最終話 優しさ

 二階の教室に戻ると、本栖もとす先輩は何事もなかったかのように小説を読み始めた。僕はそんな先輩にどう切り出したら良いのか悩んでしまう。


 僕はこの事件の犯人は猫ではないと思っている。ずぶ濡れの猫が調理室に入ってきたにしては、調理室の床や机に痕跡が全く残っていなかった。


 それに……


 本栖先輩の視線の先にあったあの子のエプロンには、この教室に入ってきたときから猫の毛がついていた。あの子の足音は上履きで雨の中を歩いた後のように鳴っていた。


 さらに言えば、保健室で借りたバスタオルをたまたま持っていたとは考えにくい。


「本栖先輩。先輩は猫の仕業だとは思っていないですよね? そして、誰が猫にたい焼きをあげたのかも検討がついている。聡明な先輩なら不自然な点に気がついていたはずです」


 本栖先輩は小説から顔を上げて真剣な表情で聞いてくれている。僕が返答を求めると、コテンと可愛らしく首を傾げた。


「どうだったかしら? もし仮に山中やまなかくんの言うとおりなら、山中くんは何故あの場で指摘しなかったの?」


「それは……」


 僕は言葉に詰まってしまう。本栖先輩に何か意図があると感じていたのもあるが、あの子を追い詰めるだけの言葉を言う勇気がなかった。僕の見つけ出した証拠は可能性を示唆しているだけだ。

 

 今でさえ、この場には他に誰もいないのに、なぜか二人とも小声で話している。万が一にでも、誰かに聞かれるわけにはいかないという想いがあるからだ。


 本栖先輩は返答に困った僕を見てクスリと笑った。


「『疑わしきは罰せず』どうしても真実が気になるなら、田沢たざわさんに証言を取る手もあるわよ」


 本栖先輩は開けたままになっていた窓の外に視線を向ける。サッカー部の田沢先輩は先程見たときと同じ場所で黙々と筋トレをしていた。


「……」


 田沢先輩は、猫の鳴き声が聞こえる前から自主練をしている。調理室との位置関係を考えても、目撃している可能性は高いだろう。だが、僕も本栖先輩もそこまでする気はない。


「調理室の窓は閉まっていたし、猫が勝手に入ったとは考えにくいわね。あの猫の親子には罪を押し付けて悪かったと思っているわ」


「閉まってたんですか?」


 本栖先輩は申し訳無さそうに頷く。僕は調理室の窓が閉まっていたのを見ていない。本栖先輩が調理室の窓を開けたのは、僕たちが西にし先輩の行動に注目していたときだろう。西先輩も本栖先輩に協力するために、あんな行動を取ったのだろうか。気になるが、なんとなく蚊帳の外に置かれたのが悔しくて確認できなかった。


「私は謝罪の場を用意してあげるほど優しくないのよ」


 本栖先輩はそう言って、読みかけの小説に手をかける。僕もスケッチを再開しようと窓際の椅子に座ったが、取り掛かる気になれなかった。 


 確かに本栖先輩があの場で指摘したなら、すぐに謝ることができただろう。でも、先輩はわざと間違った結論を出すことで、あの子に謝る機会をあげたのだ。タイミングが悪かっただけで、西先輩たちより先にあの子が調理室に戻ってきていたなら、西先輩に自分がした事を話していた気もする。


「本栖先輩は優しいですよ」


「……」

 

 視線を感じて顔をあげると、本栖先輩が僕を睨んていた。


「あっ! えっと……。やっぱり、本栖先輩はそんなに優しくないです」


「そうよね」


 本栖先輩は顔を赤らめたまま満足そうに頷く。とっても可愛らしいが、耳まで真っ赤なので言わないでおいた方が良いだろう。



「西先輩。お話したいことがあるんですが、よろしいですか?」


「どうしたの、諏訪すわちゃん?」


 開けたままだった窓の外からあの子と西先輩の声が聞こえる。どうやら、本当の意味で解決できそうだ。


 僕は本栖先輩と頷きあって、静かに窓を閉めた。



 数十分後、謝罪の言葉とともにクリーム入りのたい焼きが届けられた。本栖先輩と二人で食べたたい焼きは、ほのかに温かくてとっても美味しかった。



 終

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