第2話 アイドル夏目くんとのパーフェクトコミュニケーション

机に齧り付くのは好きじゃないが、こればっかりは仕方がない。何かを始める時には、往々にして面倒が付き纏う物である。 


「…………『構想書』?」

「うわっ!?」

「おはよう、冬樹」

「な、なななななな夏目!」


同好会発足にあたる構想書を、反射的に後ろ手に隠す。弾かれるように相貌を上げれば、精悍な面差しの美丈夫と目が合って。

短くて柔らかそうな、鳶色の髪。燻んだ色をした目は、光の当たり具合によって緑色に光る。笑窪と、目尻に刻まれた皺は、親しみ易い印象を抱かせる。眩しい。爽やかイケメンとは、言い得て妙だと思った。

「同好会作るのか?」

快活な声音で問いかけながら、前の席に腰掛けてくる。いつもは挨拶を交わす程度の仲だったので、話しかけてきたのには少し驚く。


「そう、ちょっとね」

「そうか。でも確か、冬樹は部活動推薦じゃなかったか?表賞とかも……」

「あー、まあ。色々とあって辞めちゃった」


でへへ、と。視線を逸らしながら、引き攣った笑みを浮かべる。存在を認知されていた事も驚愕だが、何より話題がよろしくない。真っ直ぐな視線が痛い。何か、何か言ってくれ夏目くん。


「そうか」


暫しの沈黙の末、どこか淡々とした口調で、夏目くんは頷く。そうだ彼もコミュ強だ。相手の機微を読み取るのが得意らしい。


「ところで昨日、俺を訪ねて生徒会室に来てくれたらしいけど────、」

「いや、あー。なんで知って……」

「相澤から聞いたんだ」

「相ざ……書記の?」

「そうだよ」


爽やかな笑みを浮かべたまま、気前良く頷く。成る程、彼が話しかけてきたのは、そう言う事だったのか。書記の彼女──相澤?さんに胸中で手を合わせておく。わざわざありがとうございます。けれど正直、とても困っています。


「……えぇと、その事なんだけど───」


後頭部を掻きながら、脳内の春江に助けを求める。

────「段階踏むべきです。ちゃーんと計画立てて、外堀埋めて」

────「懐に入る。基本ですわ。親しい方が、お願いも聞いてくれ易いでしょ?」

猫みたいに目を細めた関西人が、『ガンバレ!』とガッツポーズをする。

それしか言わないじゃん、お前。

俺の春江への解像度が低すぎる。段階を踏むって、それってつまりどう言う事。


「ええと、何というか、アレだよアレ」

「アレ?」


具体的には何すれば良いの。パーフェクトコミュニケーションじゃなくて良い。60点で良いんだ。頑張れ陽成!いくんだハルナリ!


「……な、夏目くんと、仲良くなりたいなって……!」

「…………………」

「ほほほほ放課後とか!空いてないかなって!」


上擦った声で、骨張った夏目くんの手を掴む。一瞬静まり返った教室に、サァと血の気が引いて行くみたいで。

周りを見て、固く握った両手を見て。そして最後に、溢れそうなほどに見開かれた翠眼を見る。

引き攣った口元が、ヒクと吊り上がった。


「…………空いてない……です……よね……」


コミュニケーションって難しい。



***



パチン、パチンと、気持ちの良い音が響く。あの後、「その、作業をしながらでも良ければ……」と言う夏目・根明人格者・丙くんの厚意によって、こうして面会の機会が作られた訳ではあるが。初めて入った生徒会室と言う場所は、そう何度も来たいと思える場所ではなかった。何と言うか、こう、神社に行った時みたいな息苦しさがある。


「済まない。作業まで手伝わせてしまって」

「……いやいやいやいや!時間とってもらったのは俺だし!寧ろこれくらい働かないと……!」


しょんとした表情で謝罪してくる夏目くんに、慌てて

首を振る。何なら作業用のホッチキスとプリントを毟り取ったのは、俺の方だったりする。俺は世間体を気にするタイプの小心者なので、人様の働きを棒立ちで眺めておくなんてできない。


