第6話 あるいはそうなっていた日常

 就寝前、枕元に置いてあったスマホがぽこんと鳴る。

 竹千代たけちよは布団の中から腕を伸ばして手にとる。澤留さわるからのメッセージだった。


『明日は僕のために時間を空けておくように』

「まーたろくでもないことを思いついたな」


 とは言いつつ、竹千代の口元がゆるんだ。 

 幼いころは澤留に散々ふりまわされて、すっかりクセになっていた竹千代だ。次はなにをしてくるのか、なにをやらかすのかで楽しみにしていた。

 イタズラの方向性がすこし……だいぶ変わりはしたが、それでも嫌になるわけがない。

 とはいえ、男友だちの関係が崩れることはないが。


 ないはずなのだが。


 次の日の朝、男友だちの関係はまたも崩れかけた。

 玄関先で、澤留が海兵隊みたいに片手でぺこりと挨拶する。


「おはよっ、たけちー!」


 澤留の笑顔から、竹千代は目をそらした。


「お、おはよう、澤留」

「んー、どったのー? どったのかなー?」


 澤留は猫口で、戸惑う竹千代の反応をうかがってきた。

 なにせ澤留はセーラー服だ。真っ白なシャツに赤いリボン、そして短めのスカートからは真白い生足が見えている。竹千代は目のやり場に困った。


「たけちーはいい加減さ、負けをみとめちゃえばいいのに」

「……容姿はどストライクなのは最初から言っているし」

「うへへー」


 ちょっと恥ずかしそうに笑った澤留が可愛くて、もはや性格こみでどストライクなのではと思う竹千代だったが、努めて平静をよそおった。


「そんで。セーラー服を着て、どこに行くつもりなんだ」

「制服姿で行く場所は決まっているよ」


 澤留はそう言って、邪悪に微笑む。

 ああ、今日も、悪辣な幼なじみにふりまわされるのだなと、竹千代は期待で胸をふくらませた。


 ☆


 河川敷を二人で歩く。

 夏の日差しが河に乱反射して、キラキラと輝いていた。

 澤留が通学する高校は、河川敷の側にあった。ここいら住みで、電車やバスで遠くに通学しない子の進学先になる。

 古い校舎は大きく、グラウンドも広い。

 しかし夏休みだというのに、グラウンドに運動部はいなかった。


「野球部とかいないのか?」

「いるけど弱小だよ。うちは文化系のほうが強いからねー。陸上部やテニス部はまあまあ強いみたいだけれど、設備の整ったスポーツセンターで個人練習してるし」

「これだけグラウンド広いのにもったいねー」


 竹千代の高校は、ビルに囲まれた都会にある。

 グラウンドの使用権でよく揉めていて、どの運動部も満足に練習ができないでいた。


「たけちーは陸上部だっけ?」

「だな。グラウンドが狭いから、練習場所が限られていてさ。それなのに弱小部なもんだからグラウンドの使用権なんて全然回ってこねーし……。まあ実態はお遊び部だから、そこまで不満があるわけじゃないけどな」


