「事務所まで来てもらって、ごめん。でも、久住さんの店だと誰かが聞いているかもしれないから、事務所の方が良いと思ったんだ」

 龍司が藍子の向かいに座りながら言った。


「いえ、こっちこそすみません。こんな遅くまで付き合ってもらって」

 藍子は龍司の言葉に引っかかりを感じた。

 龍司は「誰かが聞いているかもしれない」と言った。久住の店ではなく龍司の事務所に場所を変えなくてはいけないほど、自分たちは誰かに聞かれてはまずい会話をしていたようには思えない。

 リズのサインCDに入っていたICチップは、そんなに重要なものなのだろうか。

「気にしなくてもいいよ。リズのサインCDを見せてくれたお礼だと思ってくれればいいから」

「ありがとうございます」

 藍子は龍司に頭を下げた。


「じゃあ、早速だけど、あのリズのサインCDをもらった経緯を教えてもらっても良い? 『高校二年生の時にすごくお世話になった人に誕生日プレゼントでもらった』って言っていたけど、プレゼントしてくれたのはどういう人?」

「私の占いの先生の親戚の方です。私よりもずっと年上で、アドラーのメンバーと同級生だと言っていました。カメラマンをやっていて、須佐真人すさまことさんという……」

「須佐真人?」

 龍司が突然驚いたような声を出す。

 藍子は思わず龍司の顔をまじまじと見つめた。

 突然雨が降って来ても、藍子のカバンをひったくった男を捕まえた時も何でもないような表情をしていた龍司が、明らかに驚いた表情をしている。

 龍司は須佐を知っているのだろうか。

 名前を聞いて驚くほどの何かを知っているのだろうか。

「あの、天尾さん、須佐さんを知っているんですか?」

 龍司は少し黙っていたが、やがて藍子に身体近づくと、口を開いた。

「もしかして、その須佐真人さんは藍子ちゃんみたいな体質を持っていたんじゃないのかな? 未来が見える体質を」

 

 今度は藍子が驚く番だった。

 どうして龍司は、須佐に未来が見える体質があったと知っているのだろうか。


 須佐は確かに未来が見える体質を持っていた。

 でも、藍子と出会った頃にはすでに体質は自然消滅したと言っていたし、須佐がかつて持っていた体質を誰かに口外しているような気配はなかった。

 むしろ、藍子と同じように誰に対しても隠していた感がある。

「どうして、それを? 確かに須佐さんには私みたいに未来が見える体質があったみたいです」


 龍司はビジネスバッグからMacBookを取り出すと、藍子の隣に座り直した。

 テーブルの上にMacBookを置き、デスクトップにあるフォルダを一つ開く。


 藍子がMacBookの画面を覗いてみると、龍司が開いたフォルダには『石月宗一郎いしづきそういちろう』という人物について調べた画像や文章が入っている。

「この石月宗一郎という方は?」

「この事務所の元所長が行方不明になったことに関係しているかもしれない人」

「元所長の?」

「うん。元所長がどこに行ったかずっと探しているんだけど、探している内にこの人を見つけたんだ。昔、東京の科学研究所で働いていて、人が心の中で何を考えているのかを知る方法とか、未来にどんなことが起こるのかを予想する方法とか、そういうことをずっと研究していたらしい。あくまでうわさだけど、普通の人間が未来を予想できるようになるにはとか、そういう体質を持つにはどうしたら良いのかという研究もしていたらしい」

 それって、つまりは自分や元所長や須佐が持っている特殊な体質を研究していたと言うことなのだろうか。

 藍子はMacBookのデスクトップに写っている石月宗一郎の写真を改めて見た。

 見た感じ、どこにでもいるような普通の老人だ。

 心の声を聞くとか未来を予想するとか、そんな俗に言うオカルト的なことを研究していたような人には見えない。


「もしかして、元所長さんはこの方に……」

「ううん、元所長が行方不明になった時には、この石月という人はもう亡くなっていたんだ。直接関係はないと思う。でも、何か手がかりがあるかもしれないと思って、この人が住んでいた家に行ったことがあるんだ。

 江南こうなん区の外れに家があって、妹さんが一人で住んでいた。石月っていう人はずっと東京で研究をしていたけど、晩年病気になって、生まれ育った江南区に戻って療養していたらしい。

 妹さんがいろいろと話しを聞かせてくれたよ。妹さん、近いうちに子供と同居するから、もうすぐ家を引き払うと言っていたな。俺が探偵をやっているって言ったらすごく興味を持って、『兄目当ての客はほとんどいないけど、前にもあなたと同じように兄の話を聞きたいっていう人が訪ねてきた』って言い始めたんだ。

 その訪ねてきた人、妹さんが家を離れた隙に、石月っていう人が使っていた部屋を漁ったみたいでずっと気になっていると言っていた。

 妹さんがその部屋を漁った人の名刺を見せてくれたんだけど、そこには『須佐真人』って書いてあった」

「えっ? 須佐さん?」

 藍子は思わず声を上げた。


 今、龍司は確かに「妹さんが家を離れた隙に、石月っていう人が使っていた部屋を漁った」と言っていた。

 須佐が他人の家の部屋を漁ったなんて、本当だろうか。

 須佐は少なくとも、他人の家の部屋の中を勝手に漁るような人間ではない。

 それは藍子がよく知っている。

 須佐がそんな犯罪めいたことをするなんて、もしかすると、須佐には何かよっぽどの事情があったのかもしれない。

 他人の家の部屋を勝手に漁らなくてはいけないほど、切羽詰まっていたのかもしれない


「うん、妹さんが『カメラマンで取材したい』と来たと言っていたから、藍子ちゃんの知っている須佐さんで間違いないと思う。そうだな、きっと何かよっぽどの事情があったのかもしれない」

 龍司の「よっぽどの事情」と言う言葉。

 多分、自分は「まさか、須佐さんはそんなことをしない」という表情をしていたのだろう。

 龍司は「切羽詰まった事情」と言って、気を使ってくれたのだ。

 初めて会った時に、自分の心の声が聞こえるのをかばってくれたように。


「そう、ですよね。何か事情があったんだと思います。須佐さん、理由もなくそんなことをする人ではないので」

「うん、事情があったんだろうね。それで、今度はその須佐さんが気になって調べてみたんだ」

「須佐さんを、ですか?」

 龍司が須佐を調べたなら、自分の知らない須佐を知るチャンスかもしれない、と藍子は思った。

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