4.If You Needed Someone

 翌日、藍子がバイトへ行くために新潟駅の改札口をくぐっていると、聞きなれた声が聞こえて来た。

「藍子!」

 片手を挙げながら駆け寄ってきたのは、藍子の友達のめぐみだった。

 めぐみは黒地に一面、ホットケーキのイラストがプリントされたワンピースを着ている。

 改札口近くにいた中年の男女が、びっくりした表情でめぐみの服装やピンク色の髪を二度見したが、めぐみは気にも留めていない。


「めぐみ、おはよう」

 藍子もめぐみに気付くと、軽く片手を振った。

「藍子、この間、友達助けてくれて、ありがとうね」

 駆け寄って来ためぐみに言われて、藍子は龍司と初めて会った時に助けためぐみの友達を思い出した。

 あの日、藍子は家に帰ってすぐめぐみに連絡した。めぐみからは後日「友達、ショックで仕事休んでいるみたい」と返事が来たが、その後、めぐみの友達は大丈夫だったのだろうか。

「ううん、偶然だったし。友達、大丈夫? 仕事休んでいるって聞いたけど」

「大丈夫! 今日から仕事に行ったって。相当ショックだったみたいだけど、もう、かなり元気になったよ。怪我はなかったみたいだし」

「良かった!」

 藍子はほっとすると、自然と自分の顔から笑みがこぼれるのを感じた。

 めぐみの友達が仕事に行けるくらい元気になったと聞き、藍子はやっぱりあの時に助けて良かったと思った。

 めぐみの友達がビルの中に閉じ込められているとわかった時、自分は龍司に心の声が聞こえるのがばれるのを恐れて、助けようかどうか迷った。

 あの時、自分の素性を隠すのを優先していたら、絶対に後悔していただろう。


「そうそう、友達が藍子に直接お礼が言いたいって言っていたよ」

 藍子とめぐみは並んで新潟駅構内を歩き始めた。

「そんな、お礼なんて良いよ。気にしないでって伝えて」

「そうだ! 友達が男の人も一緒に助けてくれたって言っていた。その人にもお礼がしたいらしいんだけど、男の人って誰? あのバーのマスターの人?」

「ううん、久住さんじゃないんだ」

 藍子が言いかけた時、ふいに後ろから「藍子ちゃん」という声が聞こえてきた。

 藍子が振り返ってみると、後ろに龍司が立っている。

「天尾さん」

 藍子は驚いて、思わず声を上げた。

「わあー、こんにちは! この間、バーにいた方ですよね?」

 めぐみが嬉しそうな表情をしながら、龍司に話しかける。

 龍司はめぐみを見ると、笑顔で頷いた。


「この間、一緒にいた、藍子ちゃんの友達のめぐみちゃんだよね?」

「私の名前、ご存知なんですか? もしかして、藍子が教えたのかな?」

 めぐみはまた嬉しそうな表情をすると、藍子を意味ありげにチラリと見た。

 龍司と初めてバーで会った夜、藍子は確かに龍司にめぐみの話もした。

 そう言えば、めぐみは自分が龍司に見とれていると勘違いして「藍子、悪いけど一人で頑張って」と言ってバーを後にしていた。

 めぐみはどうも、藍子が龍司に上手い具合に話しかけて仲良くなったと思ったらしい。


「あのね、めぐみ、この方、天尾龍司さん。バーのマスターの久住さんの知り合いで、紹介してもらったの。めぐみの友達を一緒に助けたのは、この方なの」

 藍子は慌ててめぐみに龍司を紹介した。

「そうなんですね! 本当にありがとうございました。友達が今度直接お礼がしたいって言っていました」

 めぐみは龍司に向かって丁寧にお辞儀をした。

「そんな、お礼なんて良いよ。それよりも、友達は大丈夫?」

「はい、おかげ様で! 今日はいつも通り仕事へ行ったそうです」

「良かった。じゃあ、俺、仕事があるからこれで。またね、藍子ちゃん、めぐみちゃん」

 龍司は軽く手を振ると、駅を出て行った。


 藍子は龍司の後ろ姿が、駅の人混みに紛れて行くのをじっと見つめた。

 人混みの中で、龍司の背中だけが何故か目立って見えるのは気のせいだろうか。

 久住のバーで龍司を初めて見かけた時も、どこか人を惹きつける雰囲気を持っている人だな、とは思った。

 龍司の背中が目立って見えるのも、その雰囲気のせいなのだろうか。


「藍子!」

 めぐみに名前を呼ばれて、藍子は我に返った。

「何? めぐみ、どうしたの?」

「何じゃない! また天尾さんに見とれていたでしょ?」

「そんな、見とれてなんていないよ」

 めぐみはまた自分が龍司に見とれていると勘違いしている。

 藍子は否定しようとしたが、言葉が止まってしまった。

 自分では見とれていないとは思っていても、さっきの自分はどう考えても龍司に見とれていたのではないだろうか。


「でも、藍子、本当に良かったね、良い人に出会えて! 天尾さん、近くで見てもすごくかっこいい!」

 めぐみはまるで自分のことのように嬉しそうな表情している。

 めぐみの表情を見て、藍子も思わず嬉しい気持ちになってきた。

「めぐみが帰った後に、バーのマスターの久住さんが天尾さんを紹介してくれたの。その後、天尾さんが駅まで送ってくれて、その時にめぐみの友達を見つけたんだ。警察にいろいろと質問されて緊張したけど、天尾さんが全部対応してくれてすごく助かって」

