第3話 春江後輩は重い男である

「部活が無いから」と。当たり前のように1学年上の教室にやってきて、当たり前のように俺の前の席に陣取って。稀に見る美青年は、サンゴを彷彿とさせる指を、一本二本と折り畳んだ。


「恋バナに傷の舐め合い、兄弟自慢」

低い声が、特殊な周波数を以って、直接脊髄を揺らすみたいだ。


「けど肝心の勧誘のお話は出来ずじまいと。いじらしいですわ、先輩」

「素直に根性無しって言えよ」

「潔いですね?染められました?」


平生物鬱げに伏せられている目が、少しだけ驚いたように丸くなる。夏目の席に腰掛け、俺の机に頬杖をつく春江。丁度良い所にあったので、額をデコピンで弾いた。


「痛っ!」

「なんかこう、勧誘目当てで近付いたって思われるのが嫌で……」

「何にも間違って無いですよね?」

「う、」

「先輩は元々、看板欲しい~言うて夏目先輩に近付いたんやから」


穏やかな言葉が、さくさくと胸に刺さる。それはそうなのだが、いや今思い返しても最低な動機だな。


「……折角友達になれたのでぇ、」

「はァ」

「夏目を裏切りたく無い?」

「はァ……」

「ぶっちゃけ俺が、夏目に嫌われたくない?」

「正直に言えましたねぇ」


だって、そうだろう。「君を客寄せパンダにしたくて友達になったんだ!」なんて。そんなことを言われたら、俺だったら一歩引いてしまう。そんなのはちょっと………いや凄く嫌だ。

渋々頷けば、頬杖に使われていた左手が、ヌッと伸びてくる。俺の頬をぶにと掴んで、無造作に弄んで。流石、バスケ部の掌は大きいと思った。いや握力えげつないな。


「せやったら、決まりです?」

「ひゃひひゃ」

「『なにが』って、嫌やわ先輩。ここで惚けるんは酷いですよ」

「ぶにに!」

「俺、ずぅっと楽しみにしとったんですから」


弧を描いた双眸が、うっすらと開く。上目遣いで俺の相貌を覗き込んで、またすぐに閉じて。「言えますよね?」と、子供に言い聞かせるみたいに諭される。思い出すのは、カラオケボックスでのやり取りだ。

