心の声が聞こえる体質のせいなのか、もしくは占いをやっているせいなのか、藍子は人を見る目には相当長けていた。

 一日くらいしか接していないが、龍司が優して穏やかな性格なのに精神が相当強い人間なのはわかる。

 龍司はめぐみの友達を助けた時も全く動じていなかったし、いくら警察と顔見知りとは言え警察の前でも全く動じなかった。


 でも、行方不明の元所長の話をしている時、龍司は二回も表情を曇らせたのだ。

 龍司にとって、元所長は本当に大切な人だったのだろう。

 そして、元所長が行方不明になったのは、龍司に取って相当辛い出来事だったのではないだろうか、と藍子は察した。


 大切な人が突然いなくなってしまうなんて、藍子は自分と須佐の関係を思い出さずにはいられなかった。

 もしかすると、初めて会った時に龍司が気になってしまったのは、自分と同じように大切な人を突然失くした記憶があったからなのかもしれない。


「それで、その元所長の代わりに探偵事務所をやっているんですね」

「うん。高校の時に事務所の手伝いをしていたし、元所長にはいろいろと教えてもらったからそれなりにはやっているんだけど」

 龍司は突然言葉を切ると、向かいに座っている藍子に少し顔を近づけた。

 藍子は胸がドキドキしてきた。

「でも、元所長が心の声が聞こえる体質を使ってやっていた仕事だけは、どうしても引き受けられなくて断っていたんだ」

「そう、なんですか」


(心の声が聞こえる体質を使ってやっていた仕事?)

 龍司の事務所の元所長は、自分の心の声が聞こえる体質を活かして探偵業をしていたのだろうか。

 まあ、それもそうだろう、と藍子は思った。

 藍子は普段はもちろん占いのバイトの時でも心の声が聞こえる体質を使わないが、人によってはこの体質を活かそうとする人がいてもおかしくない。

 特に探偵業みたいに特殊で誰かの秘密を暴くような職業であれば、使おうとするのも至極普通の考えだ。

(だからと言って、私は使わないけど)

 心の声が聞こえる体質を仕事に使う元所長に対して、藍子は肯定も否定もしなかった。

 ただ、ひたすら「自分は使わない」と思うだけだ。

(だって、私は誰かの心の声が聞こえるのがいやだし)

 突然飛び込んでくる誰かの心の声さえも辛いのに、積極的に心の声を聞こうとするなんて藍子にとっては考えられなかった。

 きっと、元所長は龍司と同じで、精神が相当強い人間なのだろう。


「それで、藍子ちゃんに相談なんだけど、心の声が聞こえる体質を使って俺の仕事を手伝ってくれないかな?」

「えっ?」

 藍子は龍司の意外な言葉に驚いて、思わず目を大きく見開いた。

(私が、心の声が聞こえる体質を使って、探偵の仕事を手伝う?)

 突然の展開に、思考が追いつかない。

 藍子はただ目の前に座っている龍司を見つめ続けた。


「学校と占いのバイトの空いた時間に、できる範囲で良いよ。もちろんお礼も払うから。藍子ちゃんにぜひ手伝ってほしいんだ。誰かに心の声が聞こえることがばれる心配もないから。その辺は元所長も上手くやっていたから大丈夫だよ。困っている人を助ける仕事で占いの仕事にも似ているから、藍子ちゃんならきっとできると思う」

 龍司はまた少し藍子に顔を近づけた。

 龍司の瞳の色が薄い茶色から濃い緑色に変わる。


 藍子は反射的に龍司から目を逸らした。

 このまま龍司の目を見ていたら、龍司の言葉の意味もわからないまま、吸い込まれるように頷いてしまいそうだったからだ。


「でも、私、普段の生活でも占いのバイトの時も、誰かの心の声は聞かないようにしているんです。だから……」

 

(いやなんです、誰かの心の声が聞こえるのが)

