或る女子高生の愉快な憂鬱
物部がたり
第1話 おはようございます
朝、目を覚ますときの気分は、オフホワイト。
わたしの、灰色の用紙には、なにも書かれていない。なにを書いてもいいけれど、なにを書いていいのか、わからない。なんでも書いていいって、自由を与えられたら、なにも書けなくなる。
なにかを書くには、制約が必要なのだ。テーマがなければ、書けない。いや、書けないことはない、けど、決まった起承転結を繰り返している。
一日の、はじまり。
締め切られた、子供っぽい柄のカーテンの隙間から、光が差して、部屋の中に舞う、ほこりや白い糸みたいなくずが、綺麗に輝いている。
しばらく、綺麗なごみを眺めながら、ベッドの中でもぞもぞしている。低血糖な方だけど、なぜか、頭だけは冴えている。寝起きの頭に、どこからともなく、いろいろなことが湧いてくる。
朝、ねぼける、なんてことはない。いつも覚醒すると、まるで一睡もしていなかったんじゃないか、って思えるほど目と頭は冴えている。
目覚めてすぐに、わたしの中から湧いてくる、いろいろな感情は、ぐるぐるぐるぐる渦巻いて、コントロール不能だ。
わたしの中には、何かが巣くっている。けもの、天使と悪魔、善とか悪とか、やさしさ、厳しさ、そういう、いつ暴れ出すかわからない、あぶない生き物が住んでいる。
わたしは毎朝、そのあぶない生き物を調教して、「大丈夫だよ」って、慰めなければならない。頭をなでてあげなければならない。赤ちゃんを寝かしつけるみたいに、やさしく、してあげなければならない。
毎朝の習慣のように続いている、一日のはじまりの、儀式。
儀式が終わるころ、目覚まし時計が鳴る。アナログタイプの目覚まし時計は、小さな槌(つい)を、左右のベルに打ち鳴らして、耳障りな音を出す。
タイマーがセットされた時間より、十五分早く、わたしの体内時計は起動して、決まった時間に目が覚めるように設定されているらしい。
目覚まし時計のボタンを押さないと、次第に打ち鳴らされるベルの音は、警鐘のように速くなって、不安を呼び起こさせた。心拍数が上がって、少し息が苦しくなって、そしたら目覚まし時計を切る。
生きている。
ベッドから抜け出すと、制服に着替えた。紺色のブレザーと、チェックのスカートで、ダサくはないけれど、イケてもいない。
赤いリボンを付けて、姿見の前で、モデルのようなポーズを取ってみる。姿見の中に映っている、女の子はわたしじゃないみたいに、思えた。
彼女の考えていることはわからない。
顔を姿見に近づけると、思春期の悩みの種が、頬にできていた。触ると痛い。ああ、わたしだ、と感じた。
準備を済ませて一階に降りると、みんないつもの定位置についていた。
お父さんはタブレットでニュースを調べて、弟はスマホでゲーム。お母さんは朝食の支度をしていた。
いつもの日常。わたしは幸せなのだと思った。
「おはよう」
「おはよう」
お父さんと、お母さんが言った。
「おはよう」
わたしは、精いっぱい、元気のから雑巾を絞って、明るさを絞り出した。
お父さんはニュースを見ながら、為替がなになにだとか、どこどこでなになにがあったとか、政治がどうのこうの、独り、評論している。
独り言を言ってるくせに、誰も相槌をうたないと、お父さんは犬みたいにふてくされてしまうから、お母さんが相槌をうったり、たまにわたしも答えてあげる。
けれど、言っていることが難しくて、わからないことも多い。
そんなこと知ったって、わたしの実生活に、なんの影響もない。どこかの誰かが、酷い目に遭って、亡くなる人もいて、極めつけは芸能人の不倫でにぎわって、連日ネガティブなニュースばかりが目に付く。
自分たちとはまったく関係のない、ニュースを話のタネにして、わたしたちはコミュニケーションを取っている。ゲス。
他人事だから、話せること。それが自分事の半径十メートルほどの距離の話しならば、きっと、今のように話すことすらできないのだ。
