第8話 春江後輩はトモダチマスター

 静かになったお寺の道場に、息を吐く。面を外し、ソッと床に正座をして。

「喧嘩……しました……」

「はァ……」

 気のない表情で、春江は間延びした相槌を打った。折角見学に来てくれた後輩に愚痴るのもどうかと思うが、もうちょっとこう、傾聴の姿勢をだな。

 悲しくなって鼻を啜ると、春江はソッと距離を詰めてくる。俺は汗臭いから、あまり近付かないでほしいんだが。

「声が聞こえんのですわ」

「あ……すみません……」

「声ちっっっさ。ちいかわみたいでかいらしいですねぇ」

「ちい……なにそれ」

 首を傾げれば、「ウソやん…」と言う顔をされる。とても傷つくので辞めてほしい。

「とにかく、なんです?喧嘩した?誰と」

「夏目……」

「はァ……」

「喧嘩したって言うか、なんかこう、こっちが一方的に気不味い?って感じなんだけど……」

 頷いて、自分の鞄を一瞥して。春江はスマホを取り出した。眠そうな目で、スイスイと画面をスクロールした。

「春江クン、何か怒ってる?」

「面白くないだけです。折角先輩の方から一緒帰ろう言うてくれたのに。はァ、他の男の話ですか……」

「そんな事言わずにさぁ……」

「……俺はねぇ、この白いのがお気に入りなんですわ。何となく先輩に似てて」

「そ、そうかなぁ」

「ほら、かいらしいですねぇ?先輩はどうです?」

 スクロールして、『ちいかわ』なるキャラクターを見せてくる春江。ちっちゃくてかわいい、なんか柔らかそうな動物たちがいる。「ウサギかな~……」なんて呟いたら、「俺に似てますねぇ」と宣った。

 そ、そうかなぁ。

「じゃなくてぇ!」

 叫ぶと、春江は迷惑そうな顔でスマホを引っ込めた。危ない。また上手いこと話を逸らされるところだった。

「聞け、聞いてよ。お前そう言うの得意じゃん、人間関係とか」

「えー……」

「ベーコンポテトパイ奢るから」

「しょうがないお人ですねぇ」

 キュルキュルとお腹を鳴らしながら、春江が薄笑いを浮かべる。食べ盛りのDKは扱いやすくて助かる。

「マックでご飯食べながら話しましょ」

「あっ、店内でお召し上がりですか?」

「お持ち帰りやと思っとったんです?俺もうお腹ペコペコですよ」

「ペコペコ……」

「かいらしいでしょ?先輩が好きや言うとったウサギさんとお揃いですよ」

 あれペコペコ鳴くんだ……。

「…………それ、なんか良いな」

 へぇーと感心しているうちに、いつの間にか腕を掴まれている。腕を引かれる感覚に抵抗をすれば、「ウサギの鳴き声はウソです」とか言われる。「エ……」と思考が追いつかずにフリーズする俺。静かになった馬鹿を、スムーズに運搬する春江。やり手だ。

 入口でどうにか春江をこづいて礼をさせて、俺も礼をする。

「なんや放課後デートみたいで、ドキドキしますね」

 蕩けるみたいに微笑んだ後輩を傍に、鞄の中の財布を探った。お金いくら入ってたっけ。



 ***



 きっかけ?は多分、数日前。昼休みのアレだ。

 今日も今日とて、俺は秋庭とか言う有言実行の男の強襲に、頭を抱えていた。あいつは「また来る」と言えば本当にまた来るし、「絶対に連れ戻す」と言えば、俺が頷くまで説得()をやめない。

 そんな俺を見かねて、丁度生徒会の仕事が無かった夏目が、助け舟を出してくれたのだ。

「冬樹、小畑先生が呼んでいたぞ」

 と言った具合に。誰が見ても嘘だとわかる、ぎこちないフォローだったが。それでもありがたいので、ピョンピョンしながら、「今行く!」と答える俺。そんな俺に足払いを掛けて、転ばせて、しっかりと締め技を掛ける秋庭。頭がおかしい。

「夏目?くん。申し訳無いけれど、冬樹は行けないと伝えてくれない?」

 模範的な優等生スマイルで、秋庭が微笑む。因みに袈裟固めをしたままだ。

「そればできない」と夏目が真顔で首を振る。「なぜ?」と、秋庭が、笑ったまま米神を痙攣させる。

「俺はこの後用事があるから。悪いが、それは君自身が先生に伝えてくれないか」

「見ての通り、俺も手が離せないんだ」

「ああ、簡単。他の誰かに、冬樹を抑えてもらえば良い」

「…………それもそうだけれど。ねぇ、」

 微笑んだまま、俺を解放する秋庭。身動きは取れるようになったけれど、俺は気が気では無い。秋庭が夏目にターゲットを移したのが分かったからだ。

「君、ウソ吐くの下手だねぇ。よく言われない?」

「何故俺が嘘を吐く必要があるんだ?」

「質問してるのは俺なんだけどな。……助けなきゃって思ったんでしょ?大変だね、博愛主義の副会長さんは。ただのクラスメイトにも、こうして気を遣わなきゃならない」

「『助けなきゃ』?」

 ……自覚はあったんだな。

 首を傾げれば、秋庭の指が跳ねる。これが、秋庭のストレスの露われである事を知っている。と言うか、秋庭もそうだが、夏目も夏目でめちゃくちゃ怖い。淡々とした問題は元より、翠眼には、妙に透徹した──理知的な光が宿っていて。目が合うだけで逃げ出したくなるような、得体の知れない凄みがある。

