第四章(2)
パパ活は基本土日と決めていたけれど、実際は仕事が終わってから会いたいと言う人も多く、平日にパパ活の予定が入ることもある。
そういう時は、通学カバンの他にもうひとつ、三百円ショップで買ったトートバッグを持っていく。洋服、ミュール、化粧道具、髪の毛を巻くヘアアイロン。すべてがひと通り揃った、パパ活専用バッグ。
もちろん学校に持って行ったら気付かれ次第没収なので、駅のコインロッカーに預け、帰りにこっそり取り出して家とは逆方向の電車に乗る。夕方の混んでいる電車の中は少し息苦しく、重い荷物に耐えられない身体は新宿駅についた頃には悲鳴を上げている。
『夢に向かって活動しているJC・JK・JD・OLさんを支えていきたいです。どんどんDMください』
SNSのプロフィールにそう書いていたその人とは、勇気を出してこちらからDMしてみると驚くほどすんなりと予定が決まった。十九時から新宿高島屋の喫茶店でお茶をする約束。
トイレで着替えとメイクとヘアセットを済ませ、高島屋の中を暇つぶしにうろついていたら、約束の時間はすぐに来た。先に喫茶店に入る。お客さんはわたしの他にはひとりもいないので、十分後に現れたその人がオカジマさんだということはすぐにわかった。
「いつきちゃんだね?」
「はい」
「随分可愛いね。写真よりいいよ」
DMで顔を見せてほしいと言われたので、夜中にわざわざメイクをして一枚送った。写真よりいい、と言われるのは微妙なものだ。本当に実物のほうがいいのか、それともわたしの写真の撮り方が下手くそなのか。
「いつきちゃんは、文学部なんだっけ?」
運ばれてきたアイスカフェラテを啜りながらオカジマさんが言う。わたしも同じものを飲んでいた。
「はい、本が好きで、文学部に行こうと思って」
「自分で書いたりしてるの?」
「まぁ、一応」
「小説?」
「まぁ……そういうものです」
「読みたいな、いつきちゃんの小説」
笑顔でそんなことを言われて、言葉に詰まってしまった。
実は小学生ぐらいまでは、本気で小説家になりたいと思っていた。子どもの頃から文章を書くことは好きだったし、読書感想文のコンクールで賞を獲ったこともある。でも小説家になりたいとお母さんに言うと、お母さんはばっさり切り捨てた。
「やめなさい、そんな自由業で収入が不安定で、先行きのわからない仕事! 仕事に就くなら、士のつく仕事じゃなきゃだめよ。保育士、看護師、弁護士、税理士、そういうのね。将来のことなんてまだ子どもなんだしよくわからないんだから、とにかくあんたはたくさん勉強して、お母さんと同じ聖マリアに入ればいいの」
ちょうど十二歳で、受験生で、毎日塾に通わされ、勉強させられまくっていた時だった。お母さんの神経は常にピリピリ尖っていて、自分の望まない道を子どもが歩むことを世界最大の親不孝のように詰った。
その日からわたしは、勉強の合間にこっそりノートの端っこに小説を書くことをやめた。
「最近、全然書いてないから……恥ずかしいです」
苦笑しながらオカジマさんに言う。オカジマさんがえー、と残念そうな声を漏らした。
「勿体ない。小説家になりたくて、文学部に行ったんじゃないの?」
「そんな、とんでもない。わたしは才能ないし、小説家になるなんてとても無理です。どんな本を読んでも、誰が書いたものを見ても、自分にはこんなもの書けないって思っちゃいます」
本心だった。
ようやくお母さんの希望通り聖マリアに入り、勉強がひと段落したんだから改めて小説を書いてみようとして、図書室でいろいろな本を読んで勉強しようと思った。
でも昔の純文学から、最近のライト文芸まで読んだけれど、みんな遥かにわたしの想像を超えていた。どれもストーリーにインパクトがあって、主人公のキャラクターが魅力的で、なおかつ文体が美しい。自分にはとても、デビューできるだけの作品なんて書けないと思ってしまった。
「小説だけじゃなくて、どんなことでもそうだけどさ。無理って思ったら、一生できないままだよ」
オカジマさんの声がほんの心持ち、険しくなった。店内に流れるショパンのBGMが、少し遠くなった。
「無理だ、て思ったことはひとつのハードルなんだ。そのハードルを越えたところに、目指しているものがある。ハードルを越えなかったら、いつまでもゴールにたどり着けない。
たとえいつきちゃんが小説家になることを選ばなくて、普通に社会に出て就職する道を選んだとしても、ハードルは絶対あるんだよ。ハードルから逃げていたら、何者にもなれないままだ」
きゅ、と心臓の真ん中を強く握られたような気がした。
本当にその通りだと思ってしまった。
わたしは弱い人間だ。お母さんの言葉に傷つき、素晴らしい文学作品に傷つき、ハードルを越えることから逃げていた。
弱いから、パパ活をしようなんて思った。そんな方法でしか、自分は特別な存在になんてなれないんじゃないかって思った。
パパたちがくれる「可愛いね」「楽しかった」「今日はありがとう」そんな言葉たちに、少しだけ特別な自分になれたと錯覚していた。
「せっかく文学の勉強してるんなら、小説、書いてみたらいいじゃない? いつきちゃんがどういうもの書くのか、俺、すごい興味あるし」
「たぶん、つまらないですよ」
「つまらないとか面白いとか、そんなの、個人の主観と趣味なんだから。いつきちゃんはいつきちゃんの思う、面白い小説を書いたらいいよ。それを俺が面白いと思うかは、わからないけどさ」
「オカジマさんが思う面白い小説って、どういうのですか?」
うーん、とオカジマさんが眉根を寄せた。四十過ぎぐらいの少し疲れた顔に、いっそう深い皺ができた。
「主人公が苦しんでる話かな。苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、でも最後はその人なりに自分で解決方法を見つける。そういう話が、俺は好きだけど」
「わたしも好きかもしれません」
自分がいろいろ考えて苦しみながら生きているせいか、能天気な主人公の小説にはあまり共感できなかった。もうちょっと考えなよ、と読みながら突っ込んでしまうんだ。それよりも自分には太刀打ちできない不幸の中でもがきながら、オカジマさんの言う「自分で解決方法を見つける」小説が、わたしは好きだ。
「じゃあ、書いてみなって。そういう話。俺、いつきちゃんの小説、すごい興味あるもん」
笑いながら言ったオカジマさんは、二時間お茶しただけで二万円もくれた。
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