「そうだったんだ」

「実は昨日も私、カバンをひったくられたのね。でも、天尾さんが取り戻してくれたの」

「えっ? カバンを? 藍子、災難だったね。取り戻してもらえたから良かったけど」

「うん、実はここのところ、いろいろとあってね」

 藍子は朝、家で起きた出来事を思い出して顔をしかめた。「今日の朝、家の庭に泥棒なのかな? 知らない人が入って来たんだ」

「えっ? 泥棒?」

「お母さんが大声を上げたらどっかに行っちゃったから、泥棒なのか何なのかよくわからないんだけど。でも、最近ちょっと物騒なことが続くなって思って」

「大丈夫? 警察に言った?」

「うん、お母さんが電話していた。まあ、昨日のカバンも今日のも偶然だとは思うんだけ…」

「えーっ、でも心配だね。昨日と今日で二回もそんな物騒なことが続くなんて。そうだ! さっきの天尾さんに相談してみたら? あの人、すごくしっかりしてそうな人だし」


 藍子はめぐみの言葉を聞いて、龍司の職業が探偵だったことを思い出した。

 確かにめぐみの言う通り、龍司に相談すれば的確なことを言ってもらえそうだ。

 ここ何日か龍司と接しているが、龍司がしっかりしているのは良く分かる。めぐみはバイトでアパレルの販売員をしているが、さすが人と接する仕事をしているだけあって、見る目があるなと藍子は思った。

 でも、何度も助けてもらったのに、これ以上龍司に頼るのは悪いような気がする。

 それに、龍司には仕事の手伝いをするかどうかの返事をしなくてはいけない。相談するのはますます気が引けてしまう。


 藍子は龍司に仕事の手伝いの件をどう切り出せば良いのか、どのように断りの返事をすれば良いのかずっと迷っていた。


 自分の心の声が聞こえる体質を意識的に使うのはいやだ。

 正直にいやだと伝えても、龍司ならわかってくれそうな気がする。

 断るのは言いにくいけど簡単だ。

 ただ、断ると、龍司のそばにいられるチャンスを逃してしまう。

 自分みたいに占いだけが取り柄の平凡な女の子が、仕事の話抜きで龍司の隣にずっといられる存在にはなれないだろう。

 藍子は心の中でため息を吐いた。


 でも、と藍子はめぐみの友達を助けた時のことを思い出した。

 龍司の仕事を手伝えば、めぐみの友達を助けたみたいに、誰かを助けられるのだろうか。


 藍子は占いのバイトを始めた頃を思い出した。

 最初は須佐に他人の心の声が聞こえることをカモフラージュするために良い、とすすめられて始めた占いの勉強。

 占いで働くとかバイトするとか、あまり考えたことがなかった。

 でも、失恋を紛らわせるために勢いで占いのバイトを始めてみると、たくさんの人が自分の占いで救われて、笑顔になっている。


 自分の体質を使って龍司の仕事を手伝えば、もっとたくさんの人を救って笑顔にできるのだろうか。


 藍子がそう思った時、偶然横を通りかかった女性の心の声が断片的に聞こえてきた。

 とてもきれいな女性だ。きちんとメイクをしているし、かわいらしい服を着て何でもないような表情で歩いている。


 でも、心の中では泣いている。


 藍子が体質をコントロールしようとしても防ぎきれないほど、心の中で大きな声を出しながら泣いている。

 女性は失恋したようだった。

 普通の声だったら、耳を塞いだりイヤフォンをつけたりすれば、聞こえなくなるのだろう。

 でも、心の声はどんなに耳を塞いでもイヤフォンをつけても聴こえなくなることはない。

 藍子は耳を塞ぐ代わりにうつむいて目を伏せた。


 女性が遠くに行くに連れて、女性の心の声も小さくなり、やがて聞こえなくなった。


 藍子は女性の心の声を聞きながら、やっぱり、自分の体質を使うのはいやだと思った。

 今みたいに、聞かなくても良い他人の心の声を聞いて、何度も辛い思いや悲しい思いをしてきたのだ。

 やっぱり、心の声を聞くのはいやだ。


「――藍子、どうしたの?」

「えっ?」

 藍子はめぐみに声を掛けられて我に返った。

「藍子ってば、またどこかへ行ってしまったような顔をしていたよ! 朝の泥棒でも思い出していた?」

「ううん、ちょっと、考えごと」

 藍子は慌てて笑顔で否定した。

「本当? 何かあったら何でも言ってよね。――おっと! そろそろ行かないと。藍子もバイトでしょ?」

「うん」

 藍子とめぐみが一緒に新潟駅を出ようとすると、外のアスファルトが少し濡れている。

 もうやんではいるが、にわか雨が降ったらしい。

「えっ? 雨? やだ! 傘持ってきてないよ!」

 めぐみの驚いた表情を見ながら、藍子は雨男の龍司が雨を降らせたのだろうと思っていた。


 藍子は濡れたアスファルトを見ながら、龍司が雨男だということを全然気にしていないことに気付いた。

 龍司は自分が雨男でも悲観的にならないし、自虐的にもならない。


 そう言えば、藍子と龍司が好きなアドラーのリズも同じだな、と藍子は思った。

 リズも音楽界では相当有名な雨男だが、悲観的になっていない。もちろん、雨男のことを自虐的に語ろうともしない。

 むしろ「リズの降らせた雨に濡れると幸せになれる」という伝説まで作っている。

 そして、リズは「自分がライブする時は雨」ということを利用して、有名企業とコラボしたレイングッズをライブ会場で大量に売っている。

 その売上の大部分を慈善活動に寄付していて、慈善家としても有名な一面を持っていた。


 藍子はもし自分が龍司やリズくらいの雨女だったら、どう思うのだろうかと考えてみた。

 少なくとも、龍司やリズみたいに気にしないではいられないだろうな、と思った。

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