第5話 童貞捨てたい文学少年と、浮気は絶対許さないイケメンと、お家デート
「君童貞ですか?」
俺は口に含んだオレンジジュースを噴き出す。他人の部屋でこれをやるのは、流石に縁を切られても文句は言えないが。今のは100:0で相手が悪いだろ。
「ど、どどどどう言う事?」
「君は性交をした事がありますか?」
「質問の意図を聞いたつもりなんだけど!?」
ティッシュで口元とテーブルを拭きながら、本屋敷くんに詰め寄る。初めて彼方側からお家に誘ってもらったと、浮き足立った所にこれだ。集まって猥談とは、まぁ健全な男子高校生だが、もっとこう、探り合いみたいなステップとかないのか。
「失礼。俺は今、『恋とはどんな物かしら』を知るために、君に協力して頂いてるわけですが」
「…………うん…」
「デートだとか、手を繋いだりだとか。その先の事までは、流石に『体験』はできないなと思いまして」
「それで?」
「せめて体験談などを、お聞かせ願えたらなと」
取材費は出します、と。的外れな誠実さを見せる本屋敷くんに、俯したくなる。なんだかドッと疲れた。
疲労感がすごい。
「えー、あー、その」
視線を泳がせながら、スイッチが2台入った鞄を、後ろ手に隠す。とても「そんな事よりゲームしようよ!」と言い出せる雰囲気ではない。
と言うか俺、馬鹿みたいじゃん。
わざわざ兄貴に土下座して?ゲーム機まで借りて?ウキウキで荷造りして?超かわいそう。超恥ずかしい奴。
「……取材費は倍出します」
「いや、取材費とかは要らないんだけどさ……」
鼻先に迫る美貌から、仰け反りながら口をムズムズさせる。なんで。俺はただ本屋敷くんと遊びたかっただけなのに。
「ゲームしてくれたら」
「ん?」
「俺にゲームで勝てたら、考えても良いよ」
「げぇむ」
ぱちくりと目を瞬かせ、首を傾げる本屋敷くん。嘘だろ、さすがにゲームくらいは知ってるはずだろ。何かを考えるように、「ふむ」と顎先に触れる。やや於いて、朴訥とした声で、「良いですよ」と答えた。
「えっ、嘘嘘嘘嘘。待って」
「よわ……っ、弱いですねぇ、君!?よく言われませんか?」
「待っ、それハメ技じゃない!?本屋敷くん……!?」
丸焦げにされて吹っ飛んで言ったキャラクターに、コントローラーを放り投げる。顔を覆って天を仰ぎ、まじまじと目の前の恋人を見る。俺は確かに、顔と頭と体型に恵まれた爽やかイケメンだが、ゲームセンスにだけは見放された男だ。けれど、本屋敷くんは本屋敷くんで、明らかに素人の動きでは無かった。だって、なんかこう、空中に放り出されて、永遠にステージに着地できなかったぞ。
「一人遊びが板についてましてね。任天堂のタイトルなら一頻りやり尽くしました」
「なに、その悲しい背景は。素直に賞賛できないんだけど」
「孤独は人を強くします」
「『げぇむ?』とか小首傾げてたのに……フェイクとか小賢しすぎる……」
「ふぇいく?」
ふぇいくって、なんですか…?と、急に言語野が退化した本屋敷くん。無表情に、しかしあざとく首を傾げる。憎たらしいが、ちょっと面白いのが悔しい。
「さぁ、絢瀬くん。約束通り存分にゲロって貰いますからね」
「うう……搾取に躊躇いがない……」
「正当な報酬だと言ってください。さぁ、さぁ。あんなことやこんな事を……」
「ゲームしながらじゃだめ?」
だって、あんまりだ。せっかく楽しみにして来たのに、一戦だけで。こんな……ボ……ボコボコにされて、トラウマを植え付けられて。
ピンク色の球体を見ただけで、勝手に左手が震え出すのだ。
乞うように、「もう一回」と言えば、手をワキワキさせたまま、本屋敷くんが固まった。
どんな表情なんだ、それ。
「…………良いでしょう」
ストンと腰を下ろす。「お話は拳を交えながら」と、コントローラーを握り直した。
「実際ね。すごいですよ君は。別れた後に君を悪く言ってる人を、俺は見た事がない」
「あっ、ちょ。何その動き!?」
「徹底的に後腐れのない別れ方をしてきたんでしょう」
「空中で!?」
「だから意外と言えば意外でした。意外じゃないと言えば、意外でも無いんでけど」
「何が!?」
吹っ飛ばされながら、辛うじて本屋敷くんの言葉に反応する。間髪入れずに次のキャラを選択するその所作は、歴戦の猛者を匂わせた。
「君、経験がないわけじゃないんですね」
「いや、結構兄貴とかとやってたけど!」
「お兄さんと!?近親そ……はぁ!?」
「あ、勝った」
「勝ったじゃない!なんで今言うんですか、そんな面白そうな話!」
「兄貴に扱かれた甲斐があったなァ」
しみじみと言えば、肩で息をしながら、本屋敷くんは視線をぐるりと巡らせる。
「…………スマブラの話か」
いつものトーンで呟いて、「失敬、取り乱しました」と再びコントローラへと向き合う。心なしかガッカリしているように見えるのは、気のせいだろうか。倣うようにコントローラーへ視線を落として、ゆっくりと瞬きした。
