第2話 行ってきます

 モフモフと触れあって、ちょっと温かな気持ちで駅に到着。

 改札を抜けて、プラットフォームに、やってくると、多くの人々が、長蛇の列を作っている。わたしも、蛇の一部になる。

 周囲を見回すと、サラリーマンや学生たちが、スマホをいじりながら、自己疎外。みんな、独りでソロプレイ。往来で、孤独を感じるみたいに、小さな機械が、みんなをみんなから隔離しているのだ。

 みんな、個性も、生気もなくって、誰もかれも同じように見えた。四方を見渡せば、たくさんの人がひしめいているのに、みんな漫画のモブキャラみたいに、同じ。

 手持ち無沙汰にスマホを覗きこんで、情緒なんてあったもんじゃない。

 いつでも、どこでも繋がり過ぎる時代になって、ネットデトックスとか、なんだとか騒がれているご時世だけど、デトックスなんて、もうできやしないのだ。

 みんなネットの住人。

 今生きている時代の人たちは、まだ、適度な距離をとることができるかもしれないけど、これから先、百年、二百年って経ってしまえば、そんなこと考えることすらなくなちゃう。

 きっと、そう。

 できるだけ、移ろい行く景色とか、情緒を楽しみたいと思っているけど、こんなコンクリートジャングルじゃあ、見るものなんてなくって、いや、注視して見さえすれば、きっと情緒はそこかしこに転がっているのだろうけど、そんな情緒を探して楽しむ知識や心なんて、持っていないから、結局はネットをサーフィンすることになるのだ。

 なんだか、頭のいい、ごく一部の人たちに、操られている気分。

 

 SNSとか、友達のどうでもいい書き込みとか、わたしのつぶやきに、押されるいいねの数とか、そんなしょうもないことに一喜一憂して、確認していると、誰かがわたしとぶつかった衝撃で、よろめいた。

 反射条件的に、わたしは、ぶつかってきた人物を、鋭い目で、キッと見返した。白杖(はくじょう)をもった人だった。目が見えていない、人。

「すいません……」とその人はいった。

 わたしは、逆三角になっていた目を戻して、なんていっていいのかわからず、目立つのもイヤって理由から、そのままスマホに視線を落とした。

 数秒遅れて、「大丈夫ですよ」というべきだったと思ったけど、いまさらいえなかった。

 どんな状況で、誰にぶつかったのか、わからず、戸惑っていやしかいだろうか。大丈夫だろうか。

 きっと、イヤなやつだと思われた。

 相手のことを想ってじゃなくて、自分の面を気にしている。ごめんなさい。わたしは白杖をついて、遠ざかる、その人の背中に謝った。

 もやもや自己嫌悪していると、電車が来た。

 沢山の人たちが降りたり、乗ったり、押し合いへし合い、長方形の箱の中に詰め込まれて、どこへ行くのだろう。まるでベルトコンベヤーに載せられた荷物の気分になる。

 誰とも目線を合わせないために、つり革につかまったまま、うつむいて、なにするでもなくスマホをいじる。電車が揺れても、もう慣れっこで、よろつかない。

 電車が次々駅に停まって、人が降りたり、乗ったりを繰り返す。

 人が少し、少なくなって、車内が空くと、気付かないでもいいことに、気付いてしまった。高齢のおばあさんが、よろよろしながら、手すりにつかまっていた。

 あのおばあさんは、席に座りたいのだろうか。

 それとも、老人扱いするな、というタイプだろうか。


 わたしが椅子に座っている人に「誰か席を譲ってください」と言ってあげる。すると、誰かが席を立つ。そんな妄想をする。

 子供っぽい、正義感。

 正しさの洗脳から、脱していない。

 物語の登場人物なら、持ち前の正義感で強引にでも困っている人を助けるだろうけど、わたしは街のモブキャラの一人だから。

 そうやって人任せ。

 逃げている。

 みんな。

 バスとか、電車に貼られているポスターには、子供がおばあさんに席を譲ってあげているシーンが、描写されていて、そのポスターに描かれている人物は、みんな笑顔。

 だけど、ポスターと現実は違う。

 誰も、気付こうともせず、ポスターの人物のように席を譲ってあげようともしない。みんな、無視する技術は巧妙で、わたしはいつも見習ってしまう。

 きっと、誰かは気が付いている。わたしが気が付いているんだから。

 席を譲らない人たちを嫌悪するけど、同時に、儚いと思った。愛おしいと思った。みんな弱いんだと思った。

 だから私は、はじめから椅子に座らない。


 わたしは気付いていないふうを装って、目をそらす。スマホを見る。

 ネットの中には、スラングが散見されて、汚い。

 そう思うけど、わたしも使う。

 郷に入っては郷に従え、使わなければ話しに入れない。周りに合わせて、強がって、いくつもの仮面と人格を使い分ける。

 その仮面すべてがわたしで、その人格すべてがわたし。

 わたしには善と悪、いい子、悪い子だけでは分類できない、いくつもの色がある。

「誰か席、譲ってもらえますか」

 声が聞こえて、は、っとわたしは上目遣いに、声の主を見た。わたしと同じ高校の制服を着た男子が、生まれたての小鹿のように立っていたおばあさんのために、席を譲ってくれるよう、不特定多数の人たちに頼んでいた。

 みんなの視線を一身に受けながらも、男子高校生は怖じ気た様子なく、胸を張っていた。

 数秒後、誰かが「ここの席、使ってください」と立ち上がって、つり革につかまった。おばあさんは男子高校生に何度も頭を下げていた。男子高校生は当たり前のことをしたまでだというふうだった。

 

 わたしと同い年か、一つ下かもしれないのに、えらいなと思う。それと同時に、偽善だと思う。自分に酔っているんじゃないかって。男子高校生はいいことをしているのに、周りからそんなふうに思われる。

 いや、わたしはすぐ周りのせいにする。

 思っているのはわたしだ。

 世間はわたしだ。

 周りはわたしだ。

 思っているのはわたしじゃないか。

 自分がしたくても、できなかったことを、平然とやってのけた、あの男子に嫉妬しているだけなんだ。ただ素直に、彼をえらいと思いたい。誰かを心の底から、祝福するように、褒めてあげたい。

 喜びを一緒に喜べるように、悲しみを一緒に悲しめるように、そういう人になりたい。幸せになってほしい、と思う、この気持ちは本物だ。

 いい人が、幸せにならないのは、嘘だと思った。

 人にやさしく、自分にやさしく、なりたいと思う――。

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