第2話 本屋敷くんのひみつとふぁみれすでぇと

 4ヶ月。新記録だった。何がかといえば、それは恋人関係が続いた期間に他ならない。

 これは俺の回転率の良さを表す数字であり、俺が如何に甲斐性なしかを示す不名誉の数字でもある。

 だけどそれも今日で終わりだ。この数字を塗り替える時が、今こそ訪れたのである。

「4ヶ月と1日」

「は?」

「いや、本屋敷くん。良いね、彼。とても良い」

 マイクを持ったまま此方を睨め付ける同級A。丁度サビの部分のオケだけが、窮屈な部屋に響いた。

「邪魔すんなよ。今一番きもちいい所だったのに」

「いやでもしょうがないじゃん。だって4ヶ月1日だぜ」

「グッバイ!」

「やめろよ縁起でもない!」

「だからサビだって言ってんだろ!うるせぇな!」

「聞けって、」

「運命のヒトは?」

「『僕じゃない』……なんでそこだけ俺に歌わせるの?」

 世の中には越えてはならない一線がある。そうだろ。

 同級Bのマイクを毟り取り、同級Aの側頭部を思い切り殴る。ボコボコだ。くぐもった打撲音と、悲鳴とがボックス内に響き渡って。

「だってあれだぜ。束縛も干渉も嫉妬もしてこない。最高なんだけど」

「ちょっとそっとしといてくんない?。俺今、お前と縁切るかどうか迷ってる所だから」

「だろ?俺と友達になったやつ、皆そう言うんだよ」 

「友達すら立ち食い蕎麦屋式だったわけ?」

「でも本屋敷くんは怒りもしないんだ。マジストレスフリー」

 本屋敷くんはとても良い。

 良い感じに、俺に無関心で寛容だ。何より、『恋人がいる』と云う事実は、不本意な異性との交流に対する大きな抑止力になった。呼び出しの件数や、修羅場の件数が大幅に減ったのだ。加えて、冒頭に述べた通り本屋敷くんは干渉してこない。俺は俺の時間を得られるわけで、こうして、マブたちと楽しくカラオケにも行き放題ってわけで。

「はー、最高」

「お前。でもそれ、」

 睡蓮花のイントロを聞き流しながら、同級Aは米神を抑えて瞬きを繰り返す。傷口に充てられた紙ナプキンが、流血で真っ赤に染まっていた。

「それってあれだろ。お前、またフられるんじゃね」

「フラれないよ」

「聞けよ。どこからくるんだよその自信は。裏ァ返せば、お前が何処の誰と乳繰り合っててもどーでも良いって事だろ?」

「乳繰り合うとか言うなよ……」

「え……ごめん……」

 謝る同級Aは面白い。けど、本当に彼に至っては心配無用である。だって俺たちの関係は、愛だとか恋だとか、不確定な物に依拠している物ではない。

 俗に利害関係と呼ばれるそれだけれど、逆に言えば、利害が一致する限り、本屋敷くんが俺を捨てる事は無い。

 自然と深まる笑みに、「悠太?」と顔を覗き込まれる。

「ふふ、見ろよ。これ。誰と誰が別れるって?」

「はぁ、何?…………おー、ラブラブじゃん」

 スマホには、丁度本屋敷くんからのメッセージが届いていた。『今お暇ですか』だなんて。中々奥ゆかしいじゃないか。無関心不干渉が彼の美徳だとは言ったけど、こうして構われるのも悪くはない。

「『ちょー暇』『どしたん?』と」

「は、お前歌わんの?」

「そりゃ急用ですから」

「次入れた曲どうすんだよ。誰も歌えねぇぞ、何……平沢…誰だよ……」

「馬鹿呼び捨てにすんな。師匠って呼べ。……『今から会えませんか』って。えー、めずらしー!かわいー!」メッセージを返しながら、演奏中止を押す。次の曲は…同級Bのなら問題ないだろう。彼奴はどうにしろ、一生マイクを離さない。

「……なんか、珍しいな」

「なにが」

 荷物に伸びた手を止める。同級Aが、タンバリンをシャンシャンと鳴らした。

「こう云う時、お前いっつも俺らの事口実に断ってたじゃん」

「そうだっけ」

「んで、『恋人より友達を優先するの!?』って振られるまでがセット」

 言われてみれば、たしかにそうだったかもしれない。意識をした事はなかったけれど。俺は大体、気分と言うか、楽しそうな方に流れていくだけだから。

「何言ってんの」

 けれど、そんな物は口に出す必要はない。棘が立つし──何より俺自身、どうしてか、この感情を誰かと共有する気にはなれなかった。

「『恋人』以上に優先する物とかねーだろ?」

「へぇ」

 荷物を持って腰を上げれば、同級Aは少し目を見開いたまま口端を上げた。新しい玩具でも見つけたような顔だ。そんな腹立たしい反応も、今はなんだか気にならない。普段なら捻ったり千切ったりしているところだが、今はその時間すら惜しかった。

