第23話

 丘頭警部が「浅草 十亀」のどら焼きを抱えて

「おはよう〜」岡引探偵事務所に元気を撒き散らす。

「おはようございま〜す」匂いを嗅ぎつけ、奥の部屋からゾロゾロと出てくる一家。目はどら焼きに釘付けになっている。

 事務所の中央に置かれたソフアに勢揃い、静のお茶入れを待っている。美紗は人口密度の濃さに眉をひそめて、窓を開放する。清々しい薫風が室内を流れ、一瞬暑さも忘れる。

「いっただっきまあー」最後まで言わないのが最近の岡引流。

 食べ終えて、警部が美紗を呼ぶ。

「足立の部屋にあったこれ見よう」

メディアを差し出す。美紗はサッと奥に引っ込み、パソコンをテーブルに置いて、メディアをセット。

動画が流れ始める。

「サスペンスドラマか」一助が素っ頓狂な声をあげる。

「まあ、見てて、感動するから」画面中央に歩道橋が映し出されているところから映像が始まる。カメラは歩道から歩道橋を見上げるように位置取られている。数秒あって画面が右に振れて、赤い車が反対車線に停車しているところを映し出す。

ズームアップしてゆき、運転手の顔が徐々にハッキリと見えてくる。

「優だ!」数馬の叫び。

一呼吸おいて画面が引いて再度歩道橋を映す。上を女性が歩いている。そして、階段を降りようとこちら向きになる。一目で妊婦さんと分かるくらい大きなお腹をしている。右側の手摺に掴まり右足が1つ下の段を踏む顔が足元を確かめるように下を向く。顔には微笑みが見えている。左足が持ち上げられ同じ段へ、足が揃う。口元は「よいしょ、よいしょ」と掛け声をかけているようだ。これ以上やりようがないくらいお腹を大事にしていることが、その動作から十分に伺い知ることができる。数段降りてきた時、下から若い男性が段をひとつおきに飛ばして駆け上がってゆく。

 すれ違う瞬間、女性は両手で手摺を掴んで、身体を手摺に押し付けるようにして、男性が通り過ぎるのを待っている。

すれ違った瞬間。

「あ〜っ」全員が悲鳴をあげる。

男が振り向いて、女性の尻の辺りを右足で大きく蹴飛ばしたのだ。きゃあっと声が聞こえそうなくらい、大きく口を開、驚きに目を見開いている。

頭を下に階段を落ちてゆく。男はニヤリとして、走って反対側へ向かう。

女性はお腹を両手とバッグで庇う。まるでゴム毬が落ちるように勢いよく弾んで手摺や階段に頭や身体を打ち付けながら落ちてゆく。それでも身体を丸めお腹の手とバッグは離さない。

 一心が耐えられず顔を上げると、警部も、静かも、美紗も涙を滴り落としながら、映像に釘付けになっている。

落ち切った時、表情がわからないくらい血で顔が汚れている。動かなくなっている。それでも手はお腹を庇いバッグもお腹に当てられている。

 画面が反対車線の赤い車に焦点を当てている。ニヤリとする女、ズームされた顔は優だ、間違いない。逃げた男はもう見えなくなっている。

 誰かが救急車を呼んだのだろう。サイレンが近づく。数人の男女が、倒れている女性の周りにうずくまる、さすったり肩を揺すったりしている。全く動きは無い。見守る人たちの一人が車道にまで出て、手を振っている。緊迫した様子。

 救急車が到着して、女性の様子を診ている。呼吸を確かめるような動作も見える。担架に女性を乗せて、救急車へ運ぶ。

けたたましいサイレン音を残し救急車は姿を消した。映像もここでプツッと消える。

「男は、あの顔は足立だ」美紗がポツリ。

「これが強請りのネタ。どうして犯行が行われることを吉井が知ったのかは分からないが。仁美さんは事故でなく殺害された事がはっきりした」警部の目は怒りに溢れている。

「十和にも見せようと思う。辛いだろうけど、母親を知らない彼女が、どれ程大事に思われていたか、伝わると思うんだ。一人で見たいんじゃ無いかな。何回も見たいだろうし。だから、美紗!」

「分かった。ダビングする」

「俺と静かで十和に渡すか?」

「そう願いたいが、これは私の仕事。逃げたいが、十和の思いには到底及ばないと思うから」

美紗がスッとメディアを警部に渡す。

「じゃ」そう言って階段を降りて行った。

「私、胸張り裂ける」珍しく美紗が静に抱きつき泣いている。

無言の静かを見ると、ボクサー色の眼差しから溢れる涙が着物を汚している。

暫くして、警部が十和の肩を抱いて、階段を登ってきた。

「ひとりで見るの怖いから、一緒に見て欲しいそう」

席の真ん中を空けて十和を手招きする。両脇に警部と静。

「十和さん良いかい?」美紗の声掛けで動画が動き始める。十和の肩を両側から抱き締める二人。沈黙10分。途中で口を押さえ、首を横に振る十和。

終わった。

大きな目を一杯に開いて固まっている。大粒の涙がポタポタと落ち続けている。呼吸が止まっている。誰一人、身動きひとつせずにじっと十和を見守っている。

突如。

「うわ〜あ〜・・・・」

堪えていた思いを爆発させて、憚らない十和の大きな泣き声。全員耐えきれず、堰を切ったように大声をあげて一緒に泣く。

静の胸に顔を埋めて号泣し続ける十和。頬を血の涙がいつまでも流れている。

いつまでも・・・

 美紗がスッと立ちパソコンを操作する、奥の部屋からプリンターの囁く音がする。美紗が奥の部屋に姿を消す。手にクリアファイルを持って現れる。それを十和の前にそっと置く。

 顔は少し俯き加減だが、微笑んでいて、片手は手摺を掴み、片手はバッグを持ちながらお腹を大事そうに抱えている。十和のお母さんの幸せそうな写真だった。


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