第3話 好反応だとわかったので、ジャブからストレートに切りかえました

 バスを降りて、あぜ道を歩いていく。

 まわりは田んぼや畑ばかりなのに、どこに潜んでいるのか蝉の音がうるさくて、竹千代たけちよは故郷に帰ってきたのだと実感した。


 しばらく夏の暑さに耐えていると、赤銅色せきどういろの瓦屋根の家がだんだんと近づいてくる。


 竹千代の祖母、槇原花まきはらはなの家だ。


 リフォームしているので外観は新しく、お年寄り一人が住むには大きすぎる家だ。両親はいつか祖母と暮らすとは言っているが、そのいつかはしらない。祖母はもういい歳だが、元旦に会いにくるときなど元気余りある姿を見せてくれるので、まだまだ心配はいらないだろう。


 今はそれよりも懸念材料が他にあった。


「なあ澤留さわる

「んー?」

花婆はなばあちゃんまでついてくるのか?」


 澤留は機嫌よさそうに前を歩いていた。


「たけちーは夏休み中、花お婆ちゃんの家に泊まるんだよね? だったら、ちょくちょく遊びにいくことになるのだし、今の内にご挨拶するよ」

「いや、俺が言いたいのはさ」


 女装したまま会うつもりなのかとたずねる前に、澤留が早足になった。

 澤留は恐れるものなどないように、玄関のインターホンを押す。チャイムが鳴りひびいて、家の奥からバタバタと足音が聞こえてきた。


「はーいはい、いまあけるでー」


 玄関扉がガラガラとひらかれる。

 花婆が、にかっと白い歯をのぞかせながらあらわれた。


「いらっしゃい、竹千代。あんたしばらく見んうちに大きくなったなー、二メートルはあるんか? 高一でそんだけ大きいならまだまだ伸びるんちゃうかー」

「正月に会ったときからそんな身長は変わってないよ。花婆ちゃん、今日からよろしくな」

「はいはい、しっかりお世話するでー」


 ぴんと伸びた背筋に、溌剌はつらつとした顔。

 相変わらず元気な花婆に、竹千代は苦笑した。


「澤留ちゃん、孫のお迎えありがとな。暑かったやろ」

「いいえー、たけちーとゆっくり話せて楽しかったですー。それじゃあたけちーの荷物、ボクが部屋に持って行きますね」


 澤留は竹千代の旅行鞄をむんずと奪い、家にあがっていった。


「はー、ほんまええ子やなあ。あんな素敵な子と幼なじみなんて、竹千代は前世でいっぱい徳を積んだんやね」


 花婆は、澤留の女装になんの疑問を呈していなかった。

 むしろ女装が当然のような態度に、竹千代は不安になってくる。


「……花婆ちゃん、澤留の性別は知ってるよな?」

「男やろ? 知っとるに決まっとるやん。あとで澤留ちゃんにお礼をいっときやー。竹千代がこっちに来るとわかって、あんたが昔使っていた部屋の掃除までやってくれたんやで」


 外堀ががっちり埋められている。

 はたして、澤留を一人にして良かったのか。

 危急ききゅうを察した竹千代は、急いで靴を脱いだ。


「ば、婆ちゃん! 俺、ちょっと、自分の部屋に行ってるな!」


 竹千代は廊下を慌ただしく走っていき、一階奥のふすまをあける。

 子供のころに住んでいた自分の部屋は、今はテーブル一つ置いてあるだけの簡素な六畳一間となっていた。

 引っ越すときに私物はすべて持って行ったので、帰ってきたというよりは旅館の一室に泊まりにきたみたいで少し寂しくなる。いや今は感傷にひたっている場合ではないと、竹千代は幼なじみをにらむ。


 澤留は、竹千代の旅行鞄をこっそりあけようとしていた。


「ちぃ」

「うぉい! 舌うちしてんじゃねーよ! なにをしようとしていた! 言え!」

「にゃんのことだか僕わかんにゃーい」


 竹千代はうぬぬと唇を噛んだ。

 腹が立ったのではない。澤留の猫仕草がとても可愛くて、耐えようとしたのだ。


「あっれー? たけちー、もしかしてこのポーズがクリティカルな感じ?」

「な、なわけあるかい! いつまでもあざとい仕草が俺に通用すると思うなよ!」

「あざとい仕草って……こんなのとか?」


 澤留は誘うような笑みでスカートをずらしあげ、真っ白い太ももをさらけだす。

 突然のチラリに、竹千代はバッと顔をそむけた。


「…………たけちー、目をそらした時点で認めたようなものだよ?」

「…………うるせー」


 期待にみちた澤留の視線を感じたが、竹千代は顔をそむけたままでいた。

 外堀を埋められているのなら、澤留は待合室以上のなにかを準備してきているはずだ。迂闊に挑発にのって、まんまと仕掛けにはまり、なし崩し的に関係が変化するのを竹千代は望んでいなかった。


