プレゼント

熱帯夜。真夏の夜特有の暑さに魘されて私は目を覚ました。

外は静かで虫の鳴き声も車の通る音も聞こえない。時折遠くの大通りを走る車のクラクションの音が聞こえる。私が住んでいるのは大通りから少し離れた住宅街で周辺の家に住んでいるのはお年寄りばかりだ。そんな私も、歳を取って少し手足が不自由になり最近認知症の症状が出てきたお婆ちゃんと、母と三人で住んでいる。

父は数年前に交通事故に巻き込まれて亡くなった。そういえば父が亡くなったのは今日のような夜だったと記憶している。



暑い、静かな夜だった。

父は医者という職業柄、夜勤や帰りが遅くなることも多かった。この家から10分ほど歩いたところに大きな大学病院があって、父はそこに内科医として勤務していた。その日は丁度父は遠方で大規模な火事があり、こちらにもその関連の患者が運ばれてくるということで帰りが遅くなると私達のもとに連絡があった。

父は律儀な人で、その日も日付が変わってすぐ帰宅できる状況になったようで、帰宅するという旨のメールが送られてきた。私はその時確か高校三年生で受験勉強をしていたのもあり、その日は時間もちょうどよかったので父が帰ってくるまで勉強をしようと父の帰宅時間を、受験勉強終了の基準にしたという記憶がある。


ただ暫くしても、数学の問題を何問解いても父は帰ってこなかった。母も私ももしかしたらメールをしたあとに急患が来たのかもしれないと思っていた。医療の世界ではよくあることなのだ。実際少し前も帰ろうとしたら救急搬送されてきた患者さんの対応が必要になっただとか、急に容態が急変したということもあった。

ので、私も母も父を気長に待つことにした。暫く、家の中には沈黙が流れた。母は新聞を読み私は受験勉強をしていたので、時折紙が擦れ合う音が響くだけであった。


そんなとき、家の中の沈黙に固定電話の呼出音が響いた。私も母も驚いて顔を上げた。母は受話器を取って電話の声の主と話し始めた。夜1時近かったと思う。母は電話で話しているうちにどんどん涙声になっていき、手もブルブルと震えだした。私はその母の姿を見て何かあったのだと察した。


そして、父が亡くなった。


酔っぱらいの運転していた車に轢かれたそうだ。心臓破裂を起こしていて即死だったそうだ。父の顔は穏やかだった。私はそれを不気味だと思った。もっと苦しんでいて欲しかった。きれいな泣き顔は見たくなかった。もっと苦しんだ顔なら死んだことに対して直ぐに受け入れることが出来た気がした。それぐらい父が死ぬのは私にとって早すぎて、あまりにも唐突すぎた。



私は窓の外を見た。

窓枠には白い、神秘的な何かが居る。そんなもの、この家の近所に居るのだろうか。私はある程度持っている高校生生物の知識を脳みそをフル回転させて必死に思い出した。


そうだ。

蝉だ。


蝉は夏の深夜に羽化する虫。彼らは出てきた時は真っ白で羽が乾くとあのお馴染みの色になると言う不思議な生物。そしてこれは、滅多にお目にかかれない神秘的な光景。

幼い頃から父の影響で生き物が大好きだった私でも人生で初めて見た。せっかくなので私はこの光景を写真に残してやろうと、スマートフォンを開こうとした。


そして気が付いたことがある。



今日は父の命日だ。

そして……


今日は私の誕生日だ。

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