西先輩の謎は解いてはいけない

第1話 暗号

 僕は割り当てられた教室の掃除を終えると、教科書を詰め込んだスクールバッグを持って旧校舎に向かった。イズミ中学に入って三ヶ月。それが僕の放課後の日課になっている。


 旧校舎に入ると、廊下はいつもと違い静まり返っていた。今日は三階の音楽室を使っている吹奏楽部が合同練習で他校に行っている。一階の調理室を使う料理部も休みなので人の気配が少ない。


「お疲れ様です!」

 

 僕は普段より大きな声で挨拶して二階の教室の扉を開いた。ここが僕の目的地である『お絵描き部』だ。部屋の中では、二年の先輩が二人で一枚の紙を覗き込んでいた。


山中やまなかくん、お疲れ様」


 本栖もとす先輩が見ていた紙から視線を上げて迎えてくれる。先輩は切れ長美人なので、近寄りがたいと言う人もいるが、僕はそう思わない。今日は眉間にシワが寄っていて、怯みそうになったけれど……


「何かあったんですか?」


「おっ! 強力な援軍が来たね。これ見てよ」


 西にし先輩が女子生徒を魅了しそうな笑顔を向けてくる。僕としては、チャラチャラした西先輩の笑顔より、本栖先輩の品のある笑顔が見たい。そんな失礼なことを考えながら、僕は西先輩の差し出した紙を覗き込んだ。


【あなたの探し物の在りは、私達の演奏を見守る人物が知っている】


 古ぼけた便箋には、そんな言葉が書かれている。


「去年卒業した兄貴から渡されたんだ。旧校舎で見つけたらしいよ~」 


 西先輩のお兄さんは、この暗号が解けないまま中学を卒業してしまったらしい。西先輩がそれを託されて、『お絵描き部』で解こうと持ってきたようだ。


「今から解くんですか?」


 僕は部屋に三人しかいないことを確認して西先輩に聞いた。


「そのつもりだけど、何か予定ある?」


「いえ、僕は大丈夫ですけど……」


 僕は頭に浮かんだ疑問を口にすることができずに、言葉を濁して黙り込む。


 もし、僕が西先輩なら片思いしている精進しょうじ先輩がいる日に皆で解くだろう。西先輩は頭が良いので、カッコイイところを見せるチャンスになる。それに一緒に謎に挑めるだけでも楽しいはずだ。


 僕は無意識に本栖先輩の動きを目で追っていた。先輩は睨むように便箋を見ていたが、僕の視線に気づいて表情を少しだけ緩めてくれる。


「兄貴は『旧校舎が授業で使われていた時代のメッセージかも』って言ってたよ。俺は早く解きたいな」


「……」


 西先輩の言葉に本栖先輩の表情に険しさが戻る。旧校舎が授業で使われていたのは、僕らが生まれる前までだ。もし西先輩のお兄さんの見立てが正しいなら、面白い宝が眠っているかもしれない。ただ……


「宝の隠し場所が分かったら、兄貴が喫茶ウエストのチーズケーキをおごってくれるってよ~」


「喫茶ウエストのチーズケーキですか!?」


 僕は思わず大きな声を出す。喫茶ウエストとは、この街にある昔ながらの喫茶店で、昨年から販売されている限定のチーズケーキが美味しいと評判なのだ。


「山中くんは食べてみたいの?」


 僕は、本栖先輩の質問に赤くなりながら頷く。大袈裟に反応してしまって恥ずかしい。


「この街に住んているなら、一度は食べてみたいですよね。簡単に食べられるものではないですし……」


 喫茶ウエストのチーズケーキは、不定期販売で幻のメニューと言われている。その希少性から、食べた者は幸せになれるだなんて都市伝説にまでなっているのだ。


「分かったわ。それなら協力しましょう。西さん、本当に解いてしまって良いのよね?」


「もちろん。限定のチーズケーキは必ず用意させるよ」


 西先輩がヘラリと笑うと、本栖先輩は大袈裟にため息をついた。


「意外ね。私なら突き返すわよ。光輝こうきさんは鈍感なのかしら?」


「え~っと、そこまで知られているんだね。本栖ちゃんには敵わないな」


 本栖先輩は、苦笑いする西先輩を呆れた顔で見ている。僕がよく分からなくて首を傾げると、『光輝さん』とは西先輩のお兄さんの名前だと教えてくれた。家が近いので、本栖先輩も光輝さんと面識があるらしい。


 知りたいのはそんなことではなかったが、僕はなんとなく指摘することができなかった。

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