…………『最終手段だ』と。『どうにもならなくなったら頼る』と。

言った。確かに俺は言ったが、やっぱりバスケ部から此奴を引き抜くのは駄目だろう。


「なんです?先輩。お口モグモグさせて。一生懸命でかいらしいですね」

「……ッ、喋れないんだよ!お前のせいで!」

「わぁ」


ほけほけ笑いながら、両手を上げて仰反る。その余裕が癪に触るが、今日は余計に上機嫌のようにも見える。何か良い事でもあったんだろうか。


「その件だけど、やっぱお前に部員集めとかさせられないよ」

「…………はァ」

「地道に集める。……そもそも客寄せパンダって発想自体が失礼だし」

「俺は別に気にしませんけど」

「俺が嫌なの」

「……嫌やなぁ、いよいよ染まっとる感じして」


イヤイヤうるさいぞ!と言おうと思ったけど、約半数は俺の言葉なので口を慎む。そもそも先刻からの染まってる云々は何だ。寂しいので、知らない言葉で喋らないでほしい。

俺の葛藤を他所に、考えるような素振りをする春江。

俺は諸々の感情を押し込めて、首を傾げる。


「…………なんや周りくどいんは、やめた方が良いんですかね?」

「……何が?」

「いやぁ、一番大事なのは愛やと思うんですけど。逆に言えば、最後に愛し合ってさえいれば良いわけで」

「そうかなぁ?」

「そうでしょ。なんや、身体が先や愛が先やなんて、この際どぉ~でも良いんかなぁ、なんて」


確かに日本語であるはずなのに、彼の言っている事を、一つも理解できない。わらべうたでも聞かされているような心地だ。

いつも通りの声音。間延びして、穏やかで。

ただその時には、後輩の顔は既に見えなくなっていた。大きな左手が、眼前に迫っていたから。ほぼ無意識に、肩を硬らせる。

全く同じシチュエーションで、けれど先刻とは全く違う。それは何か、明から様な害意を以った指先だと思った。少なくとも、戯れに頬を弄ばれるわけでは無いのだろうと。


「……っ、」


指先から一番近い急所──首を庇いながら、跳ねるように後退る。

右後への歩み足。

けたたましい音が響いて、机がずれて、椅子が倒れて。


「──────ふ、冬樹?」


教室の入り口へと、2人同時に視線を送る。驚いたように目を見開いたまま、其奴の広い肩から鞄がずり落ちた。


「夏目…………」

「あらら」


緊張が一気に解けるみたいだった。俺は倒した椅子と机を、すごすごと直す。元よりその場から動いてすらいない春江は、関心を夏目へと移したようだった。


「夏目先輩や。噂をすれば」

「噂?俺の話をしてたのか、ええと。……春江、くん」

「そうですよぉ。冬樹先輩、俺と話しとる間も、夏目先輩の話ばっかで。妬けますわ」


目に眩しい翠眼が、そっと此方へと向けられる。伺うような視線に、「悪口じゃないぞ」と言えば、「分かってる」と拗ねたように返されて。


「冬樹はそんな陰湿な真似しないだろ」


真っ直ぐな声音に、鋭い痛みが胸を突く。

夏目は淀みない足取りのまま、自分の席に向かい、引き出しを探った。


「忘れ物を取りにきたんだ」


電子辞書を取り出しながら言う。立ちあがろうとする春江に「お気遣い無く」と笑い、鞄に辞書を突っ込んで。


「樹くんと一香ちゃんによろしく」

「ああ、……涼太くんにも」


そう返せば、非の打ち所のない笑みで、ヒラヒラと手を振ってくる。眩しい笑顔である。ドアの向こうへと消えて、夏目の背が見えなくなっても、まだ眼前に星が散っているみたいだった。眩しさに目がチカチカする。


「…………樹くんと一香ちゃんて、先輩の御兄弟のお名前です?」

「ああ、そうだよ」

「それはそれは。短いうちに、また随分と仲良うなったみたいですね」

「そう見えるか?」


他人の目にそう映った事が、訳もなく嬉しかった。

あの後、なんやかんやで距離も縮まって、家も割と近い事が判明して。夏目の家にお邪魔するうちに、彼の弟くんとも面識が出来ちゃったり。同じ理由で、夏目も俺の弟と妹を知っている。


「………羨ましいなぁ。家族ぐるみのお付き合い」

「家族ぐるみって程では……」

「俺、先輩の妹さんと結婚するんが夢やったのに」

「お前それ本気で言ってたのか……」

「取られてまいますわ」

「お前にも夏目にも、兄弟はやらん」


『夏目』という比較対象ができた事で弟は、「兄ちゃん、実はそこまでカッコ良くない……!?」と言う事に気づき始めているし、妹に「あのカッコ良い人、もう来ないの?」とかモジモジしながら言われた日には、卒倒するかと思った。お、お兄ちゃんはそんなの認めませんからね!と言いたい所だが、相手が夏目なのが複雑な所だ。


「…………」


忌まわしい葛藤を振り払うように首を振れば、胡乱な赤目と視線がかち合う。物良いたげな視線に、「なんだよ」と負けじと目を細める。


「えらい実直なお方でしたけど」

「ああ、夏目……」

「先輩はああいうタイプが良いんです?」

「………?」


ふいと逸らされる目線。眉を顰め、春江を観察する。3ヶ月間の付き合いだが、こいつのこんな表情は初めて見る。いつも以上にふにゃふにゃしていて、全体的に覇気がない。何というか、こう、『しょぼくれている』?


「春江……」

「何でしたっけ?『高校生のうちから結婚まで考えてくれる』タイプのお人?」

「あ、ああ?そうだな?一途で誠実なのは良い事だな?」


それにしても何で今その話を?というかお前にその話したっけ?

