第4話

パンパンに膨らんだ水嚢を両手で抱える様に持って、幼い少女が走ってくる。

俺は、咄嗟に動かないと分かっている体に力を入れるほどにハラハラした。勿論、俺の体は、走り出して抱き上げることなどしたくないと拒絶したが。

シーフィーは、額にうっすらと汗をかいていた。その少し疲れた顔に、達成感溢れる笑顔を浮かべて俺に水嚢を差し出した。

「ありがとう」

俺は、変わらず震える手で受け取ると、ゆっくり水を口に含んだ。相変わらず貪欲に、俺の体は水分を取り込んでいった。

喉の乾きが癒えると、今度は腹が熱量をよこせと唸りだした。シーフィーは、腹を抱えて笑いながらもクルミを差し出してくれる。有難く受け取って、しっかりと細かくなるまで噛み砕いて飲み込んだ。

歯に当たる程よい硬さと、カリッと心地よい音、鼻の奥にふわりと揺れるクルミの香り、ほのかな苦みとしっかりとしたコク。

何かを食べて、味を感じたのはいつぶりだろうか…

「美味いな…」

俺の言葉は小さな風に乗って消えるほどの音量だったのに、シーフィーはにっこりと微笑んだ。

「この森のクルミは、街でも人気があるんだ。私も好きだしね。半月に一度の頻度で街に行ってるけど、クルミが一番いいお金になるんだよ!」

好きなものを認められた喜びなのか、頬を赤らめて一気に喋り出す。子供らしい行動に、俺の心が浮き上がるような気がした。

水を飲んでクルミを食べながら、俺はシーフィーのたわいもない話を聞いていた。特に何を言うでもなく聞いていただけだが、気づけば午後の陽が夜に向かう折り返しを過ぎる頃になっていた。

「帰らなくていいのか?」

俺が話を遮って聞くと、シーフィーは何とも言えない表情で答える。

「誰もいないしねぇ…プルトさんは?まだ夜から朝にかけては寒いくらいだよ?」

寒さも暑さも鬼の分厚い皮膚には、あまり関係がない。俺もある程度しか頓着してなかったから、寒さは実際どうでもいいが…

「まだ死ぬつもりなら沢の手前まで案内するよ。それとも、夜露の凌げる屋根の下で私と一緒に子供の体温に当たりながら寝る?どっちがいい?」

寂しさと諦めが混ざりあったような、期待するような、庇護欲を掻き立てる表情で、魅惑的な提案を含んだ二者択一を問いかけてくる辺り、シーフィーはヤリ手かもしれない。

実際に、俺の心が揺れている。シーフィーと共にぬくぬくと眠る誘惑に…翡翠色の輝きに…暖かな子供の体温に…

ただ、俺がそばに居ることでシーフィーに迷惑を掛けないかが不安だ。

そばに居る人を不幸にする運命、それは、どうしようもなく俺を35年間苛んできた。俺が生きる意味や希望を、無情にむしり取っていった事実。

俺は、何も言えなくなっていた。「一緒に行きたい」も「死にたい」も、俺の中でせめぎ合っている。

「…生きたいの?死にたいの?答えられないなら、死ぬのは野垂れ死ぬまで生きてみてからでもいいんじゃない?考えるのもめんどくさいと思うんだけど?」

呆れたような顔で賢者の様な言葉を吐き出す幼い少女に、俺は降参した。

「…家に連れて行ってくれるか?」

俺の苦笑交じりの言葉に、シーフィーは憎まれ口を叩いていたとは思えないほどの聖女と見まごう優しい笑みを浮かべて右手を差し出した。

体の支えにはならないが、心を支えてくれている様だと感じながら、そっと小さな手を握って足と腰に力を入れて立ち上がった。

小さなシーフィーと手を繋ぐには、俺の腰に中腰という負担が大きく圧し掛かるが頑張ってもらうほかない。小さく温かく優しい手を離す気には、どうしてもなれないのだから。

体が左側に傾いたままの中腰で森の中をしばらく歩くと、俺が通ってきた道から外れて獣道に入る。俺は無意識に周囲を警戒したが、何故か魔物や獣の気配を感じなかった。

何か結界の様な魔法が掛けてあるのか、魔物除けや獣除けの薬剤でも撒いてあるのか。一切、何にも出会わずにシーフィーの家まで辿り着いた。

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