 脳内で弾き出した金額を、財布から取り出して机の上に置く。

「え、帰んの?」「行かないでユウくん!」「ユウくーん!」

 内股で口々に叫ぶ男たちに、「悪い、また遊ぼーな」と笑った。



 ***



 窓の外は暗くて、鏡みたいに此方を反射する。鳶色の癖毛に、祖父譲りの青色の目。ジャニーズ系のイケメンがこっち見てんなぁと思ったら、自分の顔だった。いやでも、あれだなぁ。どーせなら、髪とお揃いの茶色い目が良かった。丁度、本屋敷くんのあれみたいな。

 窓越しに向こうの席の女の子と目があったので、微笑んでおく。

「あ、」

 そのさらに奥────入口に見知ったシルエットを見つけて、窓から振り返る。

「本屋敷くん」

 名前を呼んで、「こっちこっち」と手を振れば、Eラインの綺麗な横顔が揺れる。此方に向けられた相貌も、やっぱり綺麗だった。

「すみません、待ちましたか?」

「いんにゃ、今きたとこ」

 お決まりの会話を交わしながら手を上げる。

 早足にやってくる本屋敷くんは、制服じゃない分何だか新鮮だった。ワイシャツにニット、スキニーを併せて。シンプルな格好なのに、誰よりも綺麗で誰よりも目を惹く。店内の注目を一身に集めておきながら、本人はそれに気付いた様子も無いのだから、慣れた物なのだろう。

「急に呼び出してしまってすみません。ここは俺が奢らせて貰いますよ」

「えー、良いの?じゃあこのポテトと、ハンバーグと……」

「あ、一品でお願いします」

「えー、」

 まぁ、男子高校生ってそんなもんか。迷いながら、結局「後でいいや」なんて言ってしまう。さっさとポテトを注文してしまった本屋敷くんを、すごいなぁと眺めた。

「本当に頼まんのですか」

「今は良いの。それより、どうしたの?テンション上がって、要件も聞かずにきちゃったけど」

「あ、あー。そうですね。それが先でした」

 また、コホンと咳払いをする。バッグから取り出したのは、茶色の手帳で。

「ふぁみれすでぇとなる物をですね」

「ふぁみれすでぇと」

「そう、今流行ってるんでしょう、サイゼリヤ」

 流行りもクソも無いとは思うけど。ファミレスなんて、どこも同じじゃないかな。でも面白いので、指摘しない。頬杖をついて、口をムズムズとさせる本屋敷くんを観察した。

「経験ついでに、あと、君の恋愛遍歴を聞けたら良いなと」

「とことん俺から搾り取るつもりだぁ」

「それはもう。……ご協力頂けるとなれば、徹底的に利用します、俺は」

「君が喜ぶなら、快く引き受けるよ。でも、大して面白い話はできないと思うよ?」

 肩を竦めれば、丁度店員さんがポテトを持ってくる。ポテトをつまみながら、「ピザと、ハンバーグと、サラダとカルボナーラとチキン」と、ついでに注文を済ませてしまう。ノルマは達したので、彼との対話にも専念できるだろう。

「…………結構食べるんですね」

「うん、だから奢りは良いかな。……あ、そう言えば、これでフられた事あるなぁ」

「へぇ。たくさん注文したらフられるんです?食べ盛りで微笑ましい気がしますけどね」

「君何歳?……でもまぁ、ほら。周りの目が気になる子だったり、あと純粋に引かれたり。人によって反応って色々あるから」

 メモを取るだけで、本屋敷くんは一向にポテトに手を出す気配が無い。試しに一本口元に持って行ってあげたら、真面目な顔のままモゴモゴとポテトを咀嚼した。餌付けみたいで楽しい。

「ほかにはどんな理由で振られました?」

「そうだな。私といて楽しい?だったり、なんで私を優先してくれないの、だったり」

「ふむ」

「あとは映画の趣味が合わなくて別れた事も……あ、そうだ」

 言葉を切り、身を乗り出す。本屋敷くんが、手帳から視線を上げてのけぞった。うん、近くで見ても彼はやっぱり美人だ。

「近いです」

「本屋敷くんて、どんな小説書いてんの」

「……ジャンルで言うと、サスペンスとかホラーとかですかね」

「題名の方教えてよ。はぐらかさないで」

「別に隠すつもりは無いですけど……」

 そう前置きと共に告げられた作品名は、驚く事に、活字とは無縁な俺でも知ってるような有名作で。というか彼の作品を原作とした映画を、俺は見た事がある筈だ。確か、兄貴に引き摺られて観に行ったアレだ。

