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  ◇


 これから語られる話は、頼鷹が書きとめた文章と概要は同じものの、維央だけが知る過去である。


 時は平安時代中ごろ、国風文化が花開いた世。

 砥草とぎくさ維央いおうは当時、杉名すぎなの維央しげなかと名乗っていた。齢二十六であった。中務省なかつかさしょう史生ししょうに任ぜられ、日々、公文書の書き写しや修繕を請け負っていた。今日も維央は仕事に追われ夜中までかかってようやくそれらを片付け、雪のちらつく中やっとのことで杉名家の屋敷に歩いて戻ったところだった。

「おお、おお、維央。よくぞ戻った。早う上がれ」

「どうしたんです父上。そんなに慌てて」

 帰ってくるなり血相を変えて出迎えた父に、震えながら維央は問うた。本音を言えば、何よりも先にまず体を温めて寝てしまいたい。しかし、父親を無下にすることもできなかった。親不孝はいけない。

「宵の口に使いの者がお前宛にふみを持って来たのだ。誰の使いだと思う?」

「見当もつきませんね。仕事の用向きならば、務め中に伝えれば事足りるはずです」

「だからまずいのだ。わざわざ夜闇に紛れて使いを寄こしたのだぞ。何ぞ、お前が良からぬことをしでかしたのかと気が気では……。

 ああ、お前がめでたく妻を娶った暁には、わしも安心して隠居しようと思っておったが……その前にまさか、出家を考えねばならぬことになろうとは」

 父は袂を目元にひき寄せ、よよと泣くふりをしている。そのわざとらしさに呆れつつ、維央は話の続きを促した。

「で、誰の使いなんです?」

「右大臣殿……藤原ふじわらの道長みちなが殿だ」

 泣きまねをやめ、父がささやくように発した名に、さすがの維央も眠気が吹き飛んだ。

 宮中で務めているから当然高貴な方々にまみえる機会は多いが、維央は悲しいかな下級書記官だ。右大臣ほどの高官にもなると、一度だって言葉を交わしたことなどない。雲の上の御仁がこの下っ端なんかを認知していたほうが驚きだ。

 それなのに、この私に何用か?

「その文は」

 父が袂から、件の物を恐る恐る取り出して渡してくる。神妙な面持ちで維央はその文を丁寧に開いた。


 明日みょうにち申の一刻(十五時頃)、我が殿まで来られたし

 頼みたき儀あり

                 道長

 杉名史生殿


 簡潔に要件が記された書状。明日、ということは昨晩使いがやってきたというから今日のことだろう。どういった用向きなのかは、出向いていかねばわかりようもない。無視すればもしや流罪か、とぶるりと肝を冷やした。

「要件は行った先でお伝えいただけるようです。幸い今日は休暇日なので、少し休んでから発とうと思います」

 顔を上げると向かいに立つ父は顔面蒼白になっていた。無理もない。息子が何の用向きかもわからぬまま、雲の上の御前に召されるのだから。

「大丈夫。必ず戻ってまいります」

 何も自信はないけれど、そう言って笑っておかねば己の心がもたなかった。

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