疑問符を浮かべながら答えれば、「うー」とか呻きながら、上半身を折り、俺の机に突っ伏す。ブワ、と甘い匂いが鼻腔を撫でて。びっくりした。図体がデカい分、一挙手一投足が無駄にダイナミックだ。


「俺だって、一途で誠実ですよぉ」

「そ、それは嘘じゃない?」

「嘘じゃないですぅ。この前だってそれが原因でフられたくらいだし」

「え、ウソ。お前彼女いたの?聞いてないんだけど」

「言う訳ないやないですか」 


ゲシゲシと机の下で足を蹴られる。足が長くて収まりが悪いのは充分分かったから。暴力はやめてほしい。痛い、痛い。


「……何人くらい?」

「何でそんなん聞くんです」

「いやその、割と噂は聞いてたから……。春江ってやつ、女の子を千切っては投げ千切っては投げしてるって」


実際に関わってみるとコレだったので、そんな物は本当に噂だろうと切り捨てていた訳だが。

俺はこうして、部活と学校生活の合間合間に会う春江しか知らない。だから春江に関しては、知らない側面の方がずっと多いのだろう。そもそも、この物腰柔らかな美青年を、世間が放っておくわけも無かった。


「逆ですわ、逆」

「……?」


気怠げな声音で、まぁるい頭が小さく揺れる。擡げられた相貌。サラサラした前髪の隙間から、底の無い目が此方を見ている。「よっこい」とか言いながら体勢を立て直して、かぶりを振る。机の上に投げ出された俺の手を、指先でちょいちょいと突いた。黒猫みたいだ。


「俺から誰かを振ったことなんて、ただの一回も無いですよ」

「…………そうか。すまん、失礼な事言った」

「ほんまですわ。俺はただ愛しただけ、なぁんも悪いことなんてしてません。それを皆して、『重い』や何や。ねぇ?好きや言うて寄ってきたんは、あっちなのに」

「…………」

「酷い話です」


…………それは、夏目の『重い』とはまた違う種類の『重い』なのでは。

冷や汗が背を伝う。


「なにしてはるんです?」

「いや、イカ焼きになってないだろうなって………」


良かった。傷一つない、ツルスベ色白シラウヲアーム。

春江の袖を捲り上げた状態で顔を上げれば、吐息だけで笑われる。


「エッチ」

「エ………ッ!?」


咄嗟に離そうとした手を、驚きの反射神経で掴まれる。冷たい指先が、生き物みたいに俺の指に絡みついてきて。ふにゃふにゃした男だが、思いの外手は固いのだと思った。でもスポーツマンの手って、大体こんな物か。


「先輩の手、肉刺だらけですね」

「文句言うなら離せよ」

「嫌やとは言うて無いでしょう」

「何だお前」

「それに何やかんや言いながら、自分からは振り払わんですよね」

「…………」

「先輩のそう言う所、好きやわぁ」


潤んだ目が、ぎゅう、と弧を描く。昔、弟や妹が、布団に潜り込んでくる時にこう言う目をしていた。ただあれらと違うのは、それが妙に熱っぽいと言う点で。

ふと気付けば、冷たかった指がいつの間にか熱を帯びていた。どっちの体温かはよく分からない。


「受け止めきらん人は、みぃんな俺から逃げてしまいますから」

「…………」

「ダメですよ、先輩。人と話すときは、ちゃんとお顔を見るもんでしょう?」

「…………何が可笑しいんだよ」

「タコさんみたいで可愛いらしいなぁ思いまして」


意識を擽るように、握られたまま、左手の指先が撫でられる。スローモーションみたいに、薄くて赤い唇が、ゆっくりと吊り上がった。

鼓動が煩い。きっとこれも伝わっているのだと思うと、ちょっと死にたくなる。

『可愛いらしい』、なんて。飽きる程聞かされてきた言葉が、胸の深いところに引っかかって熱を持って。


「……………………『タコさん』はねぇわ」


やっとの事で絞り出した声に、春江は不満そうに顔を顰めた。

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