 もし厳しい部活動だったのなら、この夏休み、部活を休んで澤留に会いに来れなかった。


「そういや澤留の部活は?」

「僕ー? 僕はいろいろー」

「なんじゃそりゃ」

「助っ人として色んな部に参加してるんだ。勉強、運動、家事なんでもござれなので」


 女子の部活にも参加している澤留を、竹千代はなんとなく想像してしまう。あながち間違ってなさそうなのは毒されているのだろうか。


 と、澤留がフェンスをよじのぼり、学校に侵入しようとした。

 スカートの中が見えそうになっている幼なじみを、竹千代は慌てて止めた。


「待て待て待てっ! なんでフェンスから侵入しようとしてんだ⁉」

「僕にも事情があってさー。お休み中の学校には、真正面から入れないんだよね」

「なに得意げに笑ってんだよ⁉ 普段から悪さしてんのか!」

「んだよー。ついてこない気かよー」


 澤留はつまらなそうに唇をとがらせた。


「……行かないとは言ってねーよ」

「だよね! たけちーは昔から僕にとことん甘いもん!」


 甘いんじゃなくて澤留に逆らえないだけだ、とは竹千代は言わなかった。


 ☆


 生徒のいない校舎。

 二階廊下は換気がろくにできていなくて蒸し暑く、ニスの匂いが混じる空気には不快感すらあったが、澤留はご機嫌そうに前を歩いていた。


「誰もいない校舎って非現実感あっていいよねー。たけちーもそう思わない?」

「……そーだな」

「? ぼーっとしちゃってどーしたの?」

「……いや気になったんだが、澤留は普段もセーラー服で通学しているのか?」


 男の澤留がセーラー服で通学する。

 そっちのほうがずっと非現実感があるはずなのに、やけにしっくりきていた。


「たけちー的にはどっちがいい?」


 澤留はニンマリと笑った。

 そう言われても、自分は澤留と同じ高校に通っていない。男子の制服だろうが女子の制服だろうが、どちらの姿で通っていても自分に関係はないだろうと竹千代は思った。


「……どっちでもおかしくないってーか、澤留はセーラー服でも違和感ねーよ」

「でしょう? 男子の視線を釘づけにしていたりするかもねー?」


 いや澤留は男だろうと言おうとして、竹千代は口をつぐんだ。

 たしかに、セーラー服の澤留にこれぽっちも違和感はない。男だとわかっていても澤留は綺麗だし、思春期男子の目を引いてしまうかも。

 竹千代は胸のあたりがモヤモヤした。


「……うへへー、たけちーの複雑そうな表情が見れて、僕は満足です」

「俺はなにも言っちゃいねー」


 竹千代は少なからず嫉妬を感じた。

 もし両親の引っ越しがなければ、こうして幼なじみと一緒の高校生活があったのかなと考えてしまう。

 竹千代が晴れない表情でいると、澤留が廊下の端で立ち止まった。


「ここが僕のクラスだよ」


 澤留はそう言って、熱気のこもった教室に入っていく。そうしてテテテと小走りで窓に向かい、ガラリと窓をあけた。

 夏の涼風すずかぜが教室内をとおりぬけて、澤留の髪がさらわれる。

 竹千代が思わず見惚れていると、澤留が窓際の席にすわった。


「そして、ここが僕の席」


 男の幼なじみがセーラー服を着て、楽しそうに微笑んでいる。

 もしかしたら、澤留の隣に自分が座ることもあったのかと思うと、顔も知らない隣の席の人間がうらやましくなった。


「……たけちー、隣に座りなよ?」 

「お、おう。そうだなっ!」


 嫉妬を見透かされたようで、竹千代はつい大声で応えてしまった。

 気恥ずかしさを覚えつつ隣の席にすわると、パシャリと音が鳴る。


「題名、僕の教室にいる幼なじみ」


 澤留がスマホで撮影した音だった。


「そのまんまな題名だな」

「僕が一番欲しかった絵面だもん。素直な題名をつけるよ」

「……そ、そっか」

「……たけちーは僕を撮らないの?」


 澤留はスマホをポケットにしまい、机に頬杖をついた。

 ありえたかもしれない日常のワンシーンに、さっきまで感じていた嫉妬がうすれていく。ようは澤留に感情を誘導されたわけだが、竹千代はここで強情をはれるほど自分に嘘をつける男ではなかった。


「バッチリと撮らせてもらうわ」

「……ほんと素直だよね」


 スマホをとりだした竹千代に、澤留はこそばゆそうに笑った。

 その一瞬を、竹千代はのがさずに撮影する。


「あっ。変な顔の僕をとらないでよ!」

「別に変でもないぞ。ありふれた日常っぽくてグーだ」

「もっと恋人っぽい顔をするから撮りなおして!」

「こ、恋人っぽいってなんだよ! 別にそんなのはいらねーよ!」

「僕が一番可愛く撮れる角度があるんだよ! めちゃくちゃいるよ!」

「そんなの撮って、誰かに見られたら勘違いされるだろーが!」

「いいじゃん! どーせ、たけちー恋人いないんだから!」

「いねーけど! ハッキリ言うなよ!」

「せっかく僕がまた使える写真を提供してあげよーと思ったのに!」

「またもなにも一切使ってねーよ!」

「はい⁉ あれだけ鼻をふくらませておいてなんで使わないわけ⁉」

「使うかばか!」 


 到底他人には聞かせることのできない話を、二人でやいのやいと言い合う。口さがなくしてはいるが、竹千代はこの瞬間が楽しかった。

 と、遠くで人の声がする。

 竹千代と澤留は真顔になった。


「澤留……俺たち以外に人がいるっぽいぞ……?」

「ま、まずいなあ……僕だけならまだしも部外者をいれたことがバレたら大目玉じゃあすまないかも……」


 足音が近づいてきた。二階奥の教室なので逃げ場がない。

 澤留が背後のロッカーを見てから、アイコンタクトを送ってくる。昔さんざん澤留のイタズラに巻きこまれていた竹千代だ。こんなときなにも言わずともすべてが伝わった。

 二人は音を立てずに椅子をなおし、ささっとロッカーの扉をあける。



 そうして、二人は真夏のロッカーの中に隠れひそんだ。


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