「たけちー、こっちを見てよー」

「……急に寝ちがえちまってな。そっちを見れないんだわ」

「僕ねー、たけちーがとっても元気になるポーズをしてるよー」


 竹千代は生唾を呑みこんだ。


「……たけちー、なんだか物欲しそうな顔をしてるよ。もしかして待合室以上のものを期待しちゃったり?」

「なんも期待してねーよっ! ほら出て行った出て行った!」

「んー。歩き疲れたし、ここで休んでいこっかなー。ほーらチラリ」

「うぐぐ……」

「ちょっと見るぐらいなんでもないと思うけどなー」


 まったく見ようとしないのも、それはそれで意識しすぎな気もする。

 挑発とはわかりつつ、竹千代はそろーっと視線を向けた。


 澤留は、女の子座りでいた。


(……別に、いやらしいポーズとかしてねーじゃん)


 自分がどんな顔になったかわからない。

 しかし澤留の期待どおりの表情になったようで、幼なじみはニヤニヤ笑っている。


「残念そーだね」


 どう言い返してやろうか竹千代は考えたが、すぐに諦めた。

 澤留のからかいには絶対にかなわないと知っている。そもそも、このやりとりも別に嫌いではなかった。


 竹千代は頭をかいて、表面上はブスッとしておいた。

 澤留の次なるイタズラに構えていると、そこに、花婆がひょっこりと顔をだす。


「二人共仲良くしとるかー?」

「お、おう」「はーい」

「そーかそーか。竹千代ー、布団は押し入れのなかにあるし、家のもんは好きに使ってええからな。じゃあ、うちは出かけてくるから」

「……え? 花婆ちゃん、どっかに行くの?」

高菜たかなさんに吞みにさそわれてなー。夜遅くまで吞むから、さきに寝とってええで」


 高菜さんとは、澤留の祖母だ。

 あまりにもタイミングの良すぎる吞みに、竹千代が目をひん剥いて驚いていると、花婆は心配するなと笑う。


「ははっ、そう寂しがらんでも、今日は澤留ちゃんが泊まってくれるから大丈夫やで。竹千代もお婆ちゃんと一緒にいるより、綺麗な幼なじみと一緒にいたいやろー」


 竹千代が横に視線をやると、澤留は素知らぬ顔でいた。

 外堀どころか内堀までがっつりと埋めにきた幼なじみに、竹千代は抗議の視線を送ったが、意図ありげな微笑みを返されるだけだった。


 ☆


 夕方になり、縁側えんがわから涼しい夜風がふいてくる。

 竹千代は居間のテーブルに肘をついて、ちょっと本気でブスッとしていた。


「たけちー、機嫌を悪くすることないじゃないかよー」


 澤留はあぐらをかいて苦笑していた。


「問題。久々に祖母の家にやってきたら、祖母は幼なじみの女装に慣れているし、しかも外堀を埋められている様子。さらには祖母が都合よく吞みにいくと知った、俺の気持ちを述べよ」 

