第2話 改稿・著者校正と心の準備
またお越しいただき、ありがとうございます。猫田パナです。
今回は受賞後に改稿や著者校正の作業を進めるなかで感じたことを、書いていきたいと思います。
受賞の連絡を受け、泣いて感動している私に編集さんは言いました。
「まだ、これからですよ!!」
そして確かにまだこれからだったことを、私は徐々に実感していくようになりました。そこはスタート地点だったのです。
受賞決定後少しずつ、出版に向けての色々なことが進んでいきました。
私はこれまで新人賞に応募するたび、もちろん「本当に受賞したい!」と思ってきましたが、一方で「実際小説家になった場合、プレッシャーやらなんやらで、心を病むんじゃ……」という不安も小さじ一杯分くらいはありました。……ありましたっていうか、まだ本が出版された後のことはわからないし今も不安はありますけども!
でも本当に少しずつ、段々とことが進んでいくので、そうしているうちに状況には慣れていきました。本を出版するのには思っていた以上の工程があり、時間も手間もかかるものだったので、その間に心の準備も出来てちょうどよかった気がします。
これは普通にお仕事なんだな……。と感じました。ただ作業のボリュームはあれど、その作業のすべてがもちろん私にとっては嬉しいことでしかないわけで、心の中では魚屋さんくらいに威勢よく「へいまいど!」「よろこんで!」という気持ちで取り組みました。
でも何十冊も出版されてる方は、この作業を何十回もしているんですよね……そう考えるとすごいなって思いました。
編集さんとの改稿の打ち合わせや、校正さんからの指摘で、自分が文章を書く時の癖にも気づかされました。その癖には悪い部分もありましたが、自分の良さも見つけられました。
例えば私の文章にはほんのりゆるさがあり、そこをより正しい日本語だったり硬い表現に直すかどうかを著者校正をする中で迷いましたが、人とはなるべくリラックスした状態で関わりたいと思うのが私だなと思ったので、自分の良さだと思う箇所はそのままにしました。でも単なる間違いや、いたらない表現に関するご指摘をいただいた箇所は「ありがたや、ありがたや〜」と思いながらご指摘通りに直させていただきました(そういう箇所のほうが圧倒的多数)。
そして、本を出版するというのは、何人もの人が力を合わせて完成度の高いものを作ることなんだなと実感しました。自分一人でのびのび書くことにも良さがあるけれど、複数の人が力をあわせると自分の脳の性能だけでは実現できなかったものを生み出せて、それが出版社から本を出す強みなんだ、と知りました。
それから、改稿作業をすすめて小説が整っていくにつれ、そのできあがった小説から自分が見えてくるような感覚もありました。
それは……完成した小説を読んで感じていただけたら嬉しいです。
また、私は受賞が決まった後、私の小説のどこが良くて受賞させてもらえたのかなと思っていました。私自身は面白いと思って書いているんですが、人から見るとどういう風に映るのかを知りたいような、こういうところが良かった、と言ってもらえてもまだ半分わからないような気持ちでした。
そして改稿作業をしながら何度も読み返していると「すごくいい!」と思う時もあれば「大丈夫かな……」と不安になることもありました。
自分の書いたものがどのようにパッケージ化され、商品として売られることになるのか。自分の小説はどんな姿をしていたほうがいいのか、と考えるようになりました。そしてどんな姿が正解なのかわからないから小説って難しいなーということをあらためて感じていました。
そんな折、私は飯田橋文学会の現代作家アーカイブという企画の、Zoom公開収録があることを知りました。作家にインタビューする様子をネットから無料でリアルタイムに見られるという企画で、しかもちょうど、私が好きな作家の町田康さんが出演されることになっていたのです。私は元々ロキノン厨(ROCKIN'ON JAPANという雑誌の信者)ですから、「町田康を無料でリアルタイムに見られるだと?!」と大歓喜。収録を見るための登録を済ませ、その日は時間になる少し前からそわそわして画面の前に待機していました。
コロナ禍でなかなか思うように外出できない昨今、ネット上のこうしたイベントはありがたいですね。配信でもリアルタイムだと結構テンションがあがります。
そしてその公開収録中には、なんと視聴者からの質問コーナーがありました。コメント欄から先生に直接質問ができ、その場で答えていただけるというもの!
その視聴者からの質問の一つに、こんなものがありました(一言一句こうだったかは覚えていないです)。
「小説家デビューする予定なのですが、楽しみでもあり様々な意見を目にすることで自分がどう思うのか不安もあります。先生はどのようにご自身を保っていらっしゃるのですか?」
その質問に対する町田康先生の回答は、正確にどんな言い方だったかは覚えていないのですが……うろ覚えの記憶をさらに要約して話しますと。
自分が書いたものがどのくらいのものかは、自分が一番わかってると思う。自分が書いたもんを全てええと思っていたらたぶんプロにはなられへん。少なくとも自分にとってどのくらいのものかはわかっているはず。俺ってすごいよなと思っていたら甘やか。
さらにその後別の方から出た質問などを聞きながら私が思ったことはこうでした。
全てが最高の出来ということではなくても、自分の良さ、美学というものがあって、自分の小説を読む人はその良さを味わいたくて読んでくれるのだから、その良さがあることが重要なんじゃないか。
文芸とライト文芸では色々と勝手が違うかとは思いますが……。でもそこはきっと同じだと思うし、その通りだなあと思ったんです。そしてそれを忘れずにいたら、大丈夫そうだなと思えました。
だからこれから先はこの言葉を心の軸において、自分ができる面白いことを、できうる限りしてみたいです。私は人から見た自分の小説の姿がどんなものなのか、どんなものであるべきなのか知りたいと思っていましたが、結局私は私なので、私が書いたものは私っぽい感じになり、また私っぽい感じにしかならず、それが私の味なんだと思います。そしてその味の感じ方も読み手によって異なり、私の書いたものに一つの決まった姿なんてないんだと思います。
でも自分の味を生かして面白いことを的確に出来るようになるためにも、もっと技術を向上させて……もっとコントロールをきかせて執筆できるようになることが今の私には大事なのかなと思いました。
インターネッツってすごいですね。ネットを介して憧れの作家に直接質問ができて、今後の心の拠り所となるようなお言葉をいただけてしまうとは。
そうですね、もしかしたら、あの質問をしたのは、わた……わた……si……。
人生の中でもとっても貴重な出来事でした。
このようにして、私は人生初の書籍出版までの時間を過ごしました。
そしてこれからどんなことが起こるのか……。私はまだそれを知りません。
それでは、今回はこのへんで。
次の更新は多分、出版後になるかと思います。でももしその前に何か心動くような出来事があれば、その前に更新することもあるかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました。また次回、お会いできたら嬉しいです。
※その後数か月が経ち、町田康先生のインタビューのアーカイブ映像が公開となりました。そちらを拝見したところ、先生の言葉やニュアンスが当時自分がうろ覚えで記憶していたものと少し違っていました。「うろ覚えの言葉」として書いていたとはいえ言葉のチョイスって重要だと思うので、このままネットにのせておくのも失礼にあたると思い、先生の発言に関する部分を本日(2022年9月26日)修正いたしました。
再度インタビューを拝見してみて、自分が大筋で感じたものはこの文章を書いた当時と変わりませんが、なんていうか今になって思うのは、私もうちょっとしっかり自分を持たなきゃいけないんじゃないかなーあああ!
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