2-7

「——頼坊」


 空気が変わる。

 それと同時に、十一の音読の声は遠くかすかになってゆく。

 薄明るく無尽灯むじんとうが照らす丁稚部屋で、十一が同僚の男に寝支度をしている間を見計らい言伝を頼んだところらしい。

 十一は畳に広げた布団の上に足を伸ばして座っていた。枕元には少ない荷物がまとめられ、その隣に真新しい杖も並べられている。折れた右足の骨は何とか繋がったがまだ痛むらしく、少し身じろぎをすると顔をしかめていた。

「突然田舎へ帰ることになっちまって、すまねえ。こんなことになっちまって驚いたろう。意外とおれはぴんぴんしてるけどな。こうなっちまったのは頼坊のせいじゃない。それだけは、自分を責めるのだけはしないでくれ。

 かと言って、旦那さんに矛先を向けるのも駄目だ。旦那さんのほうが正しい。

 おれが首を突っこみすぎたんだ。だから頼坊のせいじゃない。

 頼坊はいろんな可能性を持ってるんだ。夢を持てと言ったろう。それを忘れずにな。

 田舎へ帰るっつっても、今生の別れじゃねえ。おれの田舎はな、駿河の――だ。住むところ、教えたかんな。頼坊が大人になったらきっと会いに来いよ。おれんとこの親父とお袋、米を育ててんだ。美味い米をたらふく食わしてやる。それに緑茶の名産地だからな。近所の家が茶畑農家なんだ。そこの茶も是非とも飲んでほしい。それを楽しみにして元気でいろよ。

 それとな、旦那さんが頼坊に厳しくするかもしれねえが、そんなんでへこたれるんじゃねえぞ。頼坊には本っていう拠りどころがあるし、読んだことをたくさん吸収してるだろう。それを生かして、旦那さんに一目置かれるくらいにならないとだな。

 あ、あと頼坊にいっこ大切なことを言い忘れてた。

 息抜きはちゃんとしろよ。真面目なのは良いことだけどなあ、根詰めすぎるのはいけねえな。あと四、五年もしたら、ひとりでミルクホールへも行けるだろ。それまでは進にでも言って連れて行ってもらえ。けど、一人前の男になっても女遊びはほどほどにな。

 こんなもんか。じゃあ明日、おれが発ったあとに伝えてくれ」

「そんなに一杯覚えきれねえよ。もうちっと要点をだな……あと聞き捨てならない頼みが含まれてるようだったんだが」

 言いたいことが済んで満足そうな十一に、進と呼ばれた男が渋い顔をした。

「あっ、そういや頼んでなかったな。後生だ頼む!」

「お前なあ……」

 柏手を打つように両の手を音高く合わせ低頭する十一を見て、目の前に座る進が呆れた声をあげる。

「じゃあ、いいや。今言ったことは綺麗さっぱり忘れてくれ」

 その声を聞いた途端ばねのように身体を起こすと、けろりと頼みを覆す。

「お前なあ……!如何してそう極端なんだ」

「覚えてくんねえ進が悪い」

 あっけらかんと笑う十一に、進は溜め息をついた。

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