「あと、冬樹はただのクラスメイトじゃなくて、俺の友人だ」

「…………」

「友人が困っているようだったから、助け舟を出した」

「そう。熱い友情は結構だけど、これは俺たち剣道部の問題なんだよね。部外者は首突っ込まないでくれる?」

「部外者じゃない」

「部外者でしょ」

 低く唸る秋庭。何度か瞬きをして、夏目が、「そうか、言ってなかったな」なんて呟くのが聞こえてくる。嫌な予感がした。後退ろうとするが、クラスメイトに緩い袈裟固めをされて動けない。

 いや何で俺のクラスメイトが、秋庭の味方になるんだよ。

 スパイが!このクラスにスパイがいます!

 叫ぼうとした俺を、一瞥で黙らせる。夏目は感情の読めない表情のまま、俺の肩に手を添えた。

「冬樹は、俺の会長だからな」

「会長?」

「そう、会長」

 秋庭やクラスメイトが、怪訝な顔をする。俺は白目を剥いて泡を吹いた。

「そして俺は、冬樹が作る新しい同好会のメンバーだ」

「は、聞いてないけど。それも嘘……」

「嘘じゃない。そして俺は冬樹と活動するのを楽しみにしているから、引き抜かれるのは困る」

 騒然とするクラス。呆気に取られたような表情をして、秋庭が、やおら視線を此方へと移す。すごすごと頷けば、美しい顔が、ちょっと形容し難い感じに歪んだ。夢に出てきた。



「……秋庭先輩、カワイソー……」

「一番可哀想なのは俺だろうが!」

「……秋庭先輩も苦労しとるんやろうな」

「だから何なの、お前のその微妙な秋庭贔屓は」

「いやいや、先輩の事大好きなんが、聞いとったらよぉわかるからですわ」

「はァ?誰が」

「秋庭先輩が」

「はァ………?」

 何を言ってるんだこいつは。

「何を言ってるんだこいつは」と言えば、「ニブチンですねぇ」と、柔こい笑みを浮かべる。

「そもそも、あれです?秋庭先輩とは付き合い長いんです?中学一緒でしたよね、確か」

「幼稚園から一緒だよ。昔は家も近いし、よく遊んでたけど──、」

「けど?」

「中学から何か、あんな風になって。……ほんと、昔は良い奴だったのに」

 …………なんだって今ではあんな陰湿大魔王に…!

 拳を握りしめる俺を他所に、平べったい目のまま、春江がシェイクを吸い上げる。何だその目。言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうなんだ。

 暫し胡乱な目で睨み合う。春江がストローから口を離したのは、秒針が一周した頃だった。

「やったら見学が賑わっとったんは、夏目先輩が理由ですか」

「まぁ、そう……」

 秋庭から感心が逸れたらしい。改めて本題に言及されて、渋々と頷く。

 夏目が俺の同好会のメンバーであることが明るみになり、それからずっとあの調子だ。道場に犇く夏目目当ての人々。声をかけられたかと思えば、二言目には「夏目」である。

 そして今日は、そこに「春江」まで加わって、てんてこ舞いだった。正直、稽古どころの話ではない。

「でも、何が不満なんです?人数集まって、同好会設立できて。結果オーライやないですか?」

「いや……全然オーライやないです……」

「はァ……と言うか、今の流れから夏目先輩と先輩が喧嘩する意味が分からんのですけど」

「俺もわからん……」

「と言うと?」

 溜息を吐く。溜息を吐いて、ボソボソ語る。語るうちに、春江の表情がどんどん曇っていくのが分かった。

「…………と言うわけで」

「要約すると、『何もしてないのに、避けられる』?」

「……気がする?」

「気のせいでしょお」

「やめやめ……じゃないんだよ!気怠げに手を叩かないで?ちゃんと聞いてよ!」

「はー、何?根拠はあるんです?」

「根拠……は、ないですけど」

 気不味くなって、頬を掻く。

 経緯はどうであれ、道場に人が集まり始めたのは有り難い。だから、言ったのだ「ありがとう、夏目のおかげで同好会が作れそう」と。あと、「今度何か奢るから。ベーコンポテトパイとか」とも。

