1-5

 空気の流れが変わったと思った。

 あたりを見回す。どういうことだ?景色がすっかり変わっている。

 今まで住宅地を歩いていたのに団地の廃墟どころか建物など跡形もなく、左右の一面には畑が広がっているらしかった。風に乗って土の香りがかすかに漂い、月明かりの中でうっすら作物が整然と植わっているのが目視できた。そして目の前に視線を移すと、左右に石組みの塔を備えた堅牢な門らしきものがシルエットになってそびえていた。

 そういえば唯史は?

 不安になって見回す。ひらけた一本道で見失うなんてありえない。なのに奴の姿は忽然と消えていた。

 もしかして……おれだけが想い出図書館に来れたのか?

 撮影を止めて唯史を呼んでみようか。いやでも、とりあえず想い出図書館へ辿り着くまでは長回しで撮ろうと決めていた。途中で切って場面が変わってしまうと加工編集したと疑われかねない。画面に出るのは嫌だが仕方ないが、事情を説明して……今から引き返すか?いや、戻り方はメールに書かれてなかった。不親切だなちくしょう。一度想い出図書館に行けば縁ができるから、その後は同じ手順を踏めば何度でも行くことができると管理人の説明にあったが、まだ厳密には想い出図書館にたどり着いているとは言えない。今戻ったとして果たして再度来ることができるのか?どうしようどうしよう……。いや、悩んでいてもしかたない。おれは覚悟を決めて、深呼吸してウィンドブレーカーを鼻上まで引き上げた。都合よく顔を隠せるマスクの持ち合わせなんてなかったのだ。

「しばらく映像が乱れてしまってすみませんでした。改めましてこんばんは、何度かゆめおか教授の口にのぼっている助手です。たった今境界と思われるところへ進んでみたんですが、教授の姿が見えなくなって少々動揺してしまいました。どうやら……おれだけ違う場所へ出られたようです。ほら!団地の廃墟じゃないでしょ?」

 声は震えていないだろうか。自撮りしながら実況したあと、辺りのようすがわかるようゆっくりパンショットした。

「教授が不在ですが、一旦引き返した際、また同じようにここへ来られるかどうかはわかりません。なのでこのまま想い出図書館へ行ってみようと思います」

 そうして門まで進む。きっとこの先が管理人の言う「二十二月町」と呼ばれる城下町なのだろう。

 見るからに頑丈そうな門は、おれを拒むように閉ざされていた。どうすれば開くんだろう?実況しつつ辺りを見ると塔には詰め所のようなものがあり、ぼうっとと明かりが灯っていた。人がいるようだ。寝ずの番か?大変だな。

「す、すみませ~ん……」

 詰め所の窓口へ近づいて声を掛ける。カメラを回しているのにずいぶん情けない声が出てしまった。恥ずかしい。ここまで頑張って撮ったけど、止めてしまおうかという考えがよぎる。いや、だめだ。意地でも撮ってやる。

 声を掛けてほんの少し待つと、頭にターバンのようなものを巻いてゆったりとしたローブを羽織った異国情緒あふれる格好の老人が現れた。いや、白髪だからそう認識したけど実際はもっと若い。精悍な顔つきで切れ長の一重が印象的だ。感情を露わにはしていないものの、口を真一文字に引き結んでいる。

「なんだ」

 深みのある低い声だった。

「ここを通りたいんですが……」

「もうとっくに閉門の時間だ。日没には町一帯の門を閉める。帰んな」

 にべもなく断られてしまう。どうしよう。帰り方もわからないのに。

「ねえ、白露はくろ。この子、想い出図書館に用があるんじゃない?」

 女性の声が聞こえた。ありきたりだけど、まさに鈴を転がすような。どこから?その姿を見回しても捕らえることができなかった。

「ああ?ふうん、確かにこの辺りのモンの格好じゃないな。お前、想い出図書館へ行きたいのか」

「え?あ、はい!そうです‼」

 何が何だかわからないけど、とにかくがくがくと頷く。

「じゃあ、九重ここのえ。お前が言い出したんだから案内しろ。こう暗いのにほっぽり出して野垂れ死んだんじゃ、後味が悪い」

「あたくしが?どうしてよう」

「お前が、この小僧が図書館に用があるって勘付いたんだから、責任持つのが筋だろう」

「あんたねえ……。わかっちゃいたけど筋金入りの怠け者だわ……」

 門番と主のわからない声はしばらく言い合いを続けていたが、結局声のほうが折れたようだった。窓口の脇の扉がこちらに開き、門番がにゅっと顔を出す。

「一応閉門の時間だから、勝手に開けたと知れると面倒だ。門を開けると音で他の管轄の門番にバレる。今日は特別だ。この詰め所の中を通りな」

「あ、ありがとうございます」

「あとは九重に連れて行ってもらえ」

 だからその「九重さん」とは一体誰なのだ。

「ついてきて頂戴な」

 下から声が聞こえたので見ると、毛足の長い青い眼をした黒猫がいた。そう、そこには黒猫しかいない。

「何突っ立ってんのよ」

「ねこがしゃべった」

「喋っちゃ悪い?あ、もしかしてそれカメラ?やだ、映してるの?」

「え、あ、その……撮影許可もなく……」

 謝ろうとしたら、鼻で笑われた気がした。

「映してるんならそうだって早く言いなさいよ。ちょっと待って、今身支度を整えるから」

 言うや否や、猫はこしこしと前足で毛づくろいを始める。

「あの……喋る猫っているんですか」

 情けないことにおれは完全に思考停止してしまって、出会って間もない門番に助けを求めてしまった。

「そりゃ、見たとおりだ」

「喋る猫、初めて見ました……」

「猫又だからな、喋りもするんだろう」

「猫又……?猫又って実在するんですか」

「実在するも何も、ここに」

「はあ」

 気の抜けた返事をしてしまう。

 都市伝説の実在を調査するつもりが、猫又に遭遇するなんて想定外すぎる。妖怪なんか、はなから空想の生き物と思っていたのに。言われてみれば確かに、ふさふさのしっぽが二股に割れている。毛が長いからぱっと見わからなかった。

「いいわよ。さあ、いくらでも映して頂戴な」

 青い眼をくるりとさせて猫又が笑った。比喩じゃない、本当に笑っている。

「え、と……信じられないことに猫又に会いました。普通じゃないことが起こっています。いやが上にも期待が高まりますね……猫又の九重さん、想い出図書館についてお詳しそうですが、ひとことで言うとどんな図書館なんですか?」

「あんた、想い出図書館へ行こうとしてここまで来たのに、なんにも知らないってわけないでしょ?あんたが知ってる以上のことはたぶん知らないわ」

 猫又は凛と通る声を発した。

「百聞は一見に如かずでしょ。ついてきなさい」

 猫又は青い眼をきゅっと細めた。

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