自分の近くに置くようにしていた。

 藍子が気を付けているからなのか、別の理由なのかはわからないが、一昨日占いサロンの個室が荒らされたのを最後に、奇妙な出来事はぴたりと起こっていない。


 どうして奇妙な出来事が起こらなくなったのだろうか、と藍子は不思議だった。

 起こるのを期待しているわけではない。むしろ、このまま何事もなく時が過ぎてもらいたい。

 でも、ここまでぴたりと起こらなくなってしまうと、返って不気味だった。


(嵐の前の静けさって、もしかしてこんな感じなのかな?)

 藍子は心の中で呟くと、自分の言葉を打ち消すように首を左右に振った。

 今日は占いのバイトがある日だ。

 藍子はかなり敏感な人間で、周りの環境に心をかき乱されやすい。占いにはかなりの集中力が必要だし、雑念に囚われてしまうと結果にも響いてしまう。

 藍子はなるべく奇妙な出来事やICチップのことは考えないようにしながら、身支度を始めた。



 自宅の最寄りの駅から電車に乗って、バイト先のサロンがある新潟駅方面へと向かう。

 平日夕方前の新潟駅は、それなりに人であふれていた。

 藍子は改札口を抜けると、周りを用心しながらバイト先の占いサロンへの道を急いだ。

 一見すると、怪しそうな人はいない。

 スーツを着たビジネスマンや制服を着た高校生や買い物に来た主婦など、いつもと変わらない新潟駅の光景だ。

 藍子は少し安心した。

 それでも、駅構内を抜けて占いサロンへ続く欅の通りに入ると、一気に人の数が少なくなる。藍子は再び用心し始めた。


 藍子が早くサロンへ行こうと早足に歩いていると、自分の足元に何かがいる気配を感じた。

 驚いて自分の足元を見ると、一匹の猫が自分の足元を駆け抜けて行くところだった。

(何だ、猫か)

 藍子がほっとして猫を見ていると、猫は少し先にある路地裏へまっしぐらに駆けて行った。

 猫が駆けて行った路地裏は、前に自分のカバンをひったくった男が龍司に捕まった場所だ。

 藍子は何となく胸騒ぎを感じた。

 あの路地裏の前を通りたくない気持ちが沸き起こって来る。

 でも、あの路地裏の前を通らないと、占いサロンへ行く道はかなり遠回りになってしまう。

 藍子は決心して路地裏の前を通ろうとしたが、何かに気づいて一旦歩みを止めた。

 恐る恐る路地裏の中を覗き込む。


 路地裏の中に猫がたくさんいる。

 十匹くらいはいるだろうか。多分、首輪をつけていないから野良猫だろう。

 そして、猫に取り囲まれるように、男が一人しゃがみ込んでいた。


 男の顔はちょうど影になってしまって良く見えない。

 たくさんいる猫は、男にすり寄ったり甘えた声を上げたりして懐いている様子だった。男も猫たちの頭や背を撫でて可愛がっている。

 どうして野良猫があの男にこんなにも懐いているのだろう。藍子が不思議に思っていると、男がふと立ち上がって空を見上げた。

 男に光が当たって、顔が見える。

 藍子は「あっ」と声を上げそうになった。

 あの男、この路地裏で自分のカバンをひったくった男だ。


(前に名刺渡したけど、何かあったらいつでも連絡しても良いから)

 藍子は一昨日の別れ際にかけられた龍司の言葉を思い出した。

 龍司に連絡しようと思ったが、身体が金縛りにあったように動かない。

 身体は動かないのに、心臓の鼓動だけがドクドクと激しく波打っている。

 幸い、男は藍子に気付いていないようだった。空を見上げていた顔を足元に戻すと、猫たちに優しそうな眼差しを向けた。

「雨が降ってきた、またね」

 男が猫たちに軽く手を振ると、猫たちは名残惜しそうにどこかへと去って行く。

 男も路地裏の向こう側へ歩いて行くと、どこかへと消えてしまった。

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