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◇
これから語られる話は、頼鷹が書きとめた文章と概要は同じものの、維央だけが知る過去である。
時は平安時代中ごろ、国風文化が花開いた世。
「おお、おお、維央。よくぞ戻った。早う上がれ」
「どうしたんです父上。そんなに慌てて」
帰ってくるなり血相を変えて出迎えた父に、震えながら維央は問うた。本音を言えば、何よりも先にまず体を温めて寝てしまいたい。しかし、父親を無下にすることもできなかった。親不孝はいけない。
「宵の口に使いの者がお前宛に
「見当もつきませんね。仕事の用向きならば、務め中に伝えれば事足りるはずです」
「だからまずいのだ。わざわざ夜闇に紛れて使いを寄こしたのだぞ。何ぞ、お前が良からぬことをしでかしたのかと気が気では……。
ああ、お前がめでたく妻を娶った暁には、わしも安心して隠居しようと思っておったが……その前にまさか、出家を考えねばならぬことになろうとは」
父は袂を目元にひき寄せ、よよと泣くふりをしている。そのわざとらしさに呆れつつ、維央は話の続きを促した。
「で、誰の使いなんです?」
「右大臣殿……
泣きまねをやめ、父がささやくように発した名に、さすがの維央も眠気が吹き飛んだ。
宮中で務めているから当然高貴な方々にまみえる機会は多いが、維央は悲しいかな下級書記官だ。右大臣ほどの高官にもなると、一度だって言葉を交わしたことなどない。雲の上の御仁がこの下っ端なんかを認知していたほうが驚きだ。
それなのに、この私に何用か?
「その文は」
父が袂から、件の物を恐る恐る取り出して渡してくる。神妙な面持ちで維央はその文を丁寧に開いた。
頼みたき儀あり
道長
杉名史生殿
簡潔に要件が記された書状。明日、ということは昨晩使いがやってきたというから今日のことだろう。どういった用向きなのかは、出向いていかねばわかりようもない。無視すればもしや流罪か、とぶるりと肝を冷やした。
「要件は行った先でお伝えいただけるようです。幸い今日は休暇日なので、少し休んでから発とうと思います」
顔を上げると向かいに立つ父は顔面蒼白になっていた。無理もない。息子が何の用向きかもわからぬまま、雲の上の御前に召されるのだから。
「大丈夫。必ず戻ってまいります」
何も自信はないけれど、そう言って笑っておかねば己の心がもたなかった。
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