第四章(4)

 土曜日の渋谷はリア充の巣窟だ。



 ハチ公前は若い女の子と若い男の子のカップルで溢れ、マルキューはどの店もお客さんでごった返し、センター街は百メートル歩くのだって大変なほどの人ごみで賑わう。


これだけの人、人、人に囲まれていると、霊感なんてまったくないしろくに信じてもいないわたしでも、人から発される気のようなものを感じて、あちこちから波みたいに襲ってくる気に囚われ、気の津波の中で呼吸することすら困難になる。



 でも待ち合わせの喫茶店で既に盛り上がっていた沙智子と和菜は、疲れなんてまったく感じさせない顔であっけらかんと笑っていた。



「澪―、ここのチョコバナナ、めちゃくちゃ美味いから絶対食べたほうがいいよ! 高いだけあってそんじょそこらのクレープとは全然違う!」



 このカフェは紙に包まれたファストフードのクレープではなく、お皿に乗って、絵画のようにクリームをまぶしたいわゆる「おしゃれクレープ」の名店として知られている。当然値段は高いけれど、パパ活で稼いでいるわたしたちからしたら、大したことはない金額だ。



「今さー、和菜と将来の話してたのよ」



 沙智子がチョコレートクリームを豪快に口の周りにつけ、お皿の上のクレープをナイフとフォークで切り分けながら言う。



「なんだかんださー、うちらももう高二じゃん? はっきし言ってオバサンじゃん? そろそろ高校卒業したらどうするか、真剣に考えないといけないなーって」


「へぇ。沙智子にしては、えらいね」

「何それ澪、さりげなくディスってる?」

「いやごめん。そんなつもりじゃ」

「聖マリアって、たしか大学もあったよね? 澪は、そこ行くの?」



 和菜が聞いた。今日の和菜の服は胸元がざっくり開いたニットワンピース。Dカップだという谷間が、嫌でも目に飛びこんでくる。




「お母さんにはそうしなさいって言われてるけれど、進路指導の先生には外部進学を薦められてる。わたしの成績なら、もっといいとこ行けるよって」


「澪、頭良さそうだもんねー。あたしは馬鹿だからさぁ。大学なんて絶対無理だし、だいたい受験なんて論外だし、勉強なんかしたくないし」


「じゃあ、就職?」



 わたしと和菜の声が重なった。沙智子がぶんぶんぶんぶん、音が出そうなほど激しく首を振った。



「今さら普通の仕事なんてする気になんないよ、高卒で入れる企業なんてたかが知れてるし、給料安いし、なんも買えないじゃん。あたしは高校卒業したら絶対ひとり暮らししたいんだけど、家賃も光熱費も払えないよ」


「普通の仕事しながら、パパ活続ければいいじゃない」



 和菜が事もなげに言う。生活費は仕事で稼ぎ、贅沢するお金はパパ活で稼ぐ。たしかにそれは、効率の良い考えのように思えた。



「どうだろー、パパ活もリスクあるからねー。だいたい店通さないで個人でやり取りする時点で危ないっつの。店がいて、強そうな男がいて、そういうワンクッションがあればたいがいの男は変なことしてこないから」


「じゃあ沙智子は、また風俗で働くの?」



 中学の時JCお散歩をやっていたことを、沙智子は和菜にも話していた。わたしもその時一緒にいたけれど、和菜の反応は薄かった。まぁそういう人もいるよね、別になんとも思わないけれど。そんな感じだった。和菜は自分がパパ活で「最後まで」お付き合いしていることは話さなかった。



「風俗も嫌、おっさんの相手なんて生理的に無理―」

「じゃあどうするの?」


「だからね、考えてるのはキャバだよ、キャバ! おっさんとしゃべって、一緒にカラオケして、メッセやり取りするだけで金になるんだもん! 世の中でいちばん楽な仕事だよねー」

