第6話 陰湿大魔神(app18)・秋庭くんの強襲

「お前、頭の形だけは良いなぁ」

「性格も良いだろ」

「あ、こら。動くな動くな」


 後ろの席の織くんは、机に突っ伏す俺の頭にみかんを積んでいく。おばあちゃんのお家がみかん農家か何かで、この時期はみかんが有り余っているらしい。故に今は、人の頭に積み上げ分だけみかんを与えるとか言う、富豪のゲームに興じている。趣味の悪いみかん富豪だ。まぁ俺もみかんが欲しいので、後頭部を差し出すが。頭の形が綺麗で良かった。

「今何個だ?」

「12個」

「じゅ……は?」

「13個目」

 自分のポテンシャルが怖い。

 これなら、家族みんなで1人2つずつ食べることができる。俺、この道で家族を養っていこうかな。

「将来の進路、決まったな…………」

「冬樹ィ!」

「はい!」

 飛び上がった拍子に、頭の上からゴロゴロと何かが転がり落ちる。みかんだ。見たら丁度、15個くらいになっている。1人3個だ。やった。

「じゃなくて。何ー?」

 顔を上げて、教室の入り口へと吠える。俺を呼んだクラスメイトは、少し背伸びをしてヒラヒラと手招きしてきて。みかんを拾い集め、席を立つ。

「呼ばれてる!秋庭!」

「あ、秋庭ァ!?」

 飛び上がり、バックステップで席へと戻る。不味い。不味いというか、気不味い。秋庭とは隣のクラスのアイツであるが、俺は今、アイツとは非常に非常に複雑な関係なのだ。

「居ないって言っといて!」

「無茶言うな!」

「う、うううう」

 入口から、クラスメイトを押し退けて其奴が入ってくるのが見える。机の下に潜って、頭を隠す。アイツは摺り足で歩く。足音が無くとも、気配が直ぐそこまで────、

「はーるなりくん」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ」

「なんで謝るの?」

 長い足を折り、腰を屈め。机の横から頭を抱える俺を覗き込む。優しげな声にそっと顔を上げれば、ノータイムで顔面を鷲掴まれて。

「謝るような事したの?なぁ。おい」

「ギギギギギギギギ」

「言ってみなよ。自覚があるならきっと人は変われるよ」

 人が変わるというか、俺は骨格と人相が変わりそうなんですが。首を振れば、顔面を握り潰す手に、更に力が入る。顔面が軋む音がする。

「ゆぶじでぐだざい」

「えぇ~、ヤダ」

「ぉアアア」

 ようやっと顔面から手が離れたかと思えば、足首を掴まれる。そのまま机の下から引き摺り出されそうになったので、机の足にしがみついて抵抗した。

「酷いと思わない?俺はお前と話がしたいだけなのに」

「これが対話を望む人間の態度か?」

「お前が悪いんだよ?ゴキブリみてぇに逃げ回るから。俺だって手荒な真似はしたくない」

「鏡見ろよお前良い笑顔しやがって離せぇ!」

「千切るよ」

「何を!?足を!?」

「右か左か選ばせてやるから一緒に来な」

「尚更行くかよ!どうせ部活戻れって話だろ?!」

 叫べば、掴まれていた足首が地面に叩きつけられる。痛みに悶絶して、バイオレンス秋庭を涙目で見上げた。今のはちょっとリングネームみたいだったな。

「部活動推薦でしょ、お前は。その頭でウチに入れたんだから、それだけの働きはしなよ」

 突き放すような口調だ。もともと涼しげな目元は、完全に温度という物を失っている。色素の薄い前髪が、目元に影を落としていた。とても、茶化して済むような空気感ではなかった。

「……お前に関係ないでしょ」

「本気で言ってる?俺は部長だよ。首根っこ掴んででも、エースを連れ戻す。それが責任だ。例え相手が、責任を放棄するような骨無しでもね」

「暴力沙汰を起こした恥晒しでもか」

 空気が、分かりやすく重くなる。そう言えば随分と静かだと思ったら、クラスメイト達は皆、怯えたように俺たちを見守っていた。申し訳ない。せめて喧嘩する場所は選ぶべきだ。

