■8 不倫相手の家でキッチンを使う

 彼のセックスは、ごく一般的なものだった。

 ただささやかに違いはあって、私はそれが好きだった。


「終わった? シャワー浴びる?」


 ドアを開けると、萌花ちゃんが立ち上がって迎えてくれた。

 私は無言でうなずいて、不倫相手の家のバスルームに堂々と入る。


 シャワーを浴びながら、足の指を念入りに洗った。

 彼はそこに執着している。

 そんなことをされた経験がなかった私は、最初は恥ずかしかった。

 けれどいつしか、そうされることで精神的な充足を覚えるようになった。


 サディズム、ゆがんだ母性、異性へのマウンティング――。


 そういうものではない、もっとシンプルな、たとえていうなら「足湯」に浸かるような、ほっこりした気持ちだ。


 だから彼とのそれは、私にとってはささやかな癒やしだった。


 けれど今日は、なにも感じなかった。





 シャワーを出ると、萌花ちゃんと遊んだ。

 一緒にゲームをしたり、おしゃべりをしたり、部屋を見せてもらったり。


 こうしているときの萌花ちゃんは、本当に天使だった。

 単純にかわいいし、私に好意を向けてくれるし、ちゃんと子どもらしい。

 廊下の前で座っていたときのような、ぞっとする微笑みもない。


 時間になって帰る頃、私は萌花ちゃんとの別れに名残惜しささえ感じていた。


「またきてね、典子さん」


 萌花ちゃんが微笑んで手を振ってくれる。


 私も笑顔で手を振り返し、タワーマンションを後にした。


 もちろん、二度とここへくるつもりはなかった。


 しかし弱みを握られている以上は屈するしかない。


 多いときでは月に四、五回、私は萌花ちゃんの家を訪れた。


 義務的にベッドで抱かれ、作業的にシャワーを浴びる。

 その後は萌花ちゃんと、楽しい時間を過ごす。


 あるときは一緒に料理を作り、パパも交えてリビングのテーブルで食べた。

 萌花ちゃんの母親の気持ちを考えると、罪の意識でなんの味もしない。


 けれど萌花ちゃんは喜んだ。

 次第に私をママと呼ぶようになり、私にママとしての振る舞いを求めた。


 つまり、家事だ。

 私は他人の家で洗濯機を回し、シンクの汚れを掃除した。

 洗剤やシャンプーが切れたら買い足し、冷蔵庫にも食事の作り置きをした。


 けれど萌花ちゃんのママは、私の存在に気づかなかった。

 それもまた異様に思われたが、ここはすべてが異常な空間だ。


 そして人間は、異常に慣れ親しんでいく。


 私もやがて、萌花ちゃんを呼び捨てにするようになった。

 家にいるときに緊張もしなくなった。


 私はこの異常な生活を、三年も続けた。


 つまり三年目にして、この疑似家族は終わりを迎えた。


 崩壊の理由は、不倫が家族にばれたことではなかった。

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