「冬樹は、」

「ん?」

「何か話があるわけじゃ無いのか?教室じゃ言えないような話とか」

「ああ……いや、本当に夏目と仲良くなりたいだけで──、」


ホッチキスを扱う指先が、少しだけ冷たくなるようだった。

透き通った目が、じぃっと此方を見ているのが分かったから。

そうだよな。今まで前後の席で、同じクラスで。急に今になって、『仲良くなりたい』だなんて。何かあるに決まってる。実際何かある分、罪悪感は倍々ゲームなんだが。


「……夏目くんって、凄い奴だよな」

「え?」


素っ頓狂な声が上がる。急に何を言い出すんだとでも言いたげな。でも一旦落ち着いてほしい。一番そう思ってるのは他でもない俺だ。


「リーダーシップあって、誰にでも分け隔てなく優しくて」

「冬樹、いきなり何言って……」

「プリントとか回してくれるとき、絶対振り返ってくれるじゃん?あれ地味に嬉しい」

「それは、」

「会話とか入り辛いとき、さり気なく話振ってくれたりするし。俺がそれしようとしたら、超不自然になるもん。優しいコミュ強」

「…………」

「……こんなんじゃ駄目か?」


これは別に、おべっかとかではない。夏目くんのそう言う所を尊敬しているし、夏目くんはすごい奴だと思ってるし、実際夏目くんはすごい奴だし。損得勘定抜きでも、友達になりたいと言うのは全然本音である。

……あれ、そう考えると、やましい事とか無くないか?


「夏目くん?……ええ、」


顔を上げれば、耳まで真っ赤に染めた好青年。何処か潤んだ黒目が、忙しなくうろうろと揺れている。整った眉は狼狽したように下がってしまって、小刻みに震える唇は、宛もなく開閉して。

なに。それはどんな表情。何の感情の顔だ?

その、夏目くん。夏目くんや。

もしかして、照れていたりするの?


「夏目先輩!お客さんです!」

「うおっ、」


前触れもなく開いたドアから、昨日の書記の子……確か、相澤さんだったかが顔を覗かせる。視線がかち合って、目をお皿みたいに見開いて。ペコリと会釈をされたので、俺もまた会釈を返しておく。


「……!ああ、」

我に帰ったように返事をすると、夏目くんは忙しなく立ち上がる。

「今行くよ。……直ぐに行く!」


ドンガラガッシャーン!と。一回椅子を蹴飛ばして、立て直して、ドアまで早足で歩いて。


「済まない、冬樹。少し待っててくれ」


ぎこちなく笑って、ドアの向こうに消えて行く。ピシャン……と扉の閉まる音と、訪れる静寂。暫し扉を意味もなく眺めて、速やかに作業に戻る。

ホッチキスで書類を纏めながら、夏目くんのリアクションを回想した。


「………褒められて慣れてない……?」


呟いて、自分で自分の考えに首を振る。いやまさか。あの夏目くんだ。

──『学校で一番モテる人?そりゃあ、夏目くんじゃない?爽やかイケメン』

──『文武両道で優しくてぇ、何よりカッコ良い!』

女生徒たちの盛り上がりようを、思い出す。優しいだの、コミュ強だの。散々言われてきてる筈だろうに。

よくわからない。よくわからない男だが、あのギャップは素晴らしいと思った。

凛として、常に爽やかスマイルを湛えた夏目くん。

何処か大人びた──達観した出立をした夏目くん。

それがあんな、思春期の青少年のような表情を浮かべるなんて。いや実際青少年なんだが。

兎にも角にも流石の俺も、キュンとさせらたという話だ。

この感情。知らないようで知っているこの感情。

これは。この感情はまさか………、


「母……性…………?」

「済まない冬樹、待ったか?」

「ううん!ぜーんぜん!」


トゥンクと鳴った胸を抑えたまま、満面の笑みを浮かべる。あせあせと、此方へと小走りでやってくる夏目くん。

うん、野郎だな。記憶より110センチ、俺より5センチほど図体のデカいDKだ。無い筈の母性が擽られてしまったが、現物を見る事で戻って来れた。


「…………済まない、仕事を全部任せてしまった」


しょもしょもとした声音に、自分の手元へと視線を落とす。いつの間にか、大方プリントを纏め終わってしまったようだ。なんて事だ。俺が器用で有能な男なばかりに、夏目くんに負い目を感じさせてしまった。


