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 普通に扉を開けてくぐったら、まず目に入ったのは団地の廃墟だった。じゃりり、と足元で劣化したアスファルトが鳴る。石畳とは違う、馴染みのある感触だ。

 戻ってきたんだ。

 そういえば、カメラを回しっぱなしだったことに思い至る。途中からすっかり存在を忘れていたので良い画が撮れているとは到底思えないし、そもそも私情が入りまくりの内容をネットに流すのは無理だ。お蔵入り決定だな。まあ、狩野さんもうまく撮れないって言ってたし。想い出図書館の実在をネットで広く拡散するのも惜しい気がした。そう考えを巡らしつつ停止ボタンを押す。またあそこへ来れるんだ。おれはほくそ笑んだ。

「博大……」

 後ろから声がして肩を叩かれる。振り返ると唯史が真っ青になって立っていた。

「唯史。どうしたんだ、そんな蛇に睨まれた蛙みたいな顔して」

「急にいなくなったからどこに消えたのかと探してたら、つい今さっき探したばっかりのところに突然現れて……。十分くらい探したんだ」

 そうか。想い出図書館に滞在してる間の時間は扉から帰ることでほとんど経たずに戻れるとか、管理人の説明にあったっけ。

「悪い。今まで想い出図書館に行ってた」

「え?本当?動画撮れた?」

 唯史が興味津々におれの手にしていたGO Proを覗き込む。あんまり後半は見られたくないなと思いつつ再生ボタンを押してみたが、音声も肝心の動画も荒れまくって確認できたものじゃなかった。がびがびの聞き取れない音声と、モザイクかと思うほど乱れた画面。畑が広がる一帯を撮ったところから全部だめだった。

 ネットに上げないにしても最初は頑張って撮ってたのに。内心がっくりと肩を落とした。

「はは。本当に駄目なんだな。司書の人がうまく撮れないと思うって言ってた」

 唯史にはつい、それほど気にしてなさげに笑みを交えてこぼしてしまった。これじゃほら吹きだと思われても文句は言えないなと思う。

「そうなんだ……」

 ただただ感心したような言葉が返ってくる。

「信じてくれるのか?行った証拠も出せないのに」

「急に消えて急に戻ってきたんだよ。神隠しってやつだよね。普通じゃないことが博大には起きたんだ。信じるよ。それで?大切な記憶は見つかった?」

 唯史が目をキラキラさせているのが、街灯の薄明かりでもわかった。

「いや、また来れると思って確認はしなかった。せっかくここまで準備したのに成果も何も撮れなかった……すまない」

「無事で、よかった」

 ぽつりと、唯史が呟いた。「え」とおれは言葉を漏らす。

「神隠しだとしたら、いつ戻って来るかもわからないと思って、不安で」

「ごめん。やっぱこんな企画やるんじゃなかった」

「そうじゃなくて。まだ、何も、謝れてなかったし」

 もうほとんど嗚咽交じりに唯史は絞り出すように言った。また「え?」とおれは唯史を見つめる。

「そうなんだろうなって思ってた。高校の時、ぼくのまわりのみんながたぶん博大をいじめてたってこと。でも確信は持てなくて、もし指摘して孤立したらって思ったら、言えなかった。だから、想い出図書館で博大と記憶を確認したら、ちゃんと謝れるかもって、思って。博大にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれないけど、それでもぼくはどうしても確認したかった。謝りたかったから」

 ほとほとと、落ちる涙と一緒に唯史が胸の内を明かした。

 知ってたのか。そんな素振りまったくなかったのに。それで想い出図書館に行くことを賛成したのか。そうだったのかと納得はしても恨みはわかなかった。もう、完全に吹っ切れたというか、そもそもこいつを恨むのは筋違いだ。

 唯史にも想い出図書館に行きたい明確な理由があったのに行けなかったのは、欲しているのは「影近博大」の記憶だったせいなのか。正確にはわからないけど。

「あのさ、それについてはもういいんだ。想い出図書館に行って、司書さんに説教してもらった。だから」

 肩を抱いて、唯史を覗き込んだ。

「謝んなよ。唯史の立場じゃ孤立するのは怖いのわかるし。もう、終わったことだ」

 そうやって肩をぽんぽん叩くと、唯史は「ごめん、ごめん……」としばらく謝っていた。

「お前、そんな泣き虫だったんだな。コンタクト大丈夫か?」

「あ、うん大丈夫。眼鏡も持ってきてるし」

「そういや……何で高校デビューしてコンタクトにしたんだっけ」

「何でって、博大に勧められたからだよ」

「そう、だったっけ」

 唯史が笑って、涙の球が頬を滑り落ちていくのが見えた。なんというか……思わず見蕩れてしまった。涙が光ってあんまりにも綺麗で。それで返答に遅れてしまった。実際覚えてなかったせいもあるけど。

「そうだよ。それこそ想い出図書館で本を読めば一発でわかるんじゃない?」

「だな。今度確認しに行ってみようかな」

「今度こそぼくも行けるように、リベンジだね」

 もうすっかり唯史の涙は引っ込んで、男女分け隔てなくほだされてしまう微笑みが戻っている。そして好奇心に満ちた目をおれに向けた。

「ねえ、ゆめおか教授の次のネタ、どうしよっか」

「そうだな。それじゃあ――」

 待ってましたとばかりに、おれは考えていた案を開示した。

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