「君がセックスをした事があるのが、意外だって言ったんですよ」
「ド直球だねぇ」
「悲しき誤解を産まないためです」
「勃ったのは勃ったけどねぇ。正直、語れるほど覚えてねぇんだよね」
ボコボコにされながら答える。いや、そろそろピカチュウが可哀想になってきたので、キャラを変えよう。次はあんまり罪悪感が湧かないやつが良い。ヒゲオヤジとか。
「ガチの子には手出さなかったから、セフレとの記憶しかないけど。うん、皆喜んでくれたよ」
「あ、彼女とやった事は無いんだ」
「そう。互いのためにね」
「ふむ、どうでした?」
「どうでしたって……」
「俺は君の感想を聞きたかったんですがね」
思い出そうとするが、記憶に靄がかかる。やべ、女の子の顔が須らくカービィになる。左手が震えてきた。
「気持ちよかったとは思うけど、なんか、もう良いかな。最後にやったのいつだっけ」
「俺と付き合い初めてからは?」
「やるわけねぇじゃん。恋人いんのに」
「………………」
カービィが硬直する。その隙に、俺のヒゲオジがピンク玉を蹴り飛ばす。
「勝った」
小さくガッツポーズするが、本屋敷くんは無反応だ。敗者はもっと敗者らしく悔しがってくれないと、こちらとしては物足りない。
「何ちょっと良い人ぶってるんですか」
「ええ?」
「そんな御立派な志をお持ちなら、恋人が途切れた事無い人間に、セフレがいる筈ないでしょ」
「バレた?」
心無し胡乱な目でこちらを見てくる。でも、本屋敷くんと付き合い始めてご無沙汰だったのは、事実である。というか、遊びたくて大見得を切ったけれど、彼にとって有益な情報はあまり与えられそうに無い。
それは申し訳ないので、どうにか言語化したいんだけど。セックスってどんなだっけ。どんな感情を伴ってまぐわるんだっけ。
「しかし、セフレですか」
「ウーン」
「それならウィンウィンですし、後腐れもない。取材だけなら、最悪それで済ますのも────」
本屋敷くんが口を噤む。俺が、頬を思い切り鷲掴みにしたからだ。いやだって、それは困るもの。本屋敷くんの両手から、スイッチが滑り落ちる。カツンと硬質な音が、妙に鋭く響き渡った。
「ひゃやひぇふん?」
「俺が教えてあげようか?」
首を傾げる。戸惑いに揺れるアンバーの瞳には、澄んだ瞳のまま、双眸を見開いた男が映り込んでいて。「俺さ」と言葉を継ぎながら、頬から手を離せば、本屋敷くんは少しだけ後退りした。
「俺、器用だからさ。割と上手い方なんだって」
「何がですか?本当に脈絡が……」
「男とやった事はねぇけど。うん、でも、気持ち良くなれるまで、ずっとしてあげる」
「だから、君はなんの話を───、」
立ち上がって、机を跨ぐ。邪魔くせぇ。
後退った分だけ距離を詰めて、本屋敷くんを見下ろした。後ろはベッドで逃げられないのに、あまりにも無防備にこちらを見上げていて。膝を折って鼻先を擦り合わせれば、まじまじと双眸を覗き込んでくる。俺は少しだけ目を細めて、白い耳元に唇を寄せる。
「ここでイけるようにする」
囁いて、本屋敷くんの腹に手の平を添えた。
「ナカ擦って。イキたくないって言っても、ずっとイかせて。お腹撫でられるだけで、気持ちよくなれるようにする」
呼吸に合わせて上下する腹は、酷く薄っぺらい。いつか見たスプラッタ映画が脳内を掠めたので、少しだけ強く押してみる。ひくりと強張って、痙攣して。
「…………俺を抱くんですか?」
面白いくらい反応する身体。対してその双眸は、ただ平坦に俺を見つめていた。早朝の湖面みたいに凪いだ色だ。
「恋人は恋人とセックスする物だよ?」
「恋人でも、同意の無い性交はレイプになります」
「ふふ」
思わず笑ってしまうが、本屋敷くんは何故か表情を引き攣らせる。腹を這う俺の手を一瞥して、眉を顰めて。此方を不満げに見つめる表情に、目を細めた。
「浮気は駄目だよ」
「…………」
「ね、」
「………わかりました」
自然と表情が綻ぶ。お腹から手を離して、本屋敷の頬を擦った。
立ち上がり、今度はちゃんと机の脇を通って定位置に着く。俺が腰を下ろすのを見送って、本屋敷くんは息を吐いた。
「本当に君は……」
「次遊び大全しない?任天堂キッズでも、新作ならどっこいでしょ」
「トリガーが全くわからない……」
「?つーか俺が勝ったんだから、なんかご褒美ちょうだいよ」
「ご褒美か……ちなみに俺は17勝2敗ですが」
「おっ、リバーシするか」
そこに気付くとは中々だ。慌てて提案すれば、また大きくため息を吐く。本屋敷くんは、コントローラーを持ちながら、体育座りに体勢を立て直した。
「俺は、2018年オセロ大会一般の部の優勝者です」
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