私と源氏物語

私は葵の上だった。

葵の上をしている人は少ないと思う。葵の上というのは、源氏物語に出てくる源氏の最初の妻だ。雲居の雁や落葉の宮を妻として持った夕霧の母親でもある。彼女は作中で六条の御息所という元皇太子妃であった身分の高い源氏の彼女の嫉妬心から来た生霊に殺される。

私はその葵の上の生まれ変わりだ。


私の名前は最上葵という。母はもともと文学少女であり私に葵とつけたそうだ。母曰く葵の上から名前を頂いたそう。父は母の意向に賛成していたらしい。私には兄もいて兄と私はちょうど5つ離れているらしい。というのも父と母は別居中であり私はもう10年近く顔を合わせていない。母と父は特段仲がいいわけでもなかった気がする。定期的に喧嘩をして、そのたびに兄と別の部屋や近所のおばあちゃんの家に行っていたから全貌は知らないけれど。


そんな私は今、17歳にしてお嫁に行った。お相手は5個上の医大生。母親が知らない間に縁談を進めていたらしくて、私は結婚が決まって初めて知った。母は私に言えば断られると知っていてあえて言わなかったそうだ。私は今19歳になり、母親とも父親とも連絡を絶っている。たまに兄が近況報告の連絡をくれて話すぐらい。

私は結婚したことによって、血縁のある家族から追い出され、離れ離れになってしまった。


母は私が中学を卒業すると、両親は私をお金になるからという理由で近所の花街で仕事させて高校になんて行かせてくれなかった。今の旦那さんだって、花街の顧客の息子さんらしいから母にとっては私なんてどうでも良かったのだと思う。私は花街で紫と名乗っていた。私は紫を若紫から取った。葵の上みたいに中途半端に愛されるのではなくて、若紫みたいにもっとちゃんと愛されたいという気持ちがあったからだ。

母は私のことが嫌いで、父も私のことが嫌いだった。きっと今の旦那さんは私になんて興味ない。その証拠に私はまだ花街で働いているし、彼は他の女の子たちと遊んでいる。

別に私はそれに対して特段何も思わない。思わないほうが精神的にずっとずっと楽だから。


お仕事でいろんな男性と関係を持って、未成年飲酒も沢山した。高校に行ったことのない学のない私はお金を稼ぐ為にこうする他ないのだ。お金を持っている年上の男性たちに猫なで声で媚を売ってお金を稼ぐ。想像しただけで吐き気がしそうだが、これしか手っ取り早くお金を稼げる方法はないと腹を括ってる。

でも本音をいうとどうせ色恋するなら地下アイドルのほうが良かったななんて思う。地下アイドルも地下アイドルで大変だということは重々承知しているけれど、その世界である程度有名になれば将来名乗るとき堂々と名乗れる。そうでなくても、ああそうですかで流してもらえそうだと思う。

それに比べて花街は、世間からの偏見は今でも絶えない。適当な男と遊びまくってお金を稼いでるとか、人身売買に出されたとか、裏社会と繋がりがあるだとか、頭が悪いだとかいらない偏見をたくさん浴びせられることになる。この社会にいたら普通の職に就きにくいって言うしやっぱり私はアイドルのほうが良かった。


だからといって別に今が嫌な訳ではない。私は偽物の愛を提供するだけだが、お客様の方は本当に愛してくれたり、結婚などを真剣に考えてくれる方もいる。むしろ今の旦那よりしっかりと私のことを見てくれるし、たくさん可愛がって、たくさん心配してくれる。

私の家の合鍵を求めてきたり、合鍵を渡してきたり、同棲を求めてきたりして売るお客さんも多い。旦那とは違って私の話をちゃんと聞いてくれる。しかもしっかりと目を見て。私の旦那は私の目をいつも見てくれない。彼が見ているのは他の女性とのやり取りばかり。本当に愛してくれているのか疑問に感じてしまう。


私は仕事の後、あるホテルの一室を訪れた。

私の隣に立つ若い彼は私のお客様だ。私を助けてくれる。そんでもって離さないでいてくれる人。

彼は私の肩に優しく手を添えて

「僕のものにしてもいい?」と聞いた。

私は小さく頷いて、彼の唇に唇を重ねた。




「私ね。妊娠したの」

無関心な彼はスマートフォンの画面から目を離さず私の話を無視した。

彼はまた私の嘘だと思っているのだろう。

その場から立ち去って少し膨らんだ腹を撫でながら、あの一晩のことを一人思った。




私は、葵の上でも六条の御息所でもなく女三宮だったらしい。

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