「そんなに簡単じゃないと思うけどなぁ」



 和菜が眉をひそめる。わたしの前にはチョコバナナクレープが運ばれてくる。



「キャバで指名が取れてちゃんと稼げる人、ほんのひと握りなんだよ。ほとんどの女の子が指名取れなくて挫折して、ノルマもきつくてあんまりお金にならなくて、辞めて風俗に流れてく。人間関係だって女の闘いだし、そうとう、大変な仕事だよ」


「和菜、詳しいんだね」



 少し驚きながら言うと和菜はメイクで誤魔化せない童顔で苦笑した。



「わたしも進路として考えたこと、あるからさ。いろいろ調べた」

「へぇ」


「だからさ、今のうちにパパ活でいろんな男と繋がっとくんじゃん? 太パパをたくさん捕まえとくの。そして十八になって高校卒業して、大っぴらに女売れるようになったら、キャバにパパを呼べばいいんだよ。そしたらノルマなんて即行クリアじゃん」


「沙智子、賢いね」



 沙智子はちょっと得意そうに頷き、とっくに冷え切っている紅茶をひと口、こくっと飲んだ。



「和菜は進路、どうするの?」



 話題を和菜に振ると、和菜はチークとは違う種類の赤みを頬に浮かべた。



「恥ずかしいんだけどね。マンガの専門学校、行こうかなって思って」

「へーマンガ! 和菜、マンガ描いてるの!?」


「小学校からの夢なの。ほんと下手くそなんだけど。好きな仕事して生きていけたら、最高だなって」

「生活保護受けててもそういう学校って通えるものなの?」



 沙智子がアイスティーをストローで啜りながら言った。



「補助が出るみたい。ひとり暮らしして別世帯になれば、お母さんたちも生活保護受け続けられるし。できるだけ早く自立したいな」

「やっぱ苦労してる人は、言うことが違うねー。和菜、オットナー」

「そうでもないよ。マンガ家になりたいなんて、博打打ちと大して変わらない夢だもん」



 苦笑する和菜もやはり、マンガで食べていくまではパパ活を続けるんだろうか。



 パパ活だって、いつまでも続けられるわけじゃない。ちゃんとした企業に勤めるOLさんだってやっているけれど、せいぜい二十四が限界だ。わたしたちの「女の子」としての寿命はとても短い。


サナギから飛び出した蝶が二週間で死んでしまうように、その間ひらひらと美しく舞いながら子孫を残すように、「女の子」のわたしたちは必死で羽根をばたつかせ、女を売る。



「和菜さ、マンガの専門学校通うんだったらその時あたしと一緒にキャバやんない?」



 休み時間に一緒にトイレ行かない? とでも言うような沙智子のノリ。



「和菜童顔だし、おっぱい大きいし、絶対需要あるよ。パパ活でもいっぱいパパ、捕まえてるし」

「えー。ちょっとキャバは抵抗あるかなぁ。ノルマとかこなせる自信ない」

「和菜なら大丈夫だってば!」



 沙智子は和菜がパパ活で「最後まで」やっていることを知らない。「最後まで」お付き合いして五万円をもらう和菜がおしゃべりだけで指名を取らなければいけないキャバの世界を敬遠することは、当然なのに。



「女は売れるうちに売っとくの。いつまでもできる仕事じゃないんだから、それまでガンガン稼いどくのが勝ちなんだって。あたしの理想はキャバで働いて、客の中からいいの捕まえて、二十四までに結婚」


「じゃあ沙智子、一生働かないつもり?」


「当たり前でしょ。何が女性の自立よ、女性が働く社会よ。女が働いたところで男より金もらえないんだし、子ども育てながら仕事もしろってマジ、考えたやつ頭悪いじゃん。


それよか年収二千万の男をがっつり捕まえて、そいつに頼って生きていったほうが絶対賢い。フェミニズムなんて、くそくらえよ。女は自立なんかしなくていーの」



 JCお散歩でお金を稼ぐことを覚え、パパ活を覚え、その上キャバにまで足を踏み入れようとしている沙智子は、さもそれが当然の考えのように堂々と言い放つ。


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