「これから素敵な夏がはじまる予感?」

「前提として、幼なじみは悪童とする!」


 悪童と言われ、澤留はぶーっと唇をとがらせた。


「僕は悪いことなーんにもやってないよ。地道な根回しの成果だよ」

「根回しって………………澤留の女装を知っている人はどれぐらいいるんだ?」

「えっと、全員?」


 澤留は唇に人差し指をあてて、邪悪に微笑んだ。

 全員と言われても範囲がひろすぎる。いったいぜんたいどんな根回しをしたのかと、竹千代は頭が痛かった。


「ねっ、僕がどんな根回しをしたいか聞きたい? 知りたい?」

「いいや知りたくない。知ったら余計ひどい目にあうに決まってる」


 澤留が邪悪に微笑むとき、すでに悪だくみが完了している。もう巻きこまれるのが確定しているので大人しく従うのが吉だったりした。

 竹千代本人が、望んで巻きこまれているのもあるが。


「ざーんねん。じゃあ、たけちーの機嫌がコロリとなおる情報を教えてあげよー」

「そう言われて、簡単になおる俺じゃねー」

「なんとぅ、花お婆ちゃんがウナギ丼の特上を出前でとってくれているのですー」

「なおったわ」


 夏はまだまだはじまったばかり、精のつく料理はどーんとこい。

 竹千代の機嫌はコロリとなおった。


「プラスで、僕も晩ご飯を用意してあげたよ」


 竹千代の警戒度がぐーんとあがる。


「なんだよ、その、たけちーのふざけるなよって表情。僕が信じられないの?」

「久々に出会ってから今までの行動をふりかえれよぅ」

「聞いてから不安がればいいのに」

「じゃあ聞くが、澤留はなにを用意したんだ?」

「ウナギ丼があるからねー、用意したのは副食ばかりだよ。えっとね、焼きニンニクに、レバーに、スッポンの生き血に、それからマカドリンク!」

「これでもかと精をつけさせよーとすんなよ⁉」


 今晩、澤留は泊まると聞いている。

 あからさまなラインナップに竹千代は顔が真っ赤になった。


「……なんだかえっちなことを想像しているようだけどさ、誤解だよ?」


 澤留は仕方なさそうにハフーと息を吐いた。


「下半身直結なラインナップでよく言うわ!」

「ホントに変な意味はないよ? 久々に再会したんだから、たけちーと夜を騒ぎたくてさ。ほらほら、今晩は兎と虎のたたかいだよ?」


 澤留は新聞のテレビ欄を見せつけてきた。19時から兎と虎の野球中継がはじまるらしい。

 澤留は兎ファンで、竹千代は虎ファンだった。


「……野球中継? ここでみるのか?」

「うん。花お婆ちゃんの家の周りは畑ばかりだし、大声で応援しても、いっーーーーぱい騒いでも、誰にも迷惑がかからないよ。子供のときできなかったことを、今夜一緒にやろうよー。レンタル店でお笑いDVDも借りてきたことだし、いっぱい楽しもーっ」


 魅力的な提案だった。

 竹千代はマンション住みだ。近所迷惑になるような大声なんてもっての他。しかしここならば音を気にせず、しかも幼なじみとやいやいの言いながら一緒に騒げる。


(ぜったいに楽しいやつじゃん……!)


 そんな竹千代の心情を見透かすように、澤留があおってくる。


「もしかしてー、虎が負けると思っている、とかー?」


 そう挑発されては、竹千代も逃げるわけにいかなかった。


「はっ! なわけーだろ! 俺の電波を越える声援をみせてやんよ!」

「さすがたけちー、生粋の虎魂! ふふっ、今日は思いっきり騒ごうね! よーし、いーっぱいご飯を食べて精をつけて、たけちーに負けない応援をするぞー!」

「はっ! 俺だって負けねーからっ!」

「うんうん、いーっぱい食べようね!」


 ☆


 そして、その夜。

 いっぱい食べて、いっぱい騒いだ竹千代は、寝つけずにいた。

 うす暗がりの中、布団のなかで何度も寝やすい姿勢を探しているが、いっこうに眠くならない。


 竹千代は、あまりにもムラムラしすぎていた。


 原因はどう考えても晩ご飯。

 まだ若い竹千代には、精のつく料理オンパレードは効き目がありすぎた。だからといって久々に祖母の家まできたというのに、そうそうに自己処理するのは恥がある。ムラムラはするがなんとかおしとどめ、何度も寝返りをうっていた。


 そうして、一度冷たいシャワーでも浴びようか、竹千代が考えはじめたころだ。

 ふすまが、音もなくひらいた。


「……ぐー」


 竹千代は寝たふりをした。

 うす暗がりの中でも、侵入者の察しがついたからだ。


 しかし侵入者はそんな浅知恵などお見通しで、竹千代の腹に馬乗りになってくる。侵入者はタヌキ寝入りなんてやめなよと言うようにさわさわと腹をさすり、観念して目をあけた竹千代をじいっと見つめてきた。



「たけちー、手籠めにされにきたよ」



 澤留が、邪悪に微笑んでいた。


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