 藍子はそう心の中で呟くと、うつむいた。


 龍司は自分が占い師のバイトをしているから、占いで心の声が聞こえる体質を使っていると思ったのかもしれない。

 だから、「困っている人を助ける仕事で占いの仕事にも似ているから」と言って来たのだろう。

 龍司がそう思う気持ちもわかる。

 占い師で相手の心の声が聞こえるのは、ものすごいメリットだ。

 自分以外の人間なら、心の声が聞こえるのを占いに活かそうと思うかもしれない。

 そう、龍司の事務所の元所長のように。


 でも、藍子が占いを始めたのは、あくまでも須佐に心の声が聞こえるカムフラージュにとすすめられたからだ。

 須佐のアイデア通り、実際に占いをやっているからと言い訳できたことが何回もある。

 そして今、占いのバイトをしているのは、失恋した気持ちを紛らわすためと、須佐のすすめで習得した占いの技術が活かせる仕事だったからだ。

 他人の心の声が聞こえる自分の体質を活かすためではない。


 藍子は龍司に自分の気持ちをどう説明すれば良いのか迷った。

 自分は誰かの心の声が聞こえる体質のせいで、今まで何度も辛い思いをしてきた。できれば須佐の未来が見える体質のように、突然消えてしまえば良いのにと何度も思った。

 龍司の事務所の元所長は体質を仕事で活かしていたかもしれないが、仕事に活かすことは藍子には考えられなかった。

 他人の心の声は、できれば聞きたくない。


 でも、龍司の「俺の仕事を手伝ってくれないかな?」という言葉を聞いて、思わず藍子の心が揺らいでしまったのも事実だ。

 龍司は自分の体質を必要としているし、仕事を手伝えば占いのバイトのように誰かの役に立つかもしれない。

 そして何よりも、龍司の仕事を手伝えば龍司の傍にいられる。


 藍子は昨日、龍司と初めて会ったとは思えないほど話が盛り上がって楽しかったことを思い出した。

 自分が龍司の申し出を断ってしまえば、もう龍司と会う機会はなくなってしまうかもしれない。


 藍子も龍司もしばらくの間、黙っていた。


「藍子ちゃんは誰かの心の声が聞こえるのが、好きではないんだね?」

 先に沈黙を破ったのは龍司だった。 

 藍子は顔を上げて、龍司を見た。

 龍司は心の声が聞こえるのがいやだという自分の気持ちを、理解してくれるのだろうか。


「それは」

 藍子は反射的に言いかけて、思わず言葉を飲み込んだ。

 ここではっきり「はい、いやです」と答えたら、龍司と会う機会がなくなってしまうかもしれない。


 龍司は藍子が「いやだ」とすぐに答えると思ったのかもしれない。少し意外な表情をしたが、直に穏やかな笑顔を見せた。

「返事は今すぐじゃなくていいよ。もしどうしようか迷っているなら、ゆっくり考えてからでいいから」

 龍司に期待を持たせてしまっただろうか、と藍子は申し訳ない気持ちになった。

 自分が龍司に対して「仕事を手伝います」と返事する可能性はほぼない。

 でも、確かにさっき、自分の気持ちは揺らいだ。

 仕事を手伝えば龍司の傍にいられると考えると、心の中ではいやだと思ってもすぐに返事ができなかった。

 とりあえず、ゆっくりと上手く断る言葉を考えなければ、と藍子はますます龍司に対して申し訳ない気持ちになった。


 龍司の表情からは、藍子の返事を急かせたいような雰囲気は全くなかった。

 でも、もしかすると、龍司はすぐにでも返事がほしいのに、自分に気を使って「ゆっくり考えてからでいいから」と言っているのかもしれない。

 昨日の今日で会いに来るなんて、本当は急いでいるのだろうか。


 その時、藍子と龍司がいる個室の中にベルの音が響いた。

 占いの時間の終わりを知らせるベルの音だ。藍子は我に返ると、慌てて鳴っているベルを止めた。


「すみません、時間が来てしまって。次、別のお客さんの予約が入っているんです」

「いいよ。また今度ゆっくり話そう。また、音楽の話もしたいし」

 龍司は言いながらイスから立ち上がった。

 藍子は音楽という言葉にはっとして、自分もイスから立ち上がった。

「そうだ! あの、次のお客さんでバイトが終わるんですけど、今日、お時間ありますか?」

 藍子は言いながら、自分の言動に驚いた。

 昨日会ったばかりの、しかも込み入った話をしたばかりの男性に「お時間ありますか?」なんて、いつから自分は言えるようになったのだろうか。

「時間? 大丈夫だよ。下の久住さんの店で待っていようか?」

「良かった。ありがとうございます」

 藍子は自分のカバンの中に入っているアドラーのリズのサインCDを思い出しながら言った。


 これで昨日の約束通り、龍司にリズのサインCDを見せられる。

 また、龍司と話ができる。

 藍子は嬉しく思ったが、この嬉しさも束の間なのだろうか、とも思った。

 今日を過ぎたら、近いうちに仕事を手伝うかどうかの返事をしなければいけないのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る