3-14

 何とか仕事を終えた夕方六時半。

「待たせてすみませぇん」

「いや全然」

 何だかありきたりなやりとりをして、俺たちはほぼ半日ぶりに顔を合わせた。

 待ち合わせに選んだ須璃ちゃんの大学の最寄り駅は、学生が多いこともあり自然居酒屋の数も多かった。

 金曜日なせいか、まわりも呑みに行くらしいグループが多い。相変わらず一月のからっ風は身に染みるけど、どこか浮き足立つものがあってそこまで寒いと感じることはなかった。

 彼女のご所望は洋食というざっくりしたものだったので、チェーン店でない料理も美味しくて女子受けするようなバルを選んで予約を取った。

「ふわぁ~、お洒落ですねぇ」

 目をきらきらさせて、須璃ちゃんが感嘆の声をあげた。まず一度は喜ばせてあげられたようで、良かったと胸をなでおろす。

 店員に案内され席に着き、各々飲み物を選び、料理もとりあえずそれぞれが気になったものをいくつか頼んだ。

 俺には白ワインが、彼女には自家製のジンジャエールが運ばれる。

「お疲れ様」

 グラスが触れ合うか触れ合わないかくらいで乾杯をする。

 そこのバルはなかなかに美味しかった。

 タパスの盛り合わせに始まって、サーモンのカルパッチョは新鮮そのもの、海老ときのこのアヒージョは程よくにんにくが効いていて、一緒についていたバゲットを残ったオイルに浸すとこれまた至高だった。スパニッシュオムレツはごろごろと具だくさんで満足感があり、カジョスはトマトソースにハチノスがとろとろに煮込まれていて、思わず赤ワインをおかわりした。つまりは思った以上に酒が進んでしまった。

「あっ、そういえばてーばくん。駅のホームでも助けてくれて、ありがとうございましたぁ。あの時急いでて、ささっとお礼言っただけでしたから」

 料理がいくつか運ばれて場も温まってきた時、ふいに須璃ちゃんがお礼を言った。

「いや、それ本当、善行を積むためで」

 半日前と同じような答えを返すと、また彼女はぷはっと吹き出した。そんなにウケる内容だろうか。

「だって、運とかめちゃくちゃ気にしてるじゃないですかぁ。毎朝ニュース番組の星座占い気にしてる系ですか?」

「……悪いかよ」

「可愛い~」

 けたけたと須璃ちゃんが笑う。酒なんか一滴も入ってないはずなのに、場の雰囲気に酔っているんだろうか。

「ねえ、これも運命だって思ってますぅ?昨日助けた相手に偶然今日も会ったって」

「別にそこまでは」

「わたし、運命かもって一瞬、思っちゃった」

 にんまりと俺に笑いかける須璃ちゃん。

 俺の喉がごくり、と鳴った。

「昨日助けてくれた恩人が、手帳をその時に落としたから警察の人だってわかって、それだったら想い出図書館に行って自分の記憶を観て、何か少しでも手がかりを想い出せばまたお兄さんに会えるかもしれない、会えたら、何か良くないことが起こってるかもしれない薫瑠ちゃんを、ただ警察に駆けこむよりも確実に助けてくれるかもしれないって思って、そう思って図書館行ったら丁度会えちゃったなんて、運命以外の何になります?」

「図書館に来た時点で、もう最初から取引するつもりだったんじゃないか」

「わたしってば、けっこうな女優じゃありません?」

 ふふん、と自慢げに彼女が笑う。

 薄々勘づいていたけど、地頭が良い娘だなと思った。

「確かになあ。須璃ちゃんも芸能界に行ったらどうなの。それだけ頭が回るんなら、芸能界でだってうまく立ち回れるんじゃない?」

「わたしは……薫瑠ちゃんと一緒にオーディション受けて、落ちた身ですから」

 今まで確かにそこにあった彼女の自信が一気にしぼんでしまった。彼女にも、俺にははかり知れない苦労があったんだろう。

「まだお腹に余裕があるんなら、締めにパエリヤでもどう?店のおすすめだって。他にも頼みたいのがあるならじゃんじゃん頼みなよ。今日は奢りだ」

「てーばくんってば、太っ腹~」

 ここは深く突っ込まないほうが良いだろうとメニュー表を勧めると、落ちこんでいたのが嘘のように須璃ちゃんは顔を明るくさせて、勧めたパエリヤと追加にバレンシアオレンジティー、デザートにクレマカタラーナまで頼んだ。現金な娘だ。それによく食べる。

 でも、彼女のそういった性格は嫌いじゃなかった。

 久しぶりに良い酒の席になった、とひとりごつ。何か言いましたぁ?と彼女が聞くので、お茶を濁すように再び乾杯をしたりして、俺たちの夜は更けていった。


 それからというもの、俺はどうも須璃ちゃんに気に入られてしまったらしい。

 買い物の荷物持ちに駆り出されたり、車じゃないと行けないレジャースポットへ行きたいとごねられたり。恋人かよ、と思うかもしれないけど、期待するところ悪いが全く甘い展開はない。ただの下僕である。

 そういえば、須璃ちゃんは今回のルール違反を正直に狩野さんに謝ったらしい。まずは他人の記憶の本を読んでも無事だったことを喜ばれ、そこからお小言タイムが一時間あってさすがに参ったので、もうしないと誓ったそうだ。

 それが良い。記憶の本は万能の便利ツールというわけじゃない。現にあの誘拐未監禁件も、一部を取り上げたせいで誤解があったわけだし。

 俺は相変わらず物を失くしがちであるけど、想い出図書館を頼り過ぎないように心掛けると、何かの拍子に割とすぐ見つかるようになった。一度気持ちを落ち着かせるのが肝、なんだろうか。

 何ごともほどほどが肝心、なのかもしれない。

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