2章

第5話 誰かの回想

 不当な扱いを受けている子が居た。具体的には、物を投げられたり、無視されたり。だから、ずっとその子と一緒にいた。一緒にいる間は、どういう訳か、その子は不当な扱いを受けないみたいだったから。

「どうして、〇〇くんと一緒にいるの?」

「喋っていても、楽しく無いでしょう?」

「こっちの方が、楽しいでしょう?」

「〇〇くんと喋っても、つまらないでしょう?」

 こういった類の事をたくさん聞かれたけれど、意味はよくわからなかった。

 ただ、「不当だから」と答えるしか無い。楽しいだとか、つまらないだとか。それは、「正当であること」より大事な事じゃない。

 ある日、委員会から帰ってくると、その子はびしょ濡れだった。ハンカチを差し出したけれど、受け取ってもらえなかった。

「どうして」と。「風邪をひいてしまう」と諭したら、その子はびしょ濡れのまま、トイレに逃げ込んでしまった。

「放っておいてくれ」

「そうもいかない。どうしてそういった事を言うのか」

「害でしかないからだ」

 追いかけた先。

 ドア越しの問答で、彼は叫ぶように言った。

「お前が居るせいで、もっといじめられる。もっと酷い目にあう」

「お前が側にいると、自分が惨めになる。顔が綺麗なだけで好かれて、尊重されて。人の悪意に晒されず、否定もされない。武装する必要も、人を拒絶する必要も、怯える必要も何も無い。そうして真っ直ぐ育ったお前と、歪んだ自分の違いが浮き彫りになる」

「そもそもお前は俺が好きだから、俺に構うんじゃ無い」

「『正しくない』からだ。お前は自分の目に映る、『正しくない』物が許せないだけなんだ」

「本当に俺を慮るのなら、放っておいてくれ」

 ほとんど声を枯らして、彼はまた「放っておいてくれ」と懇願した。少し考えて、扉を引っ掻く。

「風邪をひいてしまう」とまた言った。

 息を呑む音が聞こえる。怯えているようだった。

 何かを間違ったらしい事は分かったけれど、具体的に何を間違ったのかは全く分からない。結局警備員さんが回ってくるまで返事がなかったので、ハンカチだけ置いて、家に帰った。

 次の日、その子は学校に来なかった。ハンカチは手洗い場の上に置かれたままだった。

 その次の日も、さらにその次の日も来ることはなくて、気付けばその子は転校していた。

 あの子がいなくなっても、あの子の言葉が妙に記憶に残っていた。

 自分から人伸ばすのはやめようと思った。自分から何かをしようとすると、間違えてしまうようだから。

 求められた物だけを与えれば良い。

 求める人にだけ、与えれば良い。

 人を害さず、正しく愛するにはこれしかなかった。

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