 それから、何か素っ気ないと言うか。前よりも、距離が遠くなったような気がして。いや気がしてじゃない。絶対に素っ気なくなった。距離を置かれている。

「話聞いて、なんかわかった事あるか?」

「先輩がベートンポテトポイが大好きって事しか」

「別にそこまで大好きってわけじゃ……え、お前今何て言った?ポイ?」

「そうは言ってもなぁ。今の話聞かされて分かる事なんてなんも……」

 眠そうな目で、ベーポンパテトポイをモソモソ咀嚼する春江。優雅な食事を見守れば、ややおいて、「あー?」と間延びした声を上げる。なんか思い当たる節でもあるのか。

「アレ。俺と夏目先輩、割と似てるとこあると思うんですわ」

「どこら辺がだよ。対義語みたいなもんだろ」

「でも尽くしたい派でしょ?夏目先輩」

「でもってなんだ。……もしかしなくても恋バナしてるか?今?」

「相手に求めるかって所が、決定的にちゃうんですけれど」

「俺の声聞こえてる?」

「一応言うときますけど、見返り求めん方がずーっとタチ悪いですから。そんでお話聞く限り、本人が無意識っぽい所も最悪やし」

 モ……と、最後の一口を食べ終わる。もう春江が何を言っているのかサッパリ分からなくなっていて、俺は最早スマホをいじりはじめていた。

『今日ご飯先に食べてていいよ』と弟にメッセージを送れば、『死ね』と返ってくる。人と話している最中にスマホをいじるべきでは無いな。

「せやから先輩は──……泣いてはるんです?」

「いやこっちの話」

「怖……」

 席ごと後退る後輩。物理的に距離を取られて、即効性の高い悲しみが胸を締め付ける。俺が涙を拭うのを見届けると、春江は、「あれですよ」とどこか平坦に言った。

「先輩やなくても良いんですよ、多分」

「え?」

「多分、尽くせたら誰でも良いタイプでしょ。そんで、聡いお方です。先輩の目的も薄々は気付いとったんじゃないです?」

「まさか……」

 言いかけて、口を噤む。初めて会ったときの事を思い出したからだ。「仲良くなりたいんだ」と言った俺に、夏目は「そうか」と微笑んでくれたけれど。底の見えない瞳だけが、じっと俺を観察していて。

 夏目は底が知れない。天真爛漫に、穏やかに。何も知らないように振る舞うけれど、実際は俺よりもずっと優秀で、ずっと多くの事を知っている。

 何より、夏目の前で隠し事をしようとして、できた試しがない。何処から何処まで知っていて、何を察しているのか。考えれば考えるほど、深淵を覗いているような気分にさせられるのは事実だった。

 だが、仮に夏目が俺の浅知恵も何をも、本当に全て見透かしていたとして。

「俺の目的が──同好会設立が叶いそうだから、『もういいや』って事?」

 彼は一体、自分の事を、駒か何かだと思っているのだろうか。

 思ったより低い声が出て、他人事みたいに驚く。春江も目を丸くしているので、気のせいでは無いようだ。いやそれにしても、先輩はお前のそんな顔を初めて見ましたよ。

「それはさぁ、なんて言うか。悲しすぎない?」

「はァ……」

「ちょっと、何で今フラッシュ焚くの?まって眩……!」

 カメラの連写音に顔を隠しながら、首を振る。

 だって、夏目は俺を『友達だ』と言ってくれたのだ。だとしたらあいつにとって、友達って何?自分を目的のために利用して、簡単に捨てるような人間?俺ってそんな薄情なやつに見えた?

 ぐるぐると、お腹の中で黒い感情が渦巻くみたいで。

「いや……」

 いや、違う。実際俺は、その通りの人間だった。

 薄情で、打算的で、最低最悪の屑で。たしかに夏目を、駒やら消耗品みたいに扱おうとした人間の1人なのだ。

 この感情は、夏目ではなく、自分に対してのものだ。あとは、夏目を『あんなふう』にしてしまった、何かに対して。

「…………ありがとう、春江」

「ベーコンポペポポイ分のお仕事ですわ」

「フィーリングだけで喋るのやめろよ……。俺、とりあえず夏目と話さなきゃだ」

「ええ?」

 何でそうなるんです?

 また目を丸くする春江に、小さく頷く。俺もそう思う。今更どのツラを下げてと言う感じだ。けれど、俺はどこまでも自分勝手な奴みたいで。夏目を傷つけたまま──自分が誤解されたまま終わるのが、どうしようもなく嫌だった。

「夏目が好きだから」

「…………」

「いや、友達としてって意味だから。……そんな顔しないで?」

 チビるかと思った。美人の真顔って凶悪だ。「愛があれば性別とかカンケーないですよ♡」とか言ってたのは何なんだ。あれか、許容はするけど、身内に同性愛者が居るのはちょっと……と言うタイプか。

「なんや、塩送ったみたいになったなぁ」

「……?」

「ァー、アレ、『こっちの話』です」

「怖……」

 ニコ……!とチャーミングスマイルを浮かべた後輩に、そっと胸を撫で下ろす。もう一度「ありがとう」と言って、ポテトを差し出せば、パックリと赤い口が開いた。

 自分で食え。

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