第3話 はじめてのモヤモヤと映画館デート
「待った?」
「7カップ麺くらいです」
「それって食べ終わるまで?」
「そこは個人差なので考慮しません。作って終わりです」
「21分かぁ。お待たせしました」
新たな単位に適応しつつ、腕時計を見る。前回からの調整も兼ねて5分前に着いたけど、次はもう少し早く来ても良さそうだ。「いいえ」と笑う本屋敷くんは相変わらず美青年で、人気の無い集合場所を選んで良かったと思った。
「行こっか。ポップコーンとか買ってたら丁度良い時間でしょ」
「君はキャラメル派ですね」
「決めつけてかかるねぇ」
「実際どうなんです」
「秘密。本屋敷くんは塩派でしょ?」
「何でバレてるんだ…………」
軽口を叩きながら、駅の構内を歩く。自動ドアを潜り、駅とデパートの境にあるエレベーターを待った。
エレベーターは4つもあるので、きっと直ぐに到着するだろう。けれど、それだけの待ち時間が嫌にもどかしく感じられる。
なんせ、今日は映画館デートなのだから。
あのデートの約束の後、すぐに日程調整を行い、2人分の座席を予約した。自分がここまで能動的に動けるタイプだとは思わなかった分、驚きである。
「全部任せきりにしちゃって申し訳無いです」
「俺がしたくてした事だから、気にしないで。…………あ、エレベーター来た」
ノロノロと乗り込んで、9階のボタンを押す。一緒に乗り込んできた少女に、ペコリと礼をされて気分が良くなる。
「でも、思うんですよ。だからと言って、これから見る映画のタイトルすら知らないのは如何な物か」
「世の恋人はサプライズってやつが大好きなんだよ」
「成る程」
スマホにタプタプとメモを取る本屋敷くん。あ、人差し指フリックで打ち込む派なんだ。心配になるけど、騙しやすくて助かる。
このビルは10階建てなので、9階に着く頃には人も大分少なくなっていた。開けるボタンを押したまま、少女が出て行くのを見守る。
「あ、俺ちょっとお手洗い行ってきます」
「おっけー」
本屋敷くんは、エレベーターから出るなりトイレへと駆け込む。俺は腕時計を一瞥して、カウンターに続く列に並んだ。ポップコーンでも買っておこうと思った。本屋敷くんは塩派なのを俺は知っている。
「すみません」
肩を叩かれて、振り返る。同い年くらいだろうか。栗色の毛をしたハーフアップの女の子と、黒髪ショートの女の子が立っていた。どちらも涙袋のぽってりとした、可愛くてキラキラした子だ。
「あたしたちここの映画館初めて来たんですけど、物販の場所が分からなくて。……良かったら教えて貰えませんか?」
栗色の髪の子が、俺の袖口を摘みながら言った。
「あー、券売機あるじゃないですか。そこ真っ直ぐ行って、右に曲がったらありますよ」
「ありがとうございます!ところで、今日は何の映画を見にきたんですか?」
列に従って進みながら、女の子と問答する。トイレの方を一瞥して、本屋敷くんの姿が無いのを認めた。
「『ドント・ムーヴ』ってやつ。好きな監督のなんだ」
「偶然ですね!同じの見る予定でした。私たち、スプラッタ大好きなんです」
ね、と微笑みかける茶髪に、ショートの子が頷いた。意外だ。こんな子たちが、まさかこの映画目当てに映画館に足を運ぶとは。『上映中に気絶した』『怖すぎてトイレに避難した』『間に合わなかった』『漏らした』などと、不穏なレビューが後を絶えない問題作であるが。万人受けする物を作る監督だとは思っていなかった分、理解者と出会えたのはとても嬉しい。
「その、まだ券買ってないんですけど。隣の席で観ませんか、映画」
「ああ……」
いじらしく発せられた言葉に、やっと全てを理解する。最近はこう言う目で見られるのが少なかった分、すっかりと忘れていた。俺ってば結構モテるんだった。落胆に肩を落としそうになってしまうが、どうにか踏み留まる。沈む内心を誤魔化すみたいに、笑みが深まっていくのが分かった。
「塩のMサイズと、キャラメルMサイズ一つずつ。あとは、コーヒーとコーラ」
「私たちも怖くて……」
「わかる、こえーよね。……ああそう、飲み物も両方Mでお願いします」
「お兄さんが近くにいてくれたら、心強いなって」