関係ないから、真剣になれる。ドラマや映画の評論家のようなもの。事件の当事者の立場になって考えてみると、事件とは関係ない、赤の他人がくだらない世間話のために、知ったふうに自分たちのことを語っていたら、軽蔑する。
なら、考えない方がいいのだ。
わたしは耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えた。
くだらない、どうでもいい、楽しく、嬉しいポジティブな話をして、のほほんとした気持ちになれれば、幸せだ。
テレビで流れる占いの方が、わたしの一日の気持ちに、大きな影響をあたえてくれる。占いの結果が良ければ、一日ちょっとハッピーな気持ちになれるし、悪ければ一日気を付けよう、って気持ちになるから。
べつに占いを本気で信じている、というわけではないけれど、一喜一憂できるなにかがあることは、いいことだ。
今日のわたしの星占いの結果は、秘密。
ごはんと、味噌汁と、鮭を食べ終えると、顔を洗って歯を磨いた。わたしは食後に歯を磨く。顔を洗って、化粧下地をしてから、ファンデーションを塗って、悩みの種を隠した。
高校生が化粧するする必要ない、っていわれるけど、高校生だってお化粧は必要だ。気持ちの持ちようが違う。化粧をすると、ちょっと自分に自信が持てる。精神の安定を買えるなら、安いものだと思ってほしい。
化粧をしないってことは、装備なしってことだから。
装備なしじゃ、怖くて、道を歩けない。
薄い膜の外と内で、護られているから、安心できる。ナチュラルメイクして、黒目が少し大きく見える、コンタクトレンズをつける。
つけようが、つけまいが、殆ど見分けはつかないけど、つけた方が、ちょっと心持かわいく見えるのだ。間違いない。
個性のない、わたしの顔は、チャーミングになった。
鏡に映るわたしに、笑いかける。
外に出ると、強い風がわたしの体を四方からすり抜けて、桜の花びらをどこからともなく、運んできた。
駅に向かうまでの道すがら、毎日決まって散歩中の犬に遭遇する。どこにでもいる人気の小型犬品種で、わたしを見つけると、文字通り飛んでくる。
「おはよう。いつも、決まった時間に会うわね」
犬の散歩をしていた、近所のおばさんが言った。
「はい、ほんと、決まった時間に」
「この仔が、時間になると『散歩行こ』って訴えるのよね。時間なんてわからないはずなのに。きっと、あなたに会いたいのよ。大好きなのね」
わたしは犬をなでてやりながら、わたしを慕うこの犬に、申しわけなく思う。犬はわたしがやさしくて無害そうだから、好いてくれるのだ。
わたしはあなたが思っているほど、やさしくなんてなくて、残酷で嫌なことだって平気で考えるし、想像の中でなら、あなたにどんな酷いことだってできる、裏表の激しい娘。
この仔は、人間みんな優しくしてくれると思っている。
人間からいじわるされたことがないから。人に尻尾を振れる。人から、酷い目に遭わされた、犬は、人間に心を開かない。
この犬は、まるで、わたしみたいだ。知識でだけは、人間は怖い、酷い、って理解していても、人間の本当の怖さや恐ろしさを知らない。机上の空論ばっか。
わたしのような世間知らずは、どこかで一度酷い目に遭わないと、人の気持ちなんてわからないのだろう。苦労を知らないと、ろくな大人になれないのだろう。穢れなければ、堕ちなければ。
穢れて、堕ちて、醜くなってからでなければ、わたしに何も語る資格はない。この犬も同じ。世間知らずで、本当の、邪悪をしらない。
一度人間の恐ろしさを知らないと、きっといつか取り返しのつかない、酷いことに遭わされてしまうかも、しれないのだ。
わたしと、同じ。ちょっと、いじめてやりたくなる。
足下でぴょんぴょん跳ねる犬を蹴り飛ばす――。
そんなことを考えながら、なでてやる。
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