「あれ、映画面白かった!すげーね、本屋敷先生。まさかそんな有名人だったとは」

「先生はやめてください。というか、君みたいなタイプが、俺の作品に触れるなんて。そっちのが驚きですよ」

 俺みたいなタイプってなんだろう。よくわからないが、俺は映画とかはよく見るタイプだ。それこそ恋愛から、アクション、ミステリーホラーまで。選り好みはしないけど、サスペンスとかホラーはその中でも結構好きな部類だし。

「本屋敷くんの本なら、今度読んでみようかな」

「やめてください」

「なんで」

 頬を膨らませれば、本屋敷くんは、また口をモゴモゴとさせる。困ったように下がった眉が、何処か目新しかった。

「…………恥ずかしいですし」

「かわ、かわい〜〜」

「なるほど」

 茶色い手帳に、『かわいい 不愉快 引っ叩きたくなる』と綴られるのを見届ける。間違った認識を植え付けてしまった可能性が高いが、このまま生み出される作品は正直すごく見たい。それとも、遠回しに抗議されてるだけだったりするのか。

「怒ってる?」

「怒ってませんよ」

「本当ぉ?恋人に隠し事はなしだからね」

 ピザを持ってきてくれた店員さんに一礼。つんつんと、ポテトを摘むのとは逆の手で頬を突く。すご、きめ細かいもち肌。これを手に入れるために、母さんは何か色々と顔に塗りたくってたはずなんだけど。可哀想になってきたな。今度納豆とか買って帰ってあげよう。

「本屋敷くんはさぁ、綺麗な顔してるよね」

「よく言われます。けど、君も大概でしょう」

「俺、口説かれてる?」

「成る程。『口説くときは、事実を述べると良し』」

 ややピントのズレた事をブツブツと呟いて、ノートにメモを取る本屋敷くん。その反応は新鮮で面白かったけど、求めていた物ではない。それ、『情報』として処理しちゃうんだ。

「デートしよ」

 気付けば、そんな言葉が転がり出ていた。

 怪訝な顔で首を傾げられる。妥当と言えば妥当だ。俺自身もびっくりしてるから。何でそんな事言い出しちゃったんだろ。

「?今してますが」

「ちゃんとしたやつ。映画館とか遊園地とか行ってぇ、」

「ふむ」

「予約したお店で、美味しいパスタとかお肉食べるの」

 ピザを頬張る。口の中に広がる、とろとろ熱々のチーズの味。うん、美味しい。恋人と食べる料理は全部美味しい、なんて聞くけれど。それは多分、それぞれに違った良さがあると言う意味だ。

「俺は良いですけど、君は良いんです?」

「?俺はだめなんですか?」

「君は、自分の時間を大事にしたい人間だと思っていました」

「そう言った事あるっけ?」

「いえ、当てずっぽうです。何となくそんな気がしてたってだけなので、ええ。根拠とかはないです」

 目を見開く。うん、多分その通りではあるんだろうけど。

 初めて言われた、というかバレた。いや別に、隠してたわけじゃないか。ただ歴代彼女と別れた遠因が、大体それだから驚いただけだ。あまりにも付き合いが悪いので、浮気を疑われたり、大切にされてないと思わせてしまったり。

 俺だって人を悲しませるのは本意じゃない。けれどそうなった場合、俺の事は誰が慮ってくれるんだろう。誰が、彼女たちに捧げた俺の時間を返してくれる?

 少しでも恋人を惜しいと思える甲斐性があったなら、随分と人生違ったんだろうけど。替えが効く物に対して、愛着こそ湧けど、執着する事はできない。少なくとも、俺はそうだったみたい。可愛くて優しいだけの彼女なら、ほしいと思ったらすぐに手に入るもの。

「…………ミラクル」

「へ?」

 呟いた俺に、本屋敷くんは素っ頓狂な声を上げる。なまじ無表情な物だから、音声だけ別撮りなのかと思った。

「人のことデートに誘ったの初めてかも」

「え、意外と奥手なんですか。百人斬りの絢瀬とか呼ばれておいて?」

「俺、裏でそんな呼ばれ方してんの?」

 初耳なんだ。本当のところどうなのかは忘れたけど、望んで斬ったわけではない。多分事故とか流れとかだ。これは名誉毀損にあたるので、それとなく出所を突き止めておこう。

「誤解だから、それ信じないで」

 ……本屋敷くんだけは。

 付け加えるような言葉は、思いの外深刻に吐き出された。戸惑ったように頷く本屋敷くん。ごめんねとは思うけど、これはあっちが悪いので仕方ないよね。



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