第7話 春江後輩は健気で重くて演技派で尽くしたい系

「回想と現状が一致して無いですけど」

「うん……」

「ご自分の心配した方がええんとちゃいます?」

「仰る通りで」

 顔を覆う。

 あの後、夏目といくつか言葉を交わして、談笑して。気付けば、素っ裸になっていた。いや流石にそれは比喩だけど、事情も心中も、何もかもをゲロってしまっていたのは事実。しかも全部自分から。わけがわからない。

「俺、割と話したがりなのかな?」

「いやぁ、それは無いでしょぉ。先輩、頑なに自分の事話しませんし」

「だって俺の話とか聞かされても面白くないだろ」

「俺は知りたいですよ、先輩の事」

「嘘だぁ」

「嘘じゃないですよ。好きなタイプに、昔のお話。嫌いなおかず、家族関係、ホクロの位置。いずれはぜぇんぶ教えて貰いますから」

 後輩──春江は、薄く微笑んでウインクする。細い黒髪が、サラと揺れる。完全に憧れの君状態だ。

 自販機の隣のベンチに深く腰を据え、長い脚を組み替えれば、あら不思議。ペンキが剥げたボロベンチも、高級ソファに早変わり。服だけじゃなくて、椅子すら人を選ぶとは驚きである。

「膨れ上がる自我……自己顕示欲……」

「話聞いてます?先輩は秘密主義や言うてますやん」

 チャリン、チャリンと自販機に金を与える俺。それを一瞥して、春江はぐるりと視線を巡らせた。

「寧ろ、クセ者なんは────」

「…………?」

 途切れた言葉に眉を寄せる。先を促すように春江を見れば、曖昧な笑みで往なされる。

「……俺も、今度ゆっくり話してみたいですねぇ」

「話せば良い。アイツ多分喜ぶぞ」

「そうさせて貰います。学ぶ事多そうですし」

「俺もよく勉強を見てもらってる」

「尋問官とか向いてそう」

 それはちょっと分からないが。人間の教科書みたいな、人間力の権化。それが夏目透と言う男である。特に春江みたいな軽薄の権化みたいなやつは、学ぶ事も多いだろう。だが、彼奴の言う『学ぶ』は、微妙にニュアンスが違うように思えたが。彼奴が言うと、普通の言葉でも意味深で妙な含みがあるように聞こえる。

「何です、先輩。そない熱心に見詰められると、俺勘違いしてしまいますぅ」

「よ、寄るな!しなしなするな!」

「釣れへんなぁ」

 春江がほけほけ笑う。取り出し口に吐き出された緑茶を取って、俺は半目で手を振った。素直にベンチの端にズレる後輩。俺が隣に腰掛けるのを待って、「そういえば」と口を開いた。

「今度先輩の同好会、見学行きますんで」

 口に含んだ緑茶が逆流してくる。

「シームレスに噴き出しますねぇ」

「難しい言葉使うなよ……」

「か、かいらし……」

「顔こわ。……噴き出すだろそりゃ。お前の先輩にポコポコにされるのは俺なんだけど?」

「そう言うと思って、話はこっちで付けました。部活が無い日だけの活動なら、兼部も問題無いんですと」

「…………っ、」

 此方を映した瞳が、チラチラと赤く反射する。息を呑めば、一瞬だけ相貌から色が失われるようで。平生はその緩み切った表情のせいで目立たないが、此奴も大概冷たい顔立ちをしている。真顔になると、さらに凄みが増すようだ。

「不満ですか?」

「いや……」

「夏目先輩には頼るのに、俺は拒絶するんです?」

「拒絶じゃない。お前は年下なんだから────、」

 負担をかけたく無いんだ。

 そう続けようと開いた口に、冷たい物が添えられる。

 それは、春江の人差し指で。目を瞬けば、節目がちの睫毛が、更に憂いを帯びて伏せられる。

「『後輩に負い目を感じたく無い』?」

「…………」

「それは、先輩の都合でしょう?俺を本当に想いやるんでしたら、俺のお願い、聞いてくださいよ」

 乞い縋るような声音だ。目の前の後輩が、今にでも泣き出してしまうのではないか。そんな予感に、面白いほど狼狽してしまう。

 唇に添えられた指先にそっと触れて、ゆっくりと下ろさせる。一歩間違えれば、簡単に傷つけてしまうと思った。

「春江、」

「俺の気持ちはどうなるんです。……先輩がこんな苦労する羽目になったんは、おれが──、」

「ちがう」

 思わず大きな手を掴む。赤銅色の瞳が見開かれて、うろうろと忙しなく揺れた。

「俺がこうなったのは、俺の自業自得だ。俺の意志で殴って、俺の意志で部活も辞めた。実際、謹慎だけで辞める必要は無かったんだから」

「…………」

「だから、後悔なんて一つもない。お前が気に病む事も、何も」

「じゃあこれは俺の意志です」

 春江が笑う。見たことのない、歪な笑みだった。自嘲と苛立ちと、怒りと……そして歓喜。相反する感情をぐちゃぐちゃに煮詰めたような顔だった。

「俺の意志を尊重してください」

「俺を──おれだけを優先してください。必要としてください」

「俺は先輩を選びます。先輩が、俺を選んでくれたみたいに」

 吐き出すごとに、声音は静謐に近付いて、重くなって行く。重くて黒い前髪が邪魔で、春江がどんな表情をしているのかわからなかった。だから、どう接して良いのかもわからなくて。

「…………」

 恐る恐る手を伸ばして、丸っこい頭を撫でる。弟や妹が落ち込んだ時は、よくこうしていた。けれど相手は、年齢以外、全てが俺よりデカいDKだ。これは如何な物なのだろうか。ぎこちなく手を動かせば、細くて柔らかい黒髪が、指に絡み付いてきた。肩を揺らすだけで、取り敢えず拒絶は無いようなので安堵する。

「…………お前の意志なら、喜んで力を借りるよ」

「ほんまですか」

「ほんまほんま。けど負い目で言ってるなら、それは──」

「おこりますよ、先輩」

「悪かったって。いつなら来れそう?」

 手を退ける。次に相貌を上げた時、春江はもういつもの調子に戻っていて。先刻までの悲壮感が、嘘みたいだ。

「!?」

「嬉しいですわぁ。なんだかんだ言いながら、先輩は俺のお願い、聞いてくれますもんね?」

「お前、まさか芝居うって……」

 仰け反れば、同じだけ距離を積めるように此方へと寄ってくる。手を取り、ずいと顔を近付け。鼻先がくっつくような距離感で、春江は目を細めた。

「男に二言は無いですよね、先輩?」


 マジで今日こんなんばっか。

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