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 城下町から少し外れた場所に置かれた門。

 猫又の九重は想い出図書館の面々に別れの挨拶を告げ、夜の帳が下りる中、根城である門の詰め所へ戻ってきた。日没と同時に門を完全に閉ざした二つの塔は、静けさに暗く沈んでいる。普段から人通りはさして多くないので、夜は虫の声か野鳥の声か、葉擦れの音ぐらいしか聞こえない。

白露はくろ。帰ったわよ」

 かりかりと詰め所の木の扉を引っ掻く音を認め、門番の白露がランタンを手に重たい扉を開けた。気だるそうに、年齢にそぐわない短く刈り込んだ白髪をかいている。その足元を九重が黒く毛足の長い二股の尻尾を揺らしてするりと通り抜ける。

「前から言ってるが、扉に爪を立てるな」

「猫なんだから仕方ないじゃないの。ねえ、あんたは想い出図書館の人たちに挨拶してこなくていいの?もうすぐここから離れるって」

「俺はいい」

 相変わらずむっすりと言葉少なに答える白露に、九重は溜め息をついた。

「あんたねえ、そんなんだから人に誤解されんのよ」

「誤解するような奴は勝手に誤解してればいい」

 取りつく島もない。

 白露はランタンを持って詰め所の奥にある自室へ戻った。ベッドとテーブルと椅子があるだけの殺風景な部屋。この時間はいつもそこで夕食を摂っている。テーブルには食べかけの豆と野菜とベーコンのスープ、それにパンが数切れ。それを摂ってしまえば朝も早いのであと数時間もすれば床に就く生活を続けている。

「ねえ、白露はこの国の人間じゃないのよね」

「どうした急に。永住権は持ってる。文句はないだろ」

 今も白露は頭にターバンを巻きゆったりとしたローブを纏っている。砂漠の行商人のようないでたちだ。町はずれともなると職務規定はそこまで厳しくなく門番の服装も自由なので、白露はこの国に来る前から、この職に就いてからもずっとその格好だった。

 白露は手にしていたランタンをテーブルに置き、食事を再開した。九重は目線を合わせるため椅子を経由してテーブルへ華麗に飛び乗る。

「聞かないでいたけど、どうしてこの国に定住しようと思ったの。それまで旅をしていたのでしょ」

「単なる気まぐれだ」

「気まぐれ?本当かしら。想い出図書館があったからじゃない?」

 白露の、スプーンを持った手が止まった。

「あんた、

 九重の言葉に白露がスプーンを置いて短い眉をわずかにあげた。

「お前、いつから知ってた」

「あら、カマをかけただけなのだけど。素っ気ないようでいて帯屋と、特に狩野のことを気にかけてたようだから。それでなんとなく、よ。その質問が返ってくるってことは、白露もあたくしがだって勘づいてたクチね?」

 にやにやと青い眼を三日月にして九重が髭をぴんと立てた。

「勘づいてたってほどじゃない。なんとなく似ているなと思っただけだ。それに猫又が想い出図書館を前から知って世界間を渡ってきたのを妙に思ったのもある。あれは人の記憶を保管する図書館だろう。猫又が知ってどうする」

「うふふ、詰めが甘かったかしら。引き分けね。それにしても、どうして素性を隠していたの?雰囲気がずいぶん昔と違うじゃない」

 切りこんだ質問を投げた九重に、白露は少しの間逡巡するように目を泳がせたあと、観念したように大きく息を吐き出した。

「私は……再び生を受け自分の境遇を理解すると、想い出図書館のことを、千歳や帯屋君、それに頼鷹君のことを忘れたほうが良いと思っていました。今は白露であって維央ではない、昔にとらわれず今の人生をまっとうに生きたほうが良いだろうと。

 しかし旅の途中でキースヴァルトに到着し、レドールブルクの二十二月町に想い出図書館が定住しているというのを聞き及ぶと、いてもたってもいられず、気づけば図書館へ行くために体が動いていました。

 帯屋君が図書館に常にいないのはわかっていたので諦めていましたが、せめて頼鷹君に会いたいと。しかしいざ頼鷹君に会う段階になって、私が死んだことを伝えて悲しませるのは果たして得策なのかと思ったんです。ほら、維央である私は亡くなっても白露として生きているということを、頼鷹君も納得してくれるとは限らないでしょう。

