③
藍子と龍司が一緒に『Penny Lane(ペニーレイン)』に入ると、カウンターにいた久住が心配そうに藍子に話しかけて来た。
「藍子ちゃん、聞いたよ、泥棒のこと。大丈夫?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
藍子が笑顔で答えると、久住はほっとした表情を見せる。
龍司も久住も自分を心配してくれてありがたい、と藍子は心の中で二人に改めてお礼を言った。
久住は藍子と龍司を交互に見ると、何故か嬉しそうな表情でニコニコしている。
藍子は久住の笑顔を見ながら、そう言えばこの間も久住は自分と龍司を見ながらニコニコしていたな、と思い出した。
龍司は藍子に手招きすると、カウンターではなく店の奥のテーブル席を指さした。
いつもなら久住に近いカウンター席に並んで座るが、龍司は藍子の話が込み入ったものだと感付いて気を使ってくれたらしい。
店の奥のテーブル席に藍子が座ると、龍司も向かいの席に座った。
テーブル席は他の席と離れているし、平日の夜と言うこともあり店にいる客はまばらだ。店内には程よい音量で音楽も流れている。これなら他の客に話を聞かれにくいだろう。
藍子は安心し、龍司の配慮に感謝した。
気持ちに余裕ができると、藍子は龍司にカバンを取り戻してもらったお礼をしていないことを思い出した。
藍子がお礼に何かおごると申し出ると、龍司は軽く首を横に振って「気にしなくても良いよ」と断った。でも、藍子が話も聞いてもらうからともう一度申し出てみると、龍司は久住にレモネードを頼んだ。
レモネードはPenny Laneの名物で、藍子もいつも頼むくらい大好きだった。
藍子も同じレモネードを頼んだ。
テーブルにレモネードが二つ並ぶと、藍子は龍司に話を切り出した。
自分の家の庭に見知らぬ人間が入ってきたこと、自分のバイトの変更前の時間がなぜかもれていたこと、占いサロンが荒らされたこと。
この数日で自分の周りに起こった奇妙な出来事を詳細に話した。
龍司は藍子の話を注意深く、熱心に聞いてくれた。
藍子はいつも思うが、龍司を相手にすると非常に話しやすいし、もっと話したいと言う気持ちになってくる。
話した後には、何とも言えないすっきりとした気持ちにもなるのだ。
龍司の人柄もあるのだろうが、きっと人の話を聞くスキルが非常に高いのだろう。
藍子はもし龍司が占い師になったら、占いをやらなくても人の話を聞くスキルだけで客をたくさん呼べるのではないだろうかと思った。
龍司は藍子の話を全て聞き終わると、ゆっくりと頷いた。
「確かに、短い間にいろいろなことが起こり過ぎているね」
「そうなんです。偶然なのかもしれないですけど、ちょっと変なことが続くと思って。もしかして、私」
藍子は言いながら、考えたくないが自分が誰かに狙われているのではないかと考えた。
(もしかして、私の心の声が聞こえる体質を狙っているとか?)
世の中には、自分の特殊な体質を利用したいと考える人間もたくさんいるだろう。
どこかで自分の体質がばれて、悪用したい人間が自分を狙っているのかもしれない。
でも、心の声が聞こえる体質を狙っているのであれば、自分自身を狙うはずだ。
藍子は今までの出来事を思い返してみた。
家の庭に誰かが入って来たのはともかく、カバンをひったくられたりサロンの個室を荒らされたりしたのは、自分自身を狙っている感じではないような気がする。
自分自身を狙っているよりも、自分の周りを探っているような、そんな感じだ。
めぐみの友達が監禁されたのは、一見自分とは関係ないようにも見える。ただ、自分の周りを探っているというのであれば、関係があるように思えて来た。
「でも、藍子ちゃんが目当てだったら、カバンをひったくるよりも藍子ちゃんを連れ去るだろうしね」
龍司は藍子の表情から「自分が誰かに狙われているのではないか」と思っていることを感じ取ったらしい。
藍子はやはり龍司は頭が良いなと思った。龍司に相談をしたのは正解だ。
「そうですよね」
「一つ気になることがあるとすれば、リズのサインCDだよ」
「あっ」
藍子は思わず声を上げた。
須佐から誕生日プレゼントとしてもらった、アドラーのリズのサインCD。
リズのサインCDは貴重と言えば貴重だが、犯罪をしてまで盗もうとするものではないかもしれない。
でも、サインCDに入っていた須佐のメモとICチップ。
須佐がずっとファンだったリズのサインCDに細工までして入れたものだ。
しかも、それを自分のプレゼントにして託そうとするなんて、あのICチップは誰かに狙われるほど重要なものなのかもしれない。
藍子はイスに掛けてあったカバンを手元に引き寄せると、ファスナーを開けた。
CDに入っていた須佐の手書きの文字が余りにも懐かしかったので、お守り代わりにとタロットカードのポーチに忍ばせていたのだ。
あのICチップも一緒に入れておいた。
藍子がタロットカードの入っているポーチを取り出そうとすると、突然、龍司が藍子の手を掴む。
(えっ?)
藍子は突然のことにびっくりして胸をドキドキさせた。
でも、すぐにこれは「須佐さんのICチップを出すな」という意味なのだと悟り、そのままポーチを持っている手の動きを止める。
龍司は藍子の手を掴んだまま周りを見渡した。そして、藍子に顔を近づけると小声で言った。
「これ以上、ここで話すのはちょっと。もしなら、続きは俺の事務所で話そうか」
「えっ? 事務所で、ですか?」
その時、どこからか小さい音でギターをストロークする音が聞こえてきた。
龍司は音に気付くと、藍子から手を離してスーツの胸ポケットからスマホを取り出す。
ストロークの音は、龍司のスマホの着信音だったらしい。
龍司はスマホの画面を見ると、藍子に視線を戻した。
「藍子ちゃん、ごめん。仕事の電話だから出るね。ちょっと、待っていて」
「あっ、はい」
龍司は耳にスマホを当てて何かを話しながら、足早に店の外へ出て行った。
藍子は龍司の後ろ姿を見送りながら、さっき龍司に手を掴まれたのを思い出した。
まだ胸がドキドキしている。
龍司はただ「ICチップを出すな」という理由で自分の手を掴んだだけなのに、どうしてこんなにもドキドキしてしまうのだろうか。
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