 何か言おうと口を開けば、秋庭は眉間を揉み解す。

「……お前は謹慎した。反省した。それで良いでしょ。──自覚さえすれば」

「『自覚さえすれば、人は変われる』?」

「……………」

「でも、俺が変わっても、俺がやった事は消えない。俺には、お前達と肩を並べる資格はない」

「それを決めるのはお前じゃないよ」

「いいや、俺だよ」

 誰に許されようと、俺自身が自分を許せない。人に迷惑をかけてまで、そこにいたいとは思わない。

「戻るくらいなら、退学したほうがマシだ」

「………っ、」

 秋庭の相貌が、形容し難い表情に歪む。その表情に、一瞬でも物悲しさが浮かんだように見えたのは、気のせいだろうか。胸を突いた鋭い痛みに、指先が僅かに跳ねる。

「そう。分かった」

 沈黙を破ったのは、秋庭の方だった。柔こい目元を弛ませ、薄い唇が弧を描く。穏やかな笑みである。先刻までの憂いなど、微塵も感じさせない。

「……秋庭?」

「また、来るから」

 何処か不自然に言葉を区切って、立ち上がる。制服を神経質に払ったかと思えば、さっさと教室の入り口へと歩いて行ってしまって。

 こちらを一瞥した金眼は、笑みの形をしておきながら、ちらとも笑ってはいなかった。オオカミにでも睨まれた気分である。

「…………何もわかって無いんじゃん?」

 床に座り込んだまま呟く。肩からずり落ちたブレザーを、呆然とただした。

「お、お前さぁ」

「なに」

 教室の隅の方で縮こまっていた織くんが、青い顔で詰め寄って来る。クラスの空気はいつもの物に戻り始めていて、チラホラと話し声も聞こえ始めていた。

「なにじゃないが。こっちのセリフだわ、それは。なに、あのヤバいのは」

「秋庭」

「いや知ってるけどそれは。え、あんな感じなの彼って」

「アイツいつもあんな感じだよ」

「学年に秋庭くんって2人居る?」

 織くんが目を剥く。残念なお知らせではあるが、この学年にアキバとか言うトンチキ苗字は1人しか居ない。

 秋庭優斗。

 優しげなテノールに、カクセイイデンだか何だかの、日本人離れした彫刻みたいな相貌。そんな冷たい顔立ちを意識させないくらいに、常に暖かな笑みを湛えた立ち振る舞い。

 そんな風態から、秋庭と言う男は、世間一般には、剣道部主将の穏やか美少年……と言う事になっている。しかし付き合いの長い俺から言わせれば、それは「騙されてるなぁ……」と言う評でしか無い。冷酷非道、残忍無惨。凶暴で、横暴で、ツラだけ天使に生まれてきた、悪魔のような男である。

 俺の表情で察したのだろう。

 あの嵐のような男が、『優しくてカッコ良いと評判の秋庭くん』と言う事実に、織くんは表情を引き攣らせた。

「何というか、こう。随分前評判と違うけど……」

「人って色々な側面があるから」

「お前なにしたの……?」

「部活を辞めた」

「それは見てたら分かるけど……」

 …………それだけであんなんなるか、普通?

 言外に尋ねて来る織くん。『それだけ』かは別として、確かに、秋庭にしては珍しい言動だとは思った。「騙されている」とは言いつつも、ああ言った誤解が出回っているのは、アイツが周りにそう認識されるような言動を取っているからに他ならない。要は、猫を被っている。周りが勝手に騙されているわけでは無い。アイツが騙そうと思って騙しているのだ。

 アイツは、見目のせいで色々苦労してきた人間だから。

 殴るなら周りから見えないようにように殴ってくるし、言うなら分かりにくくチクチク嫌味を言ってくる。だからこそ、ああ言った騒ぎを表立って起こすのは、珍しいと思った。

「……確かに、彼奴らしくはない…………」

「『アイツ』?」

「お、夏目じゃねぇの。生徒会終わったの?おつかれ」

「ああ、ありがとう!」

 後ろの席から夏目を労わる織くん。前の席に腰掛けてくる夏目。よし、今日もイケメンだな。青漆の瞳と、鳶色の猫毛が素敵だ。新緑みてぇな眩しさに目を細める。2人の会話を邪魔せぬように腰を屈め、ズボンの裾を捲り上げた。

「うわ……」

 足首にちゃんと手形のアザがついている。あの馬鹿力、手加減と言う物を知らない。可哀想な足首をさすれば、余計に熱を持って痛むみたいだった。

「うわ、マジでひっでー」

「ギョ!」

「冬樹、どうしたんだそれ」

「ギョギョ!」

 気付けば両側から、俺と同じ体制で俺の足首を覗き込まれていて。何のために俺が屈んだと思っている。溜息を吐いて上体を起こせば、合わせるようにして織くんと夏目が上体を起こす。諦めて息を吐く。

「ちょっとコタツで低温やけどを──」

「コタツ?この時期にか?手の形の…?」

「お前くだんねぇ嘘つくなよ。秋庭だよ、4組の。部活の事で何かゴタゴタして。……つか引き摺って、何処連れて行くつもりだったんだろうな?」

 全部言うじゃん、コイツ。半目で織くんの頭頂に手刀を落とせば、くぐもった悲鳴が上がった。

「部活のゴタゴタ……」

「まぁ、円満退部って訳じゃなかったから……」

 夏目の視線が痛い。めちゃくちゃに目を泳がせながら、引き攣った笑みを漏らす。だから夏目に秋庭の事は知られたくなかったのだ。

 俺の目的──新たな同好会の設立に必要な人数が5人。夏目は、それに協力してくれている恩人である。具体的には、同好会設立メンバーに名乗りを上げてくれたわけで。

「……あ、後で話そうと……その、黙ってた事はあやま……」

「そうか」

 ストンと。切り捨てるような声だ。チーズにナイフを通すみたいな。思った以上にに素っ気ない反応で、呆気に取られてしまうけれど。

「冬樹は人気者なんだな」

 二重幅の広い目が、なんの嫌味もなく弧を描く。

 良心が締め付けられる、キリキリと言う音を聞きながら、また引き攣った笑みを浮かべた。

 そうだ、夏目ってこう言うやつだった。つけ込んでおいて何だけど、素直すぎるその性質、俺は君の事がちょっと心配です。

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