 いや、情けないことに怖気づいたんです。幻滅されたらと、今までどうして会いに来なかったのだとなじられたら思うと言い出せませんでした。だから、昔とはかけ離れた性格の横着で不愛想な白露を演じたんです。幸い知り合いのいない土地で、雰囲気が変わったことを噂される心配はないですし。それが今でも続いて……このような有り様に」

「ああ。なんだかそういうとこ、やっぱり維央ね」

 猫又と門番としてずっと接していたというのに、お互い久しぶりに昔馴染みに会ったようで気恥ずかしい。ふたりの目線が合って、思わず笑みがこぼれた。

「千歳、と呼んでも良いですか。昔のように」

「それなら、あたくしも維央と呼ばせてもらおうかしら」

 お互い確認が取れたことで維央は「では」と質問を投げた。

「私にはそういった経緯がありましたが、千歳は何故、素性を隠していたんですか。口調だってまったく違う」

「生まれた身の上に即してまわりが望む振る舞いをすれば良いと思ったまでよ。千歳だった時もそうだったし、そのあと何度か生まれ変わったときも、ね。わざわざ名乗り出ることはなかったけど、想い出図書館にだって生まれ変わるたびに少なくともは顔を出してたのよ」

「そんな。知らなかった。どうして名乗ってくれなかったのですか」

「そ、それはねえ……あんたとだいたいおんなじよ。わかるでしょ」

 照れからか少し怒ったように千歳から答えが返ってきて、維央は驚いて目を見開く。そのまま次の質問をどう切り出そうか悩んで、会話がしばし途切れる。

「何度か生まれ変わっているということは、やはり……もう」

「そうよお。実はね、別れたあと思ったより長生きできなかったの。維央と別れてひと月経ったくらいかしら。徐々に、けれど確実に身体が衰えていってね。館長の座を他の人に譲ればもうお役御免なのかしらね。そのまま半年くらいでぽっくり」

 意外にも千歳はあっけらかんと答えた。それが逆に維央にはつらく思えてしまう。

「千歳には今も自由に生きていてほしいと、九重が千歳の生まれ変わりというのは私の勘違いだと思いたかったのですが。私のやったことは間違いだったのでしょうか」

「間違いなんて。どうなるかなんて誰にもわからなかったわよ。維央は悪くないわ。それで……維央の最期はどうだったの」

「言いたくありません」

「どうして。あたくしはちゃんと答えたのに」

 千歳が維央に詰め寄った。弓なりに鋭く尖った猫の爪が維央の腕に食いこんでやるぞと、にゅっと伸びる。維央は観念したように千歳を抱き上げて膝に乗せ、渋々と当時のことを思い返すように口を開いた。

「時々図書館を頼鷹君に任せて千歳の行方を捜していたのですが、出先の露店で買ったご飯にあたってそのまま」

「それは……ご愁傷様ね」

 維央が苦笑いを浮かべる。

「今でも食あたりはトラウマですね」

「そうやってあっけなく死んじゃって、後悔してる?」

 千歳がぽつりと問いを口にした。

「後悔がないと言えば嘘になります。けれど、こうしてまたあなたと会えた」

「この再会が、記憶の本を図書館に取り込んだことが原因だとしても?ふたりとも前世の記憶を持ったまま生まれ変わるなんて、そうとしか考えられない」

「そもそも想い出図書館がなければなかった出会いです」

 いつものように千歳の喉を撫でてやると一瞬固まったが、すぐにごろごろと気持ちよさそうに目を細めた。猫の習性には抗えないらしい。

「結局今も昔も、あたくしたちは想い出図書館に関わって……ねえ、維央。これって呪いなのかしら」

「呪いと言うには、素敵な出会いばかりでしたよ。千歳はそう思いませんか」

「確かにそうね。それなら祝福かしら。あら、ごめんなさい。スープが冷めちゃったわね」

 に謝られ、は思い出したように食事を再開した。

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想い出図書館 第三部 傘ユキ @kasakarayuki

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