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 もう数えてなぞないからあやふやだが、千年と少し前か、ワタシはかつてギリシアという国で産まれ育った。丘の上に立派な神殿がそびえる、綺麗な町だったよ。

 ワタシは少し裕福な家の娘で、ワタシが言うのも何だが、頭のできがほかの子どもより少しだけ良かった。ふたつかみっつになる頃には読み書きができるようになっていたものだ。しかし父親はそれを喜ぶでもなく、むしろ女に勉学ができたところでどうするのだとのたまう人だった。

 まあ、その頃のギリシアでは女の地位は奴隷とそう変わらなかったからな。こまごまとした仕事も男ではなく貧しい女か奴隷の役目で、そうでない女も家に居るべきだとされていた。そんなだから、女に学はいらないと思ったのだろう。女たちの境遇にワタシも少々疑問を持ってはいたが、ワタシが勉学に励むのを父親は強くは止めなかったから、不満には思っていなかった。おめでたい子どもだよ。自分がよければそれでよいのだから。

 話を戻そう。ワタシが数えで十二になった頃だ。

 季節は……いつだったかな。暑いように感じていたからたぶん夏だったように思う。あちらの夏とこちらの夏はまったくと言っていいほど違うな。日本のうだるような暑さはギリシアにはなかった。暑いには暑いが、もっと空気がからっとしていたよ。

 いつものようにワタシは屋敷の書庫に向かっていた。朝起きて書庫で本を一冊取って日中に読み、夕方返すことを日課にしていたのだ。しかし、いつものように部屋を出て、いつものように廊下を抜け書庫の扉を開けて中へ入ったら、いつもと違う知らない装いの室内にいたのだ。

 荘厳な神殿のような、ワタシの身幅よりずっと太い乳白色の石でできた柱が何本もぐるりと円にめぐって、どっしりとそびえていた。床は大理石でひんやりと冷たく、石が音を吸ってしまっているのか静かすぎて却って不安を誘った。

 調度は向かって左に机が一つあるきりで、柱と柱の間はどこも壁だったが、正面の一角だけ細く通路が一本続いていた。先は薄暗くて見えない。天井も壁も柱もぼんやりと発光しているように白く明るく、それに対して通路の暗さが不気味に映った。

「おや、人の仔か」

 突然、声がワタシの耳に届いた。それは天から降ってくるようでも、地底から湧き上がってくるようでも、はたまた頭の中に直接響いてでもくるような……とにかく声のした向きがまったくわからぬ、男か女か、大人か子どもかもわからぬ、そんな声だった。

「ようこそ、夜闇の髪に榛の瞳の仔よ。誰かがここを訪れるのは久々のことだ。喜ばしい」

 そんなことを声は続けて口にした。

 そうそう、今じゃこんな色をしているが、昔は日本の人と同じ、黒髪をしていたのだ。長い月日を過ごすうちに気づけばすっかり白くなっていたよ。

「あの、ここはどちらですか。書庫の扉を開けたはずなのに、気づいたらここに居たのです」

 ワタシは勇気を振り絞って問うた。礼儀作法は一通り教わっていたからな、初めて会う者には敬いの言葉づかいでと思ったのだ。

 今の言葉づかいを突っ込むんじゃない。

「そう怖がることはない。ここは想い出図書館という」

「想い出、図書館?」

 図書館という響きにワタシは少し興味が湧いた。本と聞くととにかく飛びつくような子どもだった。幼いがゆえ警戒心のない……そう、ワタシはただただ幼かったのだ。

「ここはただの図書館ではない。世界中の、すべての人の記憶を一冊ずつ、本の形で保管している図書館だ。ここを訪れたなら、自分の記憶の本を観ることができる。読み聞かせのみに限るが他人の記憶も。わかるかな」

 硬い言葉づかいかと思えば、ワタシが子どもだとわかってか、言葉に少し柔らかいものが混じったのをワタシは感じた。

 たぶん、声の主はやさしいひとだ。

 ワタシは理解したという意味で頷いて問いを続けた。

「この図書館は、その記憶を収めた本は……どういう訳があってここにあるのですか」

「大切な記憶を失ってしまった人々のためだ。というのは建前で、言ってしまえば神々の気まぐれだ。そなたもそういった話をよく聞くであろう」

 確かに神話の神々は人間とそう変わらず気まぐれも過ちも起こす。

「ではあなたは、想い出図書館を創った神様ですか」

「いいや違う、我は管理する者に過ぎない」

「あなたは神様ではないということですか?」

「神かもしれないし、そうではないかもしれない」

 どういうことなのだろう。はぐらかされたのかもしれない。何か素性を言えない理由でもあるのだろうか。悩むワタシを見てか、声の主はくつくつと笑った。

「何とお呼びすれば?」

「好きなように」

 どう呼べばよいか悩んだが、結局「神様」と呼ぶことにした。

 それがワタシの、神様と想い出図書館の出会いだ。

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