第4話 記録

 【明晰夢記録】


 夢の中で自由に動けるようになって三回目。ついにあのトラウマと対峙することになった。私は学校のトイレの個室にいた。扉に小さな落書きがある。相合傘の中に田中と鈴木と書かれている。じっと見ていると傘が崩れてきて田中と鈴木の文字もバラバラと崩壊していった。雨に打たれて崩れた砂のお城のように原形がわからなくなってしまった。そういえば三組に田中さんって男の子がいたような気がする。鈴木さんはクラスでいつも一人でいる目立たない子だ。その二人の噂なんて聞いたこともないけど。まあいいや。これは夢だ。私はこの扉を開けて何食わぬ顔でクラスに戻って普通に授業を受ける。しっかりリハーサルをすれば実際に学校にも行けるようになるだろう。

 私は扉の鍵を開けようとする。しかし、鍵がどこにもない。夢だからそこまで細かい描写は気にしなくていいのかも。扉を押す。力を込めて押す。逆に引いてみる。だめだ。何をしても扉が開かない。色々試行錯誤していると外からドンドンと二回、誰かが扉を叩いた。私は体が硬直してしまい無機質な扉を見つめることしかできなくなってしまう。ドンドンドンドン。今度は四回。声を出そうとしても魚のように口をぱくぱくと動かすことしかできず言葉が出てこない。右手に神経を集中させて力をぐっと込めてなんとか右手を動かすことができ扉に手を伸ばす。扉に手が触れた瞬間ドンドンドンドンドンドン…ノックは鳴り止まず、私は恐怖に駆られて言葉にならない何かを泣き叫んだ。


 ルナは目を覚ますと全身びっしょりと汗をかいていた。台所へ行きコップを手に取り水道水を入れて一気に飲み干した。それから汗で濡れてしまった肌着を脱いでシャワーを浴びた。熱いお湯を浴びているとやっと落ち着いてきた。「私はあの扉を開けることができるのだろうか」とルナは思った。まず鍵がなかった。押しても引いても開かなかった。私はあそこから出たくないんだ。きっと。怖いから。でも出なくちゃ何も変わらない。どうする?蹴り飛ばしてみようか。ルナはシャワーを止めて浴槽の扉を勢いよく開ける。

 ルナはタオルで髪を拭きながらリビングに行くと母がソファに座って待っていた。

「扉は静かに開けてください」母は優しい声でそう言った。

「ごめん。起こしちゃったよね」とルナは言った。

「別にいいわよ。あなたが何を必死にやってるのか私には理解できないけれど、無理はしないでね」

「うん。ほんとごめんね」

「だから、いいって」

ルナは母の隣に座る。

「お母さんは押しても引いてもびくともしない壁があったらどうする?」

「そうね。諦めちゃうわね」

「だよね」

「でも絶対乗り越えなきゃいけない壁なら押し続ければいいし、それかもうよじ登っちゃうかな。発想の転換よ」母は明るい声でそう言う。

「なかなか強引だね」ルナは笑う。

「母は強しよ」

「お母さんは強いよ」

「あんたも私の子だからきっと強いよ」

「…強くなりたいよ」

母は涙を流す娘をそっと抱きしめた。

「ルナ、あなたは大丈夫」

母の温かい腕に包まれてルナは「私は大丈夫」と心の中でその言葉を繰り返した。

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