「いや、マジで気にしないで。アレでしょ、生徒会の仕事なんでしょ。じゃあしょうがないよ」

「いや……」

「え?」


さらに気不味そうに視線を落とす夏目くん。首を傾げれば、「……んだ…」と、消え入りそうな声が聞こえてくる。何?『んだ』?ずんだ?五反田?バインダ?


「ンダホ……?」

「生徒会……じゃ無いんだ……」

「ああ…………」

「呼び出されて……体育館裏に……」

「うん……」

「……本当は、階段の踊り場で、こ、告白された……」 

「嘘とか吐けない人なんだ……」


この世の終わりみたいな表情で、言葉を絞り出す夏目くん。

いや、何かもう、ごめん。俺が悪いよ。

こんなのばっかだなマジで。裏目裏目だよ。寧ろ表。


「あー、その、」


青を通り越して、蒼白になっていく夏目くんの顔。このまま水蒸気みたいに霧散してしまうのではなかろうか。未だかつて無い速度で脳ミソを回転させながら、纏めた書類を差し出して。


「…………取り敢えず仕事終わったし、帰る?」


コミュニケーションって難しい。


***


いやいやいや、俺はさ。大前提夏目くんと仲良くなりたいんだからさ。その、こうして一緒に帰れるだけでもご褒美っていうか、大サービスっていうか。だから、ね!そんな気にしないで!借りとか負い目とか無いから!無い無いだから!これでチャラ!そもそもプリント纏めるだけだからね!そんな大変な仕事じゃな……いやこれは別に、夏目くん達生徒会の仕事を軽んじてるわけじゃなくてだね…………エトセトラエトセトラ。

そんな謎理論で夏目くんを丸め込み、何故か勢いのまま一緒に下校する事になったわけだが。


「………おれは、うう。不甲斐ない男だ」

「そんな事ないよ。夏目くんは男の中の男だ……え、嘘泣いてる……?」

「後輩を泣かせて、うぅ、挙句トモダチに仕事を押し付けてしまうなんて……」


こんな感じだったけっけか、夏目くん。思ってた数倍涙腺が緩いと言うか。その、ネ……ネガティブだ。


「というか、フッたんだ……あっ!」

「…………」


失言に、思わず口を塞ぐ。つい素直な感想が。素直なのは俺の唯一の美点だが、何事も過ぎれば毒になる。「よぉ回って、かいらしいお口ですねぇ。キスで塞ぎましょうか?」などと壁際で恫喝されて以降、気をつけて来たのだが。

後悔を胸に、夏目くんをあやす構えを取る。

けれど予想とは反して、子犬みたいな目で、夏目くんはかぶりを降った。


「……おれは、恋愛に向いてないから」

「バカな」

「バカじゃない。……根本からズレてるみたいなんだ。一度、『重い』って怖がらせてしまって」

「おも……」


これは、どうなんだろう。

『重い』の意味合いによって、展開が違ってくるぞ。『重い』って多義語だから。

どうしよう、このナリで袖捲って、手首イカ焼きみたいになってたりしたら。

なんて測り兼ねているうちに、車が2台ほど俺たちを追い越して行く。やがて痺れを切らしたのか、夏目くんは非常に気不味そうに口を開いた。


「…………高校生で結婚まで考えるのって、おかしいか?」

「あ、あー!そう言う、そう言うかんじね!」

「…………?」


胸を撫で下ろし、安堵の息を吐く。そうだあの夏目くんだ。夏目くんはどこまでも夏目くんである。


「俺よく分かんないんだよね。重い重くないって」

「そうだよな!すまない、変な話して」

「待って待って、謝るなって!俺は嬉しいと思っちゃうから、分かんないって話!」

「嬉しい?」

「だってあれでしょ?好きな子が、自分と少なくとも結婚する前提でいるんでしょ?重いっつーか、フッツーに嬉しくないか」


大学、社会人と続き、結婚まで漕ぎ着けるカップルが実在するのかは別として。まぁそんな注釈は、今は入れないのが吉だろうから、言葉にはしない。

キュ、と、後輩曰く『かいらしい』お口を閉じて、夏目くんに親指を立てる。


「…………」


驚いたように見開かれた翠眼が、少しだけ揺れて。やや於いてそっと弧を描いた。


「……冬樹は、良い奴だな」

「え、よ、良く言われる……?」

「ふふ、」


肩を揺らし、口元を隠して笑う。柔らかそうな猫毛が、拍子にふわふわと揺れて。それは夏目くんとの少ない交流の中で見た、一番幼い笑みだった。


「……………むン゛ッ!」


利き手で、思い切り自らの右頬を張り飛ばす。

危ない。また、俺の中の母性的なサムシングが息を吹き返す所だった。


「冬樹!?」

「良いんだ、気にしないで。こっちの問題だから」

「そ、そうか?」


心配そうに頬を気遣ってくれる夏目くんは、やっぱり出来た男だ。頷けば、心なしかホッとした表情で、「でも」と言葉を続ける。


「恥ずかしいところを見せてしまったな。……今日のことは、その、他言しないで貰えると嬉しい」

「『夏目くんは結構ナイーブな男です』って?」

「む……」

「冗談だよ、言わないよ。そんな勿体無い事しない」


また思わず口を抑え、咄嗟に夏目くんの表情を伺う。幸い今の失言については、あまり気にしていないようだった。


「それにしても、駄目だな。冬樹の前だと、どうにも気が緩む」

「払い給え清め給え」

「なに?」

「………キ…ィエィ……ッ!」


俺は、左の拳で自分の左頬をぶん殴った。夏目くんの悲鳴が聞こえる。俺は痛みと衝撃でそれどころじゃないが。


…………なに?なにこの、とめどない母性は。溢れて止まらないけれど。


とうとう路上に倒れ込んでしまって、ザラザラとしたコンクリートの感触を肌に感じる。茫然自失で瞬きを繰り返す俺の背を、夏目くんは膝をついて摩ってくれていて。ああ、本当に優しい奴だな、お前。


「ごめん、つまづいて転んじゃった」

「ほ、本当に?今自分で自分を殴らなかったか?」

「蜃気楼じゃない?」

「有り得るのか?そんな事が」


たたらを踏みながら立ち上がる。夏目くんの手をやんわりと遠慮すれば、少しだけ不服そうな顔をされる。


「心配かけてごめん」

「良いんだ、俺も随分と辛気臭いところを見せてしまったし」

「お互い様だな」

「本当に。冬樹って面倒見が良いんだな」


…………兄弟とかいるのか?


晴れやかな表情で尋ねてくる夏目くん。俺はと言うと、また呆然として、硬直してしまって。小さく小首を傾げるその表情に、先刻までの泣きっ面は見る影も無かった。


「…………ああ、居るよ。可愛い弟と妹」


ようやっと絞り出した声。スコン!と響いた子気味の良い音は、俺の胸の音である。

何というか、ああなるほど。納得した。


「本当か!?実は俺も、3つ下の弟がいて───」


可愛くて仕方がないのだろう。夏目くんは、嬉しそうにスマホを取り出す。

……なるほどこれは。母性というより、弟と妹に抱くあの感情と同じ物だ。


「俺の兄弟も見るか?」


夏目くんのカメラロールを覗き込みながら問えば、元気な返事が帰ってくる。妙な爽快感のまま、俺もまた、穏やかな笑みでスマホを取り出した。

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