■8 不倫相手の家でキッチンを使う
彼のセックスは、ごく一般的なものだった。
ただささやかに違いはあって、私はそれが好きだった。
「終わった? シャワー浴びる?」
ドアを開けると、萌花ちゃんが立ち上がって迎えてくれた。
私は無言でうなずいて、不倫相手の家のバスルームに堂々と入る。
シャワーを浴びながら、足の指を念入りに洗った。
彼はそこに執着している。
そんなことをされた経験がなかった私は、最初は恥ずかしかった。
けれどいつしか、そうされることで精神的な充足を覚えるようになった。
サディズム、ゆがんだ母性、異性へのマウンティング――。
そういうものではない、もっとシンプルな、たとえていうなら「足湯」に浸かるような、ほっこりした気持ちだ。
だから彼とのそれは、私にとってはささやかな癒やしだった。
けれど今日は、なにも感じなかった。
*
シャワーを出ると、萌花ちゃんと遊んだ。
一緒にゲームをしたり、おしゃべりをしたり、部屋を見せてもらったり。
こうしているときの萌花ちゃんは、本当に天使だった。
単純にかわいいし、私に好意を向けてくれるし、ちゃんと子どもらしい。
廊下の前で座っていたときのような、ぞっとする微笑みもない。
時間になって帰る頃、私は萌花ちゃんとの別れに名残惜しささえ感じていた。
「またきてね、典子さん」
萌花ちゃんが微笑んで手を振ってくれる。
私も笑顔で手を振り返し、タワーマンションを後にした。
もちろん、二度とここへくるつもりはなかった。
しかし弱みを握られている以上は屈するしかない。
多いときでは月に四、五回、私は萌花ちゃんの家を訪れた。
義務的にベッドで抱かれ、作業的にシャワーを浴びる。
その後は萌花ちゃんと、楽しい時間を過ごす。
あるときは一緒に料理を作り、パパも交えてリビングのテーブルで食べた。
萌花ちゃんの母親の気持ちを考えると、罪の意識でなんの味もしない。
けれど萌花ちゃんは喜んだ。
次第に私をママと呼ぶようになり、私にママとしての振る舞いを求めた。
つまり、家事だ。
私は他人の家で洗濯機を回し、シンクの汚れを掃除した。
洗剤やシャンプーが切れたら買い足し、冷蔵庫にも食事の作り置きをした。
けれど萌花ちゃんのママは、私の存在に気づかなかった。
それもまた異様に思われたが、ここはすべてが異常な空間だ。
そして人間は、異常に慣れ親しんでいく。
私もやがて、萌花ちゃんを呼び捨てにするようになった。
家にいるときに緊張もしなくなった。
私はこの異常な生活を、三年も続けた。
つまり三年目にして、この疑似家族は終わりを迎えた。
崩壊の理由は、不倫が家族にばれたことではなかった。
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