注文を終えると、もう一度袖口を引かれる。潤んだ大きな目が、こちらを見つめていて。困ったな。こう言う時の断り方が、よく分からない。基本断らなかったから。
「えっと、すみません。今日俺ツレがいて───、」
「そうですよ、絢瀬くんの右隣は俺の席です」
「うわ、びっくりした」
「左隣は空いてますが、彼には俺だけに集中してもらわないと困る」
「映画にも集中したいかな……」
ひょっこりと、背後から顔を出す本屋敷くん。その手にはいつのまにか、先刻頼んだジュースとポップコーンのセットが握られていた。助け舟は嬉しいが、彼の登場が、状況を好転させる物かと言われればそうでもない。
「えー!お連れさんですか?」
「お友達もカッコ良いー!」
増えた美形に、目を輝かせる女の子たち。本屋敷くん、驚いたような顔をしているけど、割と妥当な展開だと俺は思うよ。
「お連れさんも一緒にどうです?」
「えっ、ちょ、腕掴んじゃ……ポップコーンこぼれちゃう……」
「スプラッタ、女2人じゃ不安でぇ」
「スプ……スプラッタ見るんですか!?誰が?!」
「やだ。お兄さん達、この映画目当てできたんでしょ?」
「やっぱ俺が見るんです!?初耳。初耳だぞ」
動揺か、興奮か。頬を上気させ仰反る本屋敷くんは、本当に女子への免疫が無いのだろうと思った。彼はこれまで、どのような人生を送ってきたんだろう。もみくちゃにされながら、縋るような目でこちらを見てくる。
「えぇと、どうしますか。絢瀬くん」
「え?なにが」
「いや、彼女達も不安だと言ってますし……」
「いやいや、」
乾いた笑みが漏れる。本屋敷くんの肩を引き寄せて、溢れそうになったポップコーンとドリンクを支えた。そう言えば、俺の分もずっと持たせちゃってたな。申し訳ない。
「……ないでしょ」
────だってこれ、『デート』なんだからさ。
二人きりじゃないと、意味がない。俺でも知ってる事なのに。やっぱり本屋敷くんは、本当に恋愛って物を知らないらしい。そこら辺も、今度教えてあげた方が良いのかもしれない。
肩を抱く手に少し体重をかければ、どうしてか、女の子たちは肩を跳ねさせた。かと思えば、みるみる顔が青褪めていって。大丈夫かな。今になって、あの監督の作品に対面すると言う実感が湧いてきたのかも。
「……絢瀬くん?」
「あ、そろそろ始まるじゃん。早く行かないと」
「あ、本当だ。すみません、お嬢さん方」
俺の顔を見て、腕時計を見て。そして、本屋敷くんはぺこりと頭を下げる。その手を引きながら、俺もまた女の子たちに「ごめんね」と笑う。
相変わらず強張った表情のままの彼女達を尻目に、入場を急いだ。
***
お出かけデートの後は、予約したレストランでちょっと高めの料理を食べる。それは多分、ファミレスデートとはまた違った趣のある物だ。前も言ったけれど。映画の感想なんて語り合ったりしちゃって、多分それはすごく楽しい時間だ。
「映画デートで何故あなたが振られたのか。何となく分かった気がしました」
「ええ?」
和風パスタを巻き取りながら、本屋敷くんは言った。俺は俺で、口に運びかけたカルボナーラを皿に戻す。
「映画、つまんなかった?」
「いえ、俺はすごく楽しめました。久々に良い物を見せてもらった」
「でしょ!本屋敷くん、絶対あれ好きだと思ったんだよね」
「ええ。ただ、何も知らずにあの血みどろヌトヌル猟奇映画を見せられるのは、人によってはテロ行為に等しいのでは?」
今度こそパスタを咀嚼して、回想する。あの時は、最初から「悠太の好きな映画で良いよ!」と言う話だったのだ。だから俺の趣味で選んだ。タイトルも事前に知らせた。映画デートでサプライズとか、ちょっと正気の人の発想じゃねぇし。でも、結果はヒサンだった。映画中は終始震えてるし、映画終わりの食事はお通夜だし。
彼女は「君の好きにしてね」なんて言ったけれど、それは決して、「何でも良い」と言う意味ではなかった。
それちょっと、俺には難しい問題だったかも。
「『やっぱり無理』って言われるのが嫌だったんだよね」
「え?」
「受け入れて貰えたなんて勘違いして、馬鹿みたいに浮かれて。後から拒絶されちゃったら、2倍辛いからさ。そんなら最初から、拒絶された方が良いって言うか……」
「だから何の話をしてるんです、きみは」
本屋敷くんは、心底意味がわからないとでも言いたげな声で、首を傾げる。口いっぱいにパスタを詰め込んでいるから、中々喋れないみたいだ。ハムスターみたいで面白いけど、ここでの沈黙は、すごく居心地悪かった。
「俺はね」
漸く麺を嚥下して、俺の顔を覗き込んでくる。
「後から拒絶するくらいなら、最初から受け入れませんよ。二度手間ですし。提案の段階で否定します」
「…………」
「それに何度も言いましたが、俺あの映画結構好きでしたよ。君は何をそんなに気に病んでるんです?気分が優れないのなら、そのパスタ頂きましょうか」
ヌッと伸びてきたフォークから、さりげなく自分の皿を退避させる。相変わらずの鉄面皮で、何を考えているのかは分からないけれど。彼にとって当たり前の言葉が、すごく心強い物のように思えた。
「ありがとう」
笑えば、きょとと、琥珀色の目が瞬かれる。すぐに伏せられた睫毛が、陶器みたいな肌に影を落とした。
「それより、デートらしいお話しましょう」
「映画の感想とか」
「ご飯中に臓物の話をするのもどうかと思いますけどね」
「そう思って、お昼は肉じゃなくてイタリアンを予約しました」
本屋敷くんの手が止まる。フォークを見て、また、俺の顔を見た。「君は、」と何か言いたげに口を開閉させて、やがて諦めたようにパスタを掬う。
「俺は面白いと思いましたが、そうだな。君の感想を聞いていなかった。この映画、お眼鏡に叶う物でしたか?」
「…………」
少しだけ迷って、「面白かったよ」と答える。これは事実だ。けれど、それだけが真実全てではなかった。胸に支えた物を、口に出すかどうか検分して。
「一つ不満がある」
結局、俺はそれを打ち明ける事にした。彼はきっと、思想の違いで俺から離れて行ったりはしない。
「殺人鬼の原動力が、『愛』だったって所」
「へぇ。憎めない悪役は悪くなかったですけどね」
「殺人鬼に人間味を持たせちゃったら、急にちゃちくなった気がするんだよね」
「人間味……、ああ、愛は人間の特権ですもんね」
「そうなの?でもああ言うのって、話が通じなくて、理解が及ばないから恐いし魅力的なんじゃない」
「成る程。純粋なスプラッタを期待していたのなら、確かにそうかもですね」
空になった皿に、本屋敷くんはフォークを置く。グラスを傾けて、冷たい水を嚥下した。
「俺は感動しましたよ。『殺したい程愛してる』って、割とよく聞くフレーズな気もするけど、何となく理解できたのは初めてで」
「あれがラブロマンスだって言ってるの?」
「途中からはそのつもりでしたね」
目から鱗だった。同じ物を見ながら、ここまで違う印象を抱くだなんて。やっぱり本屋敷くんは面白い。彼の考えが純粋に知りたくて、少しだけ身を乗り出した。
「なんで愛してる相手を殺すの?周りの人殺したり、本人を閉じ込めちゃう辺りまでなら、まだ理解できたけど」
「可愛さ余って憎さ〜って奴ですかね?……確かに、その矛盾を言語化するのは難しいな」
「本屋敷先生でも難しいかぁ」
「難しいですねぇ。彼の気持ちが分かったら教えてください」
「好きな女の腹ァ裂くやつに共感できるかよ」
そんな日はきっと永遠に来ない。力になれそうにはない。そう言うつもりが、思いの外強い言葉が出て驚いた。本屋敷くんの表情は相変わらず動かないけど、黒髪が少しだけ逆立っている。驚いているのだろうか。
「それはそうですけど……いや、そんな感じでしたっけ、君」
驚いていたみたいだ。
申し訳なくなって、「ごめん」と後頭部を掻く。本屋敷くんに苛立ってたわけじゃない。フィクションとは言え、異常者でさえ愛を獲得し得るのだと言う事実が、何となく腹立たしかった。ともすれば。あれを『愛』と形容してしまうなら、人を愛したことすら無い人間は、あれ以下と言う話になってしまうが。
「怪物を謳うなら、死ぬまで怪物でいてくれないと」
「厳しいですね」
「身の程って大事じゃん?」
笑って、最後の一口を咀嚼する。小さく頷いただけで、本屋敷くんは何も言おうとはしない。やけに凪いだ双眸が、